酒と思い出
酒は案の定、産地から想像しての通り甘かった。馨は辛口が好きで、米の甘さに眉を顰めてみたがまあ飲めない事も無く、和臣はと云うと気に入った様子だった。
「俺、洋酒派なんだけど、日本酒は甘いのが好きなんだよ。」
「おやまあ、不思議な味覚を為さっておいでですね。」
洋酒は、ブランデーもウィスキーも食道が焼けそうな程アルコールの刺激が強く、芳香も強烈だ。ワインも、ウィスキーやらとは違い、滑らかに食道を通るには通るが舌に強烈な渋味を与える。ラム酒もそう、ビールも苦い、兎に角洋酒は、強い芳香と強い刺激を持つ。
なのに日本酒は、洋酒みたく強烈な辛口もあれば、驚く程米の甘さを全面に出す物もある。
和臣が甘口の日本酒を好むのは、洋酒には無い、日本酒特有の味を楽しみたいからである。
一方で馨は、余り洋酒を嗜まない。精々ワイン。酒と云えば日本酒で、元から甘い菓子等を好まない事もあり、がつんと舌奥を刺激する辛口が好きだった。
持って来た馨はゆっくりと流し、和臣は一口飲むと舌に合うと一気にグラスを空にし、二杯目を注いだ。
文句は無い、始めから和臣にあげた物で、気に入って呉れたのは寧ろ都合良かった。
「熱燗、熱燗にする。」
「益々甘く為りますよ。」
「良いじゃないか、別に。」
本当に気に入ったのか、何時もは不自然に一方だけ釣り上がる口角は両方釣り上がり、目元迄変わって居た。穏やかに丸み帯び、唇等緩み過ぎて一層尖って居る。元から上唇が突き出た形をして居るとこう為るのかと馨は眺めた。
熱燗にする為台所に行って居た和臣は、赤い漆塗りの盆の上に有田焼の大徳利と升を持って戻って来た。
「此れ使え。」
「はあ、どうも。」
升を受け取った馨はちょろっと注ぎ、其れを見た和臣は、馬鹿か御前、と並々注ぎ足した。そして先に一寸塩を盛り、指先に付いた塩を舐めると小さな猪口を煽った。
「塩、塩塩。」
又ふらりと台所に立ち、余りにもじっとして居ない和臣を横目に、黙って飲んだ。
米の甘さ、其れに塩気が調和し、そうだ自分が馬鹿だったんだと、馨は升を置くと目元を隠し項垂れた。
「そうです、塩気は一層甘さを出すんでした…」
「ほ、ほ、ほ。此れぞ日本酒の楽しみ方。辛口の時は、アルコールで水分が蒸発して塩分を欲する。甘口の時は甘いから塩分を欲する。わは、わはは。皆腎臓病に為れ。」
肝臓いわすが早いか腎臓病に為るが早いか、此ればかりは作りの問題、加えて和臣は甘党でもある。
肝臓か腎臓か糖尿か…
嗚呼其の前に肺が先かな、と蒸気機関車の如く煙を吐き出す和臣の口元を見た。
「木島さんは、早死にしそうですね。」
精進料理並の塩分、甘味は嫌いで、酒も飲むときゃ飲むがそう飲まず、煙草等論外、そんな生活送る馨は、完全為る肉食で、暇があればチョコレートを貪り、毎日浴びる程酒を飲み、一時も煙草を手離さぬ真逆の和臣に吐いた。
和臣はゆっくりと猪口を唇から離し、御前みたいな人生送って迄長い等したくない、と紫煙と一緒に酒を飲んだ。
馨とて別に、健康趣向でこんな生活をして居る訳では無い。全て体質の問題、其れでも早死にする時はする。
和臣が馨の生活をすれば一週間で発狂して死に、馨が和臣の生活をすれば一ヶ月で病魔に犯され死ぬ。
死ぬときゃ死ぬ。
だったら好きな事するだけして死にたいでは無いか。
明日死んでも良い様に、今日一日を全力で生きる―――此れが和臣の信念だった。
「抑にだ、俺は我慢が大嫌いなんだ。我慢しなきゃいけないんだったら、俺は死ぬ。」
信念で性格がそうなったと云うより、性格に合わせて信念を作った感じだが、此れは馨も同じである。馨のは信念では無い、唯の性格だった。
「皆好きな事だけして生き様じゃ無いかぁ、わは、わはは。」
「…酔ってらっしゃいます?」
「酒が美味しいのは健康な証拠だ。良し良し、明日も全力で生き様。」
云って和臣はソファに寝転がり、天井に向かい煙を吐いた。
「雪子は…」
和臣の調子はがらりと変わり、天井からゆっくり馨に視線を流した。
「何が楽しくて生きてるんだろうな。」
此れと云った趣味も無し、友人も無い、母親の様に出歩く訳でも無ければ家でずっと息子の面倒を見るだけ。時恵みたく自分勝手に生きて居る訳でも無い。
本当に、何が楽しくて人生生きてるのか常々思って居た。
「んー…」
雪子の普段を知らないので何とも云えないが、和臣がそう云うのだからそうなのだろう、酒を煽った。
「雪子夫人も雪子夫人で、其れなりに楽しいのでは御座いませんか?」
「楽しいのか?見てる俺は詰まらんぞ。」
「まあ、人其々、と云ったら終わりますが、時折御会いする時は輝いでおいでですよ。」
「ふぅん。」
「一度御聞きに為ったら宜しいのではありませんか?」
「いや、聞いたさ。母さんと二人で。したら普通に、ええ、って答えて、此の人達不思議な事聞くのねって顔された。」
「ふふ。」
「で、雪子は修行僧だって結論に達した。」
娯楽を捨て欲望を押し込め、只管に真理を求める修行僧、そんな女なのだと。雪子の真理が一体なんなんのか、嗚呼其れを探して居るのだな、と和臣親子は納得した。
其れを馨に云っても仕方無いので黙って酒を飲んだ。
馨は升を空にし、一番最初に飲んだグラスに残る溶けた氷を飲み、気付いた和臣は無言で又台所に行った。
馨には不思議で堪らない。
台所とは女や女中“のみ”が出入り許される場所で、好き勝手に出入りする和臣が不思議で堪らない。馨は幼少時代から厳しく、母親からは“家庭の台所は女だけが許される場所”、父親からは“女が駐在する場所に入るな”と云われ育った。適当でも料理が出来るとも云ったしで、馨は改めて和臣を不思議な生き物と捉えた。
次に戻って来た和臣は、ビール瓶を口に付けた侭、もう片方の手に持つ瓶を馨に渡した。
「日本酒の残りは持って帰れ。」
「置いて帰りますよ、重たいですから。」
「時に相談だが加納。」
「はい。」
ちゃぽんと、互いの口から離したら瓶から音が響いた。
「場所変わって呉れないか。」
馨が返事をする迄、和臣は何度も瓶を傾けた。
「ええ、構いませんが。」
「悪いな、こっちのソファじゃ無いと落ち着かない。其れとも。」
立ち上がった馨と入れ替わりに座ろうとした和臣だが、一旦腰を伸ばした。
「俺の部屋来るか?」
「え?」
「いや、此処、雪子居ないからこっち居るけど、靴脱がないだろう。俺の部屋は和室だから脱ぐんだよ。」
「嗚呼、そうですね。はい、云われてみれば。」
何の違和感も無かった為気付かなかったが、馨の足には靴がしっかりあった。本当に、云われる迄気付きもしなかった。
「本邸と実家…此処な?は、父さんの趣味で靴を脱がない設計に為ってる。三邸…今の自宅は日本家屋だから靴脱ぐんだけど、しまったな、向こう行けば良かった。癖でこっち来ちゃった。」
「おやまあ、家が沢山あると、大変ですね…?」
「…此の敷地から外には無い…」
「そう云う事にして於きましょう。」
馨の嫌味に和臣は唇突き出し、ちゃぽんちゃぽんと音を鳴らした。
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