酒と思い出


一方の男は酒豪、一方の男は並より飲める、という具合。酒豪、と云っても男の妻と比べたら小童同然、酒豪男の妻は不思議な事に酔わないのだ。
其れから見たら酔う男は酒豪とは言い難いが、世間から見たら酒豪ではある。
一方の男も世間から見たら酒豪で、けれど一方の男から見たら“弱い”と思われた。
特に理由は無かった。嫌悪な二人が同じ酒を飲む、周りからしたら天変地異で、此の世の終わりに思えた。世界が破滅に向かうのだなと、偶然居合わせた、大の酒好き男は横目で見た。
「井上さんも御一緒に如何です?」
馨の誘いに拓也は、何とも魅力的な銘酒を前に断った。本当は、海軍元帥だろうが敵軍の元帥だろうが、頭殴り付けてでも強奪したい代物だったが、断った。
馨も嫌だったが、何よりも同じ席に和臣が居るのが嫌だった。
和臣さえ居なければ銘酒の為、馨と酒を飲んでも良かった。銘酒の誘惑を断る程、拓也は和臣が嫌いだった。精々親睦深めて下さいと、長い長い髪を盛大引かれ離れた。
不思議な事もあるなと馨は思い、和臣はと云うと、酒を捨てて迄自分は嫌われて居たのかと少し傷を知った。
「木島さん…」
「いや、良いんだ…、井上に好かれたって嬉しくない…」
馨とて、出来れば和臣と酒等飲みたくない。然し、此の一升瓶を一人で開ける気にはならない。一口飲み、舌に合わなければ無駄に為る、和臣が居れば押し付ける事が出来る。和臣で無くても良い、あの雪子が飲めば良い…そんな思いで和臣を誘ったに過ぎない。
「八時に伺いますので。」
「今日、雪子居ないんだが良いか?」
「そう、なのですか…?」
実家があれば疑問持たないが、雪子には、実家も無ければ友達も無い。そんな女が一体何処に行くのか些か興味持ったが、夫である和臣が全く関心なさそうだったので以上追求はしなかった。
「だから、料理が無い。」
「おやまあ…」
「家に手伝いなら居るけど、彼奴等俺の云う事聞かないしな。」
「そうでしょうね。」
和臣は“母さんの手伝いだから”と云う意味で云い、馨は“誰が御前の命令何か聞くんだ”と云う意味で返事した。然し和臣には伝わらずすんなり会話は進んだ。
「適当で良いなら作ってやる。」
「食事を済ませて伺いますので、御気に為さらずに。」
「判った。」
和臣の料理、もまあまあ気に為ったが、命あって帰宅出来るか判らない。此の美食家の和臣が作る料理の味を信用して居ない訳では無い、人間性を信用して居ないだけの話。抑に馨は、他人を信用して居ない。実の母親でも、諍いがあった日の食事は警戒する、其れ程迄に馨は、他人と云う者を信用して居なかった。




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