楼主の消えた黒猫楼


斎藤と云う軍人が来た。そして聞かされた、恋人との真実。
真去は姉で、自分は弟。
其の事だけが頭の中をぐるぐると回り、堪えられない自分の身体は気絶する様に眠りに落ちた。そして見た夢。
初めて見る父親の姿。俺を、嗤っていた。
黒の軍服、片腕は無く揺れている。
「新。」
初めて名前を呼ばれた気がする。
「何…?」
「俺が憎いだろう…?」
血を吐く様な声に、怒りが溢れた。嗚呼、と自分は唸り、殴ってやろうとしたが足が動かなかった。父親は其れに声を出して笑い、動いていた。俺の周りをぐるぐると何周もし、歌う様に云う。
「御前達の何方かが娘だったら、嫌われても良かったんだがなぁ…?」
「生憎だな…」
「嗚呼。ちっとも可愛く無い。生まれた時から。」
はっきり云われ、嫌いな筈なのに心に刺さった。
「一幸は可愛いのに、何で御前は可愛く無いんだろうな…?」
「知らないよ。」
後ろで動きが止まり、俯いていた俺は少し顔を動かした。
「あれ…?」
後ろに居た筈なのに、前から声が聞こえた。
「こっちだ。」
ずっと出された顔に悲鳴が出掛けた。口が耳迄裂け、其処から血が垂れ落ちている。吊り上がる目は瞳孔を開き、俺を見ていた。一瞬にして酸の強い変な臭いが辺りに立ち込め、肉の焼かれる様な焦げ臭さもする。揺れていた筈の袖から真赤な腕が伸び、俺の喉を絞めた。
「此の侭殺してやろうか。」
爪が食い込み、息をすれば吐き気を覚えた。
「父…う…」
「都合が良いな。こんな時だけ父上か。御前を息子に持った覚えは無い。此の反国者。」
口から唾液が溢れ、漸く手を離して貰えたが、此の異臭に吐き気は止まらなかった。勝手に唾液が垂れ、顎を伝う。
「可哀相な一幸。」
瞳孔開く目を同じ位置に置き、視線を合わす。ゆらゆらと揺れ、裂ける口から血が飛ぶ。
「こんな奴を守れ無かったって、泣いて詫びたぞ?」
自分が父親を憎む同様に、父親も自分を憎んでいる。其れは確かだった。
「一幸を泣かすなよ。え?出来損無い。」
「出来、損無い…?」
嗚呼そうだと父親は笑う。
「俺の遺影を投げ飛ばしたのは御前だ。俺を、軍を、馬鹿にした。修羅を、甘くみるなよ。」
赤い腕が伸び、其の侭顔を覆われた。
「本郷にも…してやったな…俺を馬鹿にする奴は、息子だろうが、容赦はせん。」
鋭利な爪が食い込み、身体が痙攣を始めた。父親の感情全てが頭に流れ、一層強くなる臭い。
「俺は修羅だ。地獄に生きる修羅だ。仏様にでも、助けを求めるんだな。尤も。」
御前の様な罪を犯した奴を助けてくれるかは判らんが、そう高らかに笑った。
ずっ、と爪が抜かれ、知った父親の孤独に震えが来る。泣きたいのに泣けない。声を出したいのに出せない。感情を殺す事しか許されない。報われない願い。
此れなら、死んだ方がマシだと感じた。
「御前同様、折にも報復しておいた。身形は女だから多少心は痛んだが。其れでもまあ、御前依りは軽い。」
「如何、云う意味だ…」
「折には心を無くして貰った。さっき見たら、髪の毛を抜いてたぞ。あれはもう、再起不能だ。笑える。」
其れが公爵の事であると直ぐに察した。
「なら、俺は…?」
裂けた口は大きく歪んだ。
「身を滅ぼせ。娘と一緒に。」
因果応報。兄が良く口にしていた。
父親を愛した兄に、憎んだ自分達。
死んだ人間に何が出来ると鼻で笑っていた。其れが今、全て自分に落ちて来た。
何が正しいのか、全く判らない。死ねば、許されるのだろうか。




*prev|2/5|next#
T-ss