愛妻家の朝食


清人は云った。
味噌汁の匂いで目が覚めると云うのは、とても素晴らしき事に御座居ますね御父樣、と。原稿用紙を枕代わりにしていた雄一はむっくりと身体を起こし、変に固まった首肩を動かした。
鼻に抜ける其の匂い。机上の何処かにある眼鏡を手探り、触れた眼鏡を掛け、
「何だ、此の匂いは。」
「味噌汁ですよ。」
「嗚呼。味噌汁はこんな匂いなのか。」
興味無さそうに欠伸をした。
雄一は生まれた時から和の朝食を食べた事が無い。清人もそうだ。真白いテーブルクロース敷かれる場所には何時も、西洋の朝食が並んでいた。やれベーコンだやれスクランブルエッグだ、やれブレッドだ。御紅茶に致しますか、其れ共珈琲で。記憶にあるのは母親の声では無く勿論使用人の声だ。
「誰が作ってるんだ?」
使用人は居ない筈だが、折で無い事は確かである。
「雪子さんですが。」
「雪子夫人…?」
雄一は驚き、清人と顔を見合わせた。
「凄いな。」
「はい。料理は使用人しか出来ないと思っておりました、御父様。」
仕様が無いと云えば仕様が無いが、酷い親子である。
書斎から清人と一緒に出、味噌汁の匂いする方へ向かう。そして見た光景。長いテーブルに並ぶ和の朝食に言葉が無かった。
真白の艶ある米、真白い豆腐が覗く味噌汁、太った魚、卵焼き、未だあるが雄一は直視出来ず居た。たかが朝食、けれど雄一には信じられない光景だった。母親にも妻にも朝食を作って貰った事の無い雄一は、此れが本物かも判ら無かった。
「凄い…」
清人は云った。そして未だ何かを運んでいる雪子に近付くと顔を見上げた。
「御早う、清人君。折は未だ寝てる?」
しかし清人は答えず、雪子の顔を見続けた。
「…何?」
盆をテーブルに乗せ、しゃがんだ雪子に清人は抱き着いた。バランスを崩した雪子は尻餅を付き、けれど笑って清人の背中を撫でた。
「如何したの?未だ眠いの?」
「有難う御座居ます…」
出た言葉に雪子は首を傾げ、何故朝食を作っただけで感謝されるのか理解出来ず居た。
「もう、何…?ふふ。」
清人の行動は不可解だが、朝食を作っただけで感謝された事の無い雪子は嬉しかった。




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