愛すべき馬鹿息子


遊びから帰った清人は、尋常で無い形相の父―雄一とぶつかった。持って居た手提げ鞄が落ち、気付いた雄一は慌てて拾う。
出掛けるにしては酷く身形が汚い。
雄一は物書き、日がな一日書斎に篭り、頭に櫛が入った痕跡は無し、最悪三日程髭は放置される。まさに雄一は其の風貌で家から出て来たのだ。
「お…御父様…っ?」
人前に出る時は奇麗にして於け、其れが相手に対する礼儀だ。女なら化粧を、男なら髭、子供なら靴下。
相、常日頃教えられる清人は、全く正反対の身形で出掛ける父親に狼狽した。
「何が…」
清人の狼狽は、更に強まった。
「折が陸軍に捕まった。」
「又ですかあっ」
又、とは云うが、折、一度も陸軍に捕まった事は無い。陸軍に連行されて居たのは雄一で、軍から拷問受けた、と折から聞いた為(初見の時顔面に腫れが残って居た為聞いた)、すっかり陸軍だと思って居た。
「田村。」
田村、と云う、神楽坂家に仕えて居る運転手に雄一は持って居た鞄を渡した。
「今度は何方迄、雄一様。」
「陸軍基地です。」
「え…………っ」
田村は、清人が遊びに行くと云ったので車を出し居た。丁度帰宅したのは雄一にしてみれば良かったが、告げられた行き先に汗を吹いた。此れなら一寸回り道をすれば良かった。
陸軍基地、もう迎えに車を走らす事は無いと信じ切って居た田村は裏切られた気分に為り、首を振った。
「嫌です、おっかない…」
釈放される雄一を門前で待つ時の在の心情。きちんと歩いてます様に、少しは人間らしい顔であります様に、守衛おっかない…、をごちゃまぜにしつつ全くの無表情で「私は主人を待ってるだけです」と見せるのは、至極神経を使う。雄一が軍事批判を止めた為、もう二度と在の様な居心地悪さを知る事は無いと信じただけに、泣き相に為った。
「雄一様は居るのに…」
「折ですよ、折っ」
「嗚呼…っ」
「本当、嗚呼、ですよ…」
陸軍から連絡が来たのは五分前、して来たのは敬作の部下である。
連行した理由は―――反国罪。
何故御前が其れで捕まる、何をした、海軍に入ろうとする奴が、と雄一は腹を立てた。海軍に一報入れた方が良いのか迷うが、連絡入れるのも面倒、番号も知らない、抑誰に…?
結局自分が釈放金積んだ鞄を持った。
「折さんは何で捕まったんですか?」
清人の問い掛けに雄一は、正直に答える可きか迷ったが、同じ過ちをしないとは限らないので正直に云った。
「反国罪、ですか。本郷元帥でも殴ったんでしょうか。」
「其れだったら何れ程良いか…」
其れだったら敬作が狼狽するだけ、一応は甥な為、龍太郎も捕まえはしない。癇癪玉本郷の事だから、雷位は落とすだろうが。
木島―――。
又選りに選って、連行した軍人は木島一幸。
自分と同じ理由で連行されたのは聞かずとも判る。
何を云った、木島和臣の、父親の何を批判した。
一幸の逆鱗は此れしか無い。其れ以外の理由で一幸は連行等しない。厳重注意で事終わらす、根は争い事が嫌いな軍人には向かない男である。然し、木島和臣の事に為ると人が変わった様に変貌し、批判した人間をめった打ちにする。
身を以て知る雄一であるからこそ、吐き気がした。
拷問の最中に再度口から批判を出して見ろ、部下が止めに入る程我を忘れる鬼畜と為る。意識が飛んで居様が構いなしに椅子で殴り付ける、余りに拘束時間が長い為、部下が一幸より上の将校を呼ぶ迄に為る。其れでも止まらない時、敬作が止めに入る。雄一の時は連行され次第連絡が行くのだが、なんせ一幸は父親に似てずる賢い。知恵は嫌に働く。
基本は部下にさせ、敬作に連絡が行かない状況の時だけ自分が手を下す。部下は部下で拷問し乍ら、「何で捕まってんだ?此奴」と思う。上司の一幸の命令であるから云われた通りするが、唯の反国者、としか思って居ない。唯、雄一の時だけは酷いな、と考える。然し其の理由は判って居ない。
「雪子さんが一寸動揺して居るから、清人、頼むな。」
「はい…」
「折の状況は判らないが、連行されて五時間、相当酷いだろうから暫くは帰れないよ。」
「はい。」
「田村。」
「はい、雄一様。」
「帰りは、ホテルに向かって下さい。」
「はい。」
血は争えない。
折は確かに自分の意識を継ぐ息子だった、然し、一幸の逆鱗に恐れなく容易く触れて仕舞えるのも和臣の息子だからか、と雄一は重苦しい息を吐いた。




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