愛すべき馬鹿息子
「元帥。」
「何?」
「神楽坂折たる人物が連行されておりますが、御心辺りありますか。」
書類を整理する敬作に独房管理者が云った。読んで居た書類を置いた敬作は眉を顰め、神楽坂?、と聞き返した。
「神楽坂、何?」
「折です。手偏に斤。神楽坂の雄一先生なら、良く良く覚えがあるのですが。」
其れも相であろう、雄一は常連、第二の我が家と呼ばれる程独房に居たのだから。管理者が雄一を見る為り「御帰り、先生」と、拘束される雄一に挨拶したのは傑作だった。釈放時は「今度は何時帰って来る?」「近い内にね」である。
御心辺り、十二分にある。
何をしたかは知らないが見回りの憲兵でもからかったのだろうと敬作は溜息吐き、書類を見た。
「此れ終わったら行くよ。あ、折君ね、相当口悪いから、捕まえた憲兵が罵倒で心折れるかも知れないから、口塞いどいた方が良いよ。」
二言目には「馬あ鹿馬あ鹿」な折、余りの悪垂れに憲兵が泣いて仕舞うかも知れない。敬作とて其の口の悪さに閉口した。
「後、プライドも高いから、姫様みたく扱わないと殴るよ。ヒステリー起こす。」
「男ですよね…?」
「でも、姫なの。ヒステリー起こすの。カステラ好きだよ。」
捕まえた憲兵も馬鹿だな、と思うが同情はしない。次折を見た時、涙目で逃げる学習は出来た。海軍では無いが馬鹿は要らない。
ふっと敬作は、何故捕まったのか理由を聞きたく為った。そして、聞いた瞬間、書類の事が頭から消えた。
「場所は陸軍墓地、何で居たんでしょうね。連行したのは木島大尉です。」
がたんと椅子が倒れた。
床に叩き付けられた折は呻き、胃液を吐き出した。床には来た時瞬間吐き出した吐瀉物が残り、其れを出し切った後は胃液しか出無かった。
「如何仕様。」
一幸は首を鳴らし、暢気に呟いた。横に居た同僚、楠木弥壱は「何が?」と返す。其れはまるで「昼御飯如何する?」「何でも良い」と返す様なゆったりとした口調だった。
「野中元帥、居るよね。」
「居るねぇ。」
噎せる折を気にする事無く、二人は会話を続ける。弥壱の咥える煙草の先に新しい煙草を寄せ、一幸は煙を吐き、天井を見た。
「眠い。」
「俺も眠い。」
「何で眠いんだろう。」
「俺の子供でも身篭ったっちゃない?昨日頑張ったやん、カズってば助平やし。」
「あはあは。」
実に楽しそうに一幸は笑い、自分を睨み付ける視線を思い出した一幸は、後ろを向いた侭足を動かした。顔面蹴られた折は体勢を変え、一幸を視界から外した。
「僕を見るなよ、蛆虫。虫酸が走る。」
「奇麗な顔があ。あーあ。」
「整形すれば?」
そしたら僕に似ないだろう、と折の髪を鷲掴み、床から引き離すと壁に投げ捨てた。痛いと云う言葉は遠の昔に出なく為り、低く呻く事しか出来ず居た。
「そんなに父上が嫌ならさ、其の顔も、嫌いでしょう?」
項垂れる折を無理矢理正面向かせ、煙を吹き掛けると、煙草の先を髪に寄せた。ちち…っと毛先が縮れ、頬に熱さを感じた。
「何…?」
「時一さん、覚えてる?」
「嗚呼…」
「在の人さ、奇麗な顔してたよね。可愛い、かな…?」
「うん…」
「でも在の人ね。」
朦朧とし鼻血を出す折を構う事無く後頭部を壁に打ち付け、一幸は煙草を持ち直した。
「すっごい火傷が、顔にあったんだよ。」
口だけ開き、ゆらゆらと弥壱は煙を上らせた。欠伸をした。他人の弥壱には、眠たい話でしかない。
頬に感じる熱が熱さを強まらせ、混濁して居た意識をはっきりさせた。煙が上る其の小さな先を凝視し、又、毛先が焼けた。
「御前も、作る?」
「何を…?」
「火傷。」
熱さに目玉が飛び出るかと錯覚した。頬にあった煙草はゆったりとした口調とは反対に早く、床でぐったりと掌を見せる手に押し付けられた。痛みには鈍く為り始めて居たが、此の高温には喉から悲鳴が込み上げた。勝手に。其れが煩いと口を塞がれ、行き場を失った悲鳴は目から流れ、心臓を早く動かした。
「次叫んだら、時一さん二号だよ。」
掌から潰れた煙草を離し、床に捨てた。未だ燻って居たので弥壱が踏み消し、新しい煙草を渡した。
口から離した手にはべったりと折の涎と血が付き、糸を引いた。其れを見た一幸は「うええ…」と喉を潰し、涎と血がへばり付く手を弥壱に見せた。
「ばっちぃもん見せんな、禿げ。」
弥壱の口癖は、何故か“禿げ”である。事実だろうが違かろうが、悪垂れる時は全て“禿げ”で片付ける。
「手袋してて良かった。」
とは云っても、四時間以上も折を痛め付けて居る所為で、手袋は結構前から汚れては居る。弥壱の手袋は真っさらで、朝と変わらず奇麗な侭だ。
手首握り締め、熱さ通り越し痛む手の震えを抑える折は、黒く焼けた肉を見た。其れに重なる一幸の指、細い折の小指を親指と人差し指、中指で挟み、撫でた。
「御前の手って、小さいね。女の子みたい。凄い、細いね。爪も小さい。可愛い。」
たった三本の指で折の小指はすっぽり隠れて仕舞う。
雪子が云って居た。
折は私に似て手が小さい、一幸は和臣さんに似て凄く大きいと。
新は如何だったか。
確かに自分よりかは大きかったが、一幸よりは小さかった様思う。何時だったか、成長期が始まった二人は、手を合わせ合った。著しく成長する新と、余り変わらない折、二卵性だから仕方無いか、と二人は笑い合った。五年程昔の話なのに、前世の記憶の様に遠く、朧げであり乍らも色濃く残る。
小指を覆う一幸の指に涙が溢れ、俯いた。
「あ、本当。小さかね。」
手首を掴んで居た右手は何時の間にか膝に落ち、弥壱が掴んで居た。
「見て見て、全然違う。」
まさに新として居た事をされた折は、どんな拷問を受ける依り傷を負い、新を思い出し、又、戻らない思い出に泣いた。
どんなに此の先倖せでも、新と居た時間程倖せだと感じる事は一生無い。
考える程虚しく為り、目眩を覚えた。
「可哀相やね、折ちゃん。女に生まれとったら、倖せやったやろうに。」
「何で…?」
にったりと、無駄に厚い唇を突き出し笑う弥壱の顔に不安が過ぎった。
「俺が、倖せにしたげたのに。」
するりと小指から一幸の指が離れ、不安で一幸を追う折を見る事無く立ち上がった。指に挟んだ侭の煙草に火を付け、火薬の臭いに折はぼうっとした。
「ま、どっちでも良いけど。」
生暖かい弥壱の舌が顎から真っ直ぐ目迄這い上がり、気持悪さに強く目を暝ったが、舌先は押し入って来た。
「処女じゃないよ、海軍に…はっ、御仲間に姦られたから。」
鼻で笑い、煙を吐く横顔を折は眺め、其れが酷く父親に似ている事に気が付いた。
最古の記憶―――煙草を吸い乍ら自分を見る父親、横には寝ている新、詰まらなそうな関心興味希薄な目、薄い唇からゆっくりと上がる白い薄い煙、揺れる柔らかな毛先に伸びたのは自分の手だったのか…其れを避ける様に見えた横顔、歪んだ口角の隙間から見えた歯は嫌に尖って居た。そうして聞こえた「女なら良かったのに」―――。
次に見えたのは、天井だった。
全く同じ。
唯、在の時見えた天井は柔らかい色で暖かさを教えたが、今見える天井はコンクリヰトの無機質な冷たさだった。
「全然、問題無い。」
折の肩を押さえ付けた弥壱はにたにた笑い、顔に掛かる髪を耳に掛けた。
「元帥、来るから。早く済ませなよ。」
「大丈夫、俺様早漏。二分で終わる。」
「あはは。一時間は来ないよ。」
「あ、本当。じゃあ好きにしよ。」
コンクリヰトの床に響く靴底の金属と、一幸の笑い声は同じ高さを持って居た。
ゆっくりと開かれたドアー、其の後ろ姿を折は仰け反らせた頭で見た。
逆様、真っ直ぐに伸びる足だけが矢鱈に視界を占領した。
「ねえ弥壱。」
「んー?」
喉元を舐め乍ら弥壱は答え、嗚咽に揺れる首を噛んだ。
「夕食、何処行こうか。」
「寿司っ」
「んー、判った。」
「カズの奢り。」
「弥壱嫌い、御金掛かるもん。八雲の方がマシ。」
「終わったら如何したら良い?」
「放置しとけば?元帥が勝手にするよ。」
「に…い…」
「嗚呼、眠い…」
何でこんな眠いんだろう。
欠伸をし、俯いた一幸は、折を見る事無くドアーを締めた。然し、又勢い良くドアーが開いた。もう来たのか、未だ物も出してねぇぞ、と折の顔を舐めて居た弥壱は舌先を乾かした。
「糞犬(野中)来たん?」
「折、美麗に此の事云ったら、こんなんじゃ済まないからね。」
馬あ鹿。
其れだけ云うと一幸は消え、涙を滲ます折の顔に弥壱はくつくつと笑った。
「父親より惚れた女か。云おうとか、思わん方が良いよ。」
「云うか…」
其れで美麗が一幸を一層嫌悪するなら云って遣るが、先程の一幸と同じに欠伸一つで聞き流す。御前が強姦され様が興味無いと、欠伸をする。そして得るのは傷だけ。損にしか為らない。
「然しまあ、近くで見ると似とうね。鼻血出しとうけど。カズの方が男前やけど。」
覚悟決め、ぎゅうと目を暝った。
「死ね…」
「うぅ、良いね、其の鼻っ柱の高さ最高。カズも此れ位あれば良いのに。」
「あんた、何…?」
先程からおかしいとは感じて居た。引き合いに一幸を出す、自分に不快感を与える為に相云って居るのかと考えて居たが、何だか言葉に痼りを感じる。
外腿を撫で回す手に粟立ち、耳から這った蛞蝓の様な舌は口内に入り、煙草の味がする。
「彼奴の頼みで、何で此処迄する…?」
流れで弥壱が女好きだとは判って居る。なのに、同僚の頼みだからと、男を凌辱し様とする。
弥壱は腿から手を離し、前を割ると柔らかく小さな折の其れをきつく掴んだ。痛みに声を我慢したが無理矢理顎を掴まれ、息を吐いた。
「何でやと思う?」
小首傾げ乍ら子供に聞く様な声色で弥壱は笑う。
「知るかよ…」
「俺は女が好きだよ、でもね。」
陰茎を掴む手から力を抜き、ゆるゆると刺激した。
「カズの事は、もっと好き…。大好き…」
君がカズに似てて良かった。
弥壱の歪んだ愛情を知った折は逃げ様と腰を引いたが、顎を掴んで居た手が逃がすまいと首に流れた。
歌う様に声は響き、楽し相に頭迄揺らし始めた。
「女の子なら、本当に良かったのに。そしたらずっと、一緒に居られるやん。カズの為なら、何だってしてあげる。」
決して受け入れて貰える事の無い愛情。愛して居るのに、憎くて堪らない。
力は段々と強まり、息苦しさに手を添えた。
「美麗、美麗、何時も美麗…」
終には両手で首を締め始め、俯く弥壱のどす黒い表情、ぎりぎりと歯を鳴らし、垂れた涎が折の口に入った。
「女相手なら諦めは付くよ…、カズの奇麗な目に映るなら、やっぱ奇麗なのが良いし…」
きぃん…と耳鳴りが聞こえ始めた折は、首を振り、手を掴み、必死に抵抗した。
「なのに何…?八雲…?八雲って…?何で俺より楽し相に話すの…?」
「弥…壱…」
「何で御前の目に映る男は、俺だけやないん………っ」
床に膝を立て、上体に体重を掛けた弥壱は俯いた侭で、折の顔は見て居なかった。始めから見て等居なかったが。
弥壱の腰が浮いた御蔭で折は足が自由に動き、足の付け根目掛け膝を向けた。行き成り来た攻撃に弥壱は床に転がり、折は噎せた。未だ何かして来るかと噎せ乍らも構えて居た折だが、床に転がった侭頭を抱え肩を震わせて居た。そんな弥壱を、壁に背を預け眺めた。
哀れだ―――。
其の言葉意外浮かばなかった。
啜り泣く弥壱の声だけが暗い独房に反響し、知れず折は泣いた。
「折。」
ドアーの隙間から廊下の光が入り、然し折は床を見た侭泣いた。
一幸が居るとばかりと思って居た敬作は、床に蹲り頭を抱える弥壱と、大した傷も無く人形のみたく放心する折に拍子抜けした。
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