思想家
殴られ過ぎて、ちかちかする。
「君達は、一体何回私の歯を折れば気が済むんですか…」
差し歯とて、安くは無いぞ。殴られた拍子に取れた歯を口の中で唾液と混ぜ合わせ、吐き捨てた。何てこった。又、自分の歯が無くなった。
「総入歯にしてやろうか。」
髪を掴み、椅子ごと私の身体を浮かせる。総入歯の次は鬘にしろとでも云うつもりなのか。未だ日も昇らぬ内に此処に連れて来られ、見ろ、窓の外は真暗で月が輝いているじゃないか。
ドアーがノックされ、来た男は私を殴っていた男に耳打ちをする。耳がおかしい。何だか良く聞こえない。忌々しそうに私を睨み、舌打ちをすると、床にあったバケツの水を私に掛け、一人の男と入れ替えに部屋を出て行った。今は、九月だぞ。寒いじゃないか。
「縄を解け。」
柔らかいタオルの質感。長時間縛られ殴られていた為、感覚が無いやっと開放された腕はだらりと椅子の横に伸びた。男は何も云わず乱暴に私の頭を拭く。
「敬作…」
「だーまーれ。歯が折れてるんだろう。」
話す度口から血が落ちる。
今私の頭を拭いているのは友人で、陸軍元帥の野中敬作だ。私がこうして拷問を受けても軍批判を続けるのは、敬作が助けてくれるからかもしれない。
月明かりだけ入れていた薄暗い部屋は一気に明るくなり、私達は一瞬目を瞑った。ドアーに寄り掛かる狼。
「本郷、元帥。」
「こら又今日は酷いな。」
敬作と違う、旧式軍服を着た本郷元帥。此の黒の軍服を着ているのは、陸軍の中で、三人しか居ない。十五年前の大戦で、将校だった者達。本郷元帥と、五十嵐大佐、其れから小野田中佐。此の三人だけだ。四人居るとも噂されるが、其の四人目は、都市伝説に近い。
四人揃うと、四天王、そう呼ばれる。尤も、そう呼んだのは私達物書きだが。
私は、此の大戦の亡霊達を一度も批判した事は無い。するのは、此の軍であり、其れを良しとする此の国だ。
「軍批判も、程々にしておけよ?」
意地悪く笑い、私の口に、自分が咥えていた煙草を咥えさせた。
狼と月は、何時でも美しい。
久し振りに、小説らしい小説を書いた。題名は勿論、狼と月、だ。此れは、何も云われなかった。
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