崩壊するしか道が無い


「公爵が公爵じゃなくなった?」
井上から聞かされた言葉に新は眉を顰め、理解すると豪快に笑った。
「何かしたの。」
「資産を全部使われたらしい。」
此れは本気なのか、と新は笑うのを止め、井上に詰め寄った。
「本当…?」
「嗚呼。借金残して息子置いてトンズラだ。」
鬼畜な女も居るんもんだな、と井上は身体を振るわせた。其れよりも、公爵だ。公爵が公爵でなくなったとするのなら…
黒猫楼、崩壊。
此れは確実だ。
「嘘だろう…公爵…」
折角築いた此の店を、二年足らずで潰すのか。他の男達は良いとして、折だ。
「折は、如何仕様…」
公爵以外に心を許さない折が、此処を出て生きてゆける訳が無い。
「いや、でも、一寸待てよ。」
公爵が公爵でなくなったからといって、問題はあるのだろうか。公爵は印税で遊んでいるだけで、神楽坂の資産で遊んでいた訳ではない。でも、生活もあるだろうから、きっと無理なのだろうなと新は机に顔を乗せた。
其の時だ。
「新。」
暖簾を潜って聞こえた声。
「公爵…?」
現れた公爵に井上は眉を上げ、帰る、と公爵に笑った。
「女は大事にしろよな?」
「…もっと早く御忠告を頂きたかった。」
公爵の地位を剥奪された今、そんな言葉、何の足しにもならない。
「御前が軍に殺されたら、息子は引き取ってやるから。」
「私は死にませんよ。縁起でもない。」
「其れは如何かなー?楼主さんが御怒りだぜ。」
ひらひらと手を振り、暖簾を潜って外に出た井上の背中に公爵は首を傾げた。何時も思うが、彼は一体何しに来ているのだろう、と。
振り向き、言葉通りの新の顔に公爵は引き攣った。
「死ぬのは勝手だけど、付けは払って下さいよ。」
「…行き成り冷たくないか?」
「金の無い人間に用は無いですよー。」
冗談交じりの新の言葉に、公爵も冗談交じりに云った。
「金金金。皆金か。私は物書きであって、金ではない。自分が金ならどれ程良いか。」
云って、視線を落とし溜息を吐いた。
「公爵。」
初めて見る落胆した公爵の姿に、新は寄った。
「公爵の地位が無くても、公爵には先生って肩書きがあるでしょう。神楽坂先生。」
公爵は大きく息を吐くと、そんな事で落ち込んでいるのではないといった。自分は初めから、公爵の地位に縋ってる訳でもなく、公爵と自分が位置付けられているだけだとしか考えていない。公爵の地位等、別に要らない。落胆する理由は、息子に其の地位を渡せなかった事、明治から続いた此の神楽坂の名前に傷を付けた事、其れだけだ。
「私はもっと、世の中を知って、公爵になるべきだったのだよ。」
十三歳の子供が、行き成り公爵という地位に来た。世間も何も知らず父親が死に、勝手に公爵となった。戦争さえなければ…
世間を知って妻と結婚していれば、こんな愚考を働かずにすんだ。戦争等無ければ、反国者にならなかった。普通に物書きとして生きていけた。
「嗚呼、もう。木島が憎い…」
あの男が戦争を始めなければ、全てはあの男の所為。自分が悪いのは判っているが、其の元凶の所為にしたかった。しかし、木島がいなければ貰う印税は少ない。全くの、矛盾だ。
頭を抱える公爵に新は声を掛けた。
「浮雲に、用があるんでしょう…?」
「嗚呼。」
「部屋に。」
「違う。」
立ち上がろうとした新の腕を掴み、折を此処に呼ぶ様云った。
「半日、俺に貸してくれ。金は倍払うから。」
「公爵…?」
「俺には、今、浮雲の力が要るんだ。」
公爵が何を考えているかは判らないが、真剣なのは確かだった。




*prev|3/6|next#
T-ss