時一先生の一日


起床時間は五時。入院中の兵隊達を十分で確認し、夜勤の軍医から連絡を受ける。そして其の後、歩いて三十分程の処にある宗一の家に向かう。
俺は、住家が無い。基地にある此処に寝ている。風呂もベッドもあるので困りはしないが、夜中奇声に起こされる事もある。其れを除けば、実に快適である。人肌が恋しくなったら夜勤の奴を引っ張り込める。尤も、そうなる前に、向こうから来てくれるけれどね。
迎えに行く位なら宗一と一緒に住めば良い話だが、そうなった時、自分が堕落するのは目に見えていた。なので運動も兼ねて毎朝一時間歩くのである。
六時半には軍医長、宗一が来る。其処から仕事を始める。
する事は毎日変わり無く、他の診療所と変わり無いが、今日は慰安所の検診の日だ。俺は月に一度の此の日が、一番嫌いだ。彼女達の姿、其れは目を背けたくなる。此処に居る彼女達、男に大変な恐怖心を抱いている。だから俺は、女の格好で彼女達を診る。俺の女装癖を助長する要因でもあるが、其れで彼女達がきちんと診せてくれるなら安い物だった。
診るのは九時からであるが、偶に勤務を怠けている兵士に会う事がある。彼等は俺を見ると半ケツで逃げる。其の様が面白く、もっと時代が進んだ時代で、カメラが簡単に操作出来る時代であったら、俺は其の姿を映すに違いない。其れ程、其の半ケツで逃げる様は面白いのだ。其の間抜けな姿を拝めるのは、下士官の慰安所、此処だけである。上士官の慰安所は、勿論そんな事は無い。将校達が来なさ過ぎて暇だと、彼女達が歎く位だ。上士官の慰安所、Bとし様。其のBは、慰安婦の数十人、一方で下士官の慰安所、Aは五十人。此の人数の違いが判るか。
将校の人数は元帥を含め、十人。一人、一人、と云う訳だ。一方で下士官達は人数が把握出来ない。上官の一部隊が五十乃至五百人程度である。其れを含め、兵士。一人の女が、一晩で十人を相手にするのはざらで、此処に来て半年生きれば良い方であった。Bの慰安婦の様に一人一部屋、一晩一人、等と云う待遇はAの彼女達には無く、まさに家畜の扱いだ。大部屋に十人ずつ配置され、中は板で仕切られている。其れだけだ。人権も糞もあった物では無い。不衛生極まり無い此処で、性病が蔓延したのは当然なのかも知れない。
俺は仕切られた、申し訳程度のベニヤ板のドアーをノックし、彼女達を診る。診療をするのだから、礼儀位は必要だろう。偶に無遠慮にドアーを開ける軍医も居るが、俺は其の都度、彼女達を配慮する様に注意する。
だから、なのかは判らないが、Aの慰安婦達に俺は好かれている。けれど少なからず彼女達は劣等感を知るに違いない。本来男である俺が、彼女達より良い着物を着、化粧をし、笑っているのだから。
一度、将校に暴言を吐いたと云う理由でBからA落ちた慰安婦に、鬘を引っ張られた事がある。男の御前が、何故私より良いんだ、と。彼女は妊娠しており、其れで一層気が立っていたと云うのもあるが、其れは凄まじかった。離して頂戴、鬘が取れてしまう、高いのよ、と相変わらずなよなよとした口調で身体をくねらせ俺が云ったもんだから、彼女は憤慨し、手当たり次第に物を投げ付けて来た。其れに気付いた他の軍医に彼女は呆気無く連行された。其の後彼女が如何なったか実際は知らないが、将校への暴言及び軍医への暴行で殺されたのは安易に想像出来た。
Aの彼女達は、簡単な理由で殺される。例えば、新調した軍刀を試して見たかったと云う理由で。例えば、性病に掛かったからと云う理由で。
Aの彼女達に、人権は存在しないのだ。
其れでも人が集まるから不思議だ。在の、慰安婦募集の広告が間違っている。月給は書いてあるが、実際貰った人間を見た事が無い。勿論、Bの彼女達にも其れは発生しているのだが、此れはきちんと貰っている。貰い、目当ての将校の為に着飾るのだ。
慰安婦をAとBに振り分けるのは俺達の仕事では無い。振り分ける奴に話を聞いたら、見た目、と簡単に云われた。其れか、娼婦或いは遊女。尤も、そんな人間は余程な事で無い限り来ないらしいが。
そんな人間としての扱いを受けない彼女達を、俺は診ている。ドアーを叩き、反応が無いので開けて見てみると死んでいたりする。其の日は一日憂鬱だ。足を開いた侭、精液のこびり付いた性器を剥き出しに死んでいる。初めて見た軍医は決まって泣き乍ら其れを俺に知らせる。そうやって見付けられた遺体の処理は、俺しかしない。他の軍医にはさせたく無かった。
だって奴等は、本当にゴミの様に彼女達を仕切りの中から、又か、と放り出す。其れを見たく無いが為に、彼女達の処理は俺がし、検診チイムの長は俺と、軍医長の宗一に頭を下げた。此れが、俺が出来る、彼女達への愛情表現かも知れない。
今日は、妊娠している慰安婦が居なかったので安堵はしたが、最後に診た慰安婦は、本当に可哀相だった。昨晩が余程酷かったのか彼女の目は虚ろで、俺を見るなり、次は何を、そう云った。白い肌は変色し、至る所に煙草の押し付け跡があった。真新しい血の滲む傷は、何か擦り込まれたのか爛れていた。彼女は生理中で、布団や床には血の塊が落ちていた。
彼女達は、性病の治療以外で休む事は許されない。病気だろうが生理中だろうが、“仕事”をする。俺は其れが嫌で仕様が無いが、何処に改善を求めても結果は変わらなかった。宗一でも、だ。軍医に其の権限は無いのだ。ならばと元帥に頼んでも、改善はされなかった。仕切る男が、そんな実態はありませんよ、と元帥に云う為、其れ以上云えないのだ。
はっきりと汚いと思う彼女の身体を俺は熱いタオルで拭いた。濃くなる血の生臭さ。頭が痛くなる。此の汚い布団に又寝かせるのは可哀相と思い、真新しくは無いが比較的綺麗な布団と交換した。けれど此の布団も湿り気を帯び、柔らかさは皆無だった。其れでも彼女は嬉しいと、笑ってくれた。愛らしい顔を触り、額に唇を落として、俺は其の仕切りから出た。出て思い出した。
彼女は、治療が出来ない段階に来ている。性病の治療が出来ない、即ち。
…………彼女を見たのは、此れ切りだった。




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