汝、ヴィクトリア
知らない場所に知らない人間。「買物をしてくるから待って居為さい」そう云われ待って居たのだが、母が戻って来る気配は全く無い。
夕日が沈み、辺りが暗くなるにつれ、人の雰囲気も変わり始めた。其れにあたしは恐怖を感じ、膝を抱えて座った。
ずっと其処に居るあたしを不審に思ったのか、シャッターを閉めた女が声を掛けて来た。けれどあたしに言葉は無く、答える事は出来無かった。「変な子」と一言云うと、女はヒールを鳴らし歩いて行った。
ヒールの音が聞こえる度、あたしは母が戻って来たのでは無いかと期待を膨らませ顔を上げたが、見えるのは軽蔑を孕んだ目だけだった。
知った。
母はもう戻って来ないと。
周りの店のシャッターが全部閉まった頃、其れを確信すると人目に付かない、店と店の間に姿を消した。
不思議と空腹感は無かった。
そんな事を感じる余裕も無い程、あたしは母から精神的苦痛を受けた。
冬で無かったのがせめてもの救いで、あたしは地面に横たわり、数日間其処で過ごした。
動く事が出来ず、何か食べれば良かったのだろうが、其の感覚も無く、衰弱していった。
後、数日其処に居たら、あたしは母の望み通り死んでいた。眠っていたあたしは死体と間違えられ、保安官に引き擦り出された。あたしは驚か無かったが、死体が動いたというので保安官は驚いていた。
「君、生きてるの?」
あたしは小さく頷くと、又眠った。
「一寸!寝たら駄目だよ!死ぬよ!?」
其の後馬車に乗せられ、病院に連れて行かれた。衰弱しきっていたあたしはまともに食事が出来ず、ベッドの上でずっと寝ていた。
数日経っただろうか、目覚めると見知った顔があった。
「ヴィッキー…?」
ステファーヌだった。
あたしは幻覚と思い、笑った。
神様も、趣味の悪い幻覚を見せる。
エイダが母親だったら、ステファーヌが母親だったら、あたしはどれ程幸せだっただろうか。次生まれる時は、幸せになりたい、そう思い、あたしは又眠った。
此れが、彼女を見た最後だった。
母親で無いステファーヌの面会を病院側が拒んだのだ。酷い事に、母があたしを捨てたのは彼女や他の女達の所為となった。
あたしが母親に懐かないのは周りの所為で、其れが淋しく辛く当たり、結果捨ててしまったと母は涙ながら訴えたそう。母の容姿なら、保安官や警察、弁護士迄も味方に付ける事が容易である。
しかし、皆母に同情し、ステファーヌ達に処罰を下そうとする中、一人の保安官が其の嘘を簡単に見破った。
見破った理由は、あたしが少し仏蘭西語を理解していたからだ。もしステファーヌ達があたしに虐待を繰り返し、此の結果を招いたのなら、仏蘭西語を理解出来る筈が無いと主張した。其の保安官は仏蘭西語が出来、あたしが寝ている時は、子守唄を歌っていた。其の時のあたしは、天使の様な顔で寝ていたらしく、他の女、ましてやステファーヌの虐待は絶対に有り得無いと弁護士に言い放ち、母の嘘は見破られた。
瞬間母は本性を表し、汚い言葉と共にあたしへの罵声も止め無かった。裁判は進行出来ず、結局母の裁判放棄に依り、親権を剥奪された。母が其れを望んでいたので剥奪というのはおかしいかも知れないが、裁判所側の強行審判に依って決まったので、矢張り剥奪なのだろう。
あたしは、生まれてから木槌が鳴り終わった時迄、一度も戸籍上母だった人から名前を呼んで貰った事は無い。
そうしてあたしは孤児院で生き、其の一ヶ月後、黒髪の神と出会った。
此れがあたし、井上琥珀の序章になります。
〔
*prev|4/4|
next#〕
T-ss