おぜうさんと本郷家


足の裏に感じる板の冷たさ。きしりきしりと小さく鳴り、其の音は、若しかしたら初めて時恵は聞いたかも知れない。
結婚したら新しく家を建ててやると木島は云っていた。此の造りは中々に素敵だと、時恵は辺りを見渡しながら客間迄向かった。初めて龍太郎が木島邸を見た時と同じ様に。
「珍しいかい?」
辺りを見渡す時恵に母親は笑い、ええと頷いた。
「私達からしてみたら、木島邸の方が珍しいけれどもね。」
「父は西洋被れなもので。」
嫌いではないと母親は笑い、客間に着いた。障子に手を置いた侭母親は動かず、時恵は首を傾げた。
「あのね、時恵さん。」
「はい。」
「うちの人、凄い変わり者でね。」
時恵に会わせるのを躊躇っている。変わり者には慣れていると笑う時恵に、そうでは無いと口篭る。母親が如何いうつもりでそう云ったか判る龍太郎は息を吐き、勝手に障子を開いた。
「御無沙汰を、父さん。」
「礼儀も知らんのか、龍太郎。」
膝を付いている時恵と母親に対し、龍太郎はふてぶてしく立ち、父親を見ている。中から流れる煙草の臭い。龍太郎の所為で父親の姿は見えないが、時恵は身体に震えを感じた。初めて龍太郎を見た時と同じ気迫がある。
「木島時恵と申します。」
額を付いた時恵に父親は顔を逸らし、小さく溜息を吐いた。
「木島、ね。」
母親とは正反対の態度。素直に恐怖を感じた。
「選りに選って…」
吐かれた言葉。矢張り反対されているのだと、涙が浮かびそうになる。
「父さん。」
「何だ。」
「御嬢さんに恐怖を与えるのは止めて頂けますか。」
「勝手に其の娘が怯えているだけだろう。」
確かに勝手にそうなっているのは時恵なのだが、此の父親の態度に怯えない人間は居ないのでは無いかと、母親は時恵の肩を触った。
「御免な、時恵さん。気分悪いだろう。」
「いいえ、覚悟はしておりましたから。」
険悪な空気が漂い、龍太郎は父親に寄った。両肩に手を置き、揺さ振った。
瞬間、時恵は耳を疑った。此れが、龍太郎の、そして在の父親の声なのだろうか。
「ねえ、父さん。結婚して良いでしょう。」
「駄目。全然駄目。」
「御嬢さんと結婚しなかったら俺、一生独身ですよ。其れは可哀相と思いませんか。」
「木島の娘じゃ無かったら良いよ。」
「別に、婿に入る訳では無いですよ。ねー、許して下さいよぅ。」
猫撫で声で許しを貰う龍太郎。父親は何だか嬉しそうに顔を綻ばせている。笑った顔が、本当に似ていた。
「明治も四十年過ぎているんですよ。やがて半世紀ですよ。父さん、しつこいです。」
「仲間が何人木島に殺されたと思ってるんだ。」
「父さんが嫌いなのは先生でしょう。御嬢さん関係ありませんよね。」
甘え、肩を揉む龍太郎。父親に強請りをする時、龍太郎はこうなると母親は時恵に教えた。そうして顔を緩ませた場合、父親は満更では無いという事も教えた。
母親は時恵に片目瞑ると、父親に寄った。
「ねえあんたぁ。可愛い龍太郎に可愛い嫁さん拵えたいだろう。こんな娘さん、何処探しても居ないよ。」
「ねえ父さぁん。御願いしますよ。」
「反対するなら、あんた。余生を一人で過ごしな。そうしたら龍太郎に結婚させ様って思うよ。寂しいよ、一人は。」
「其れは大変だ。父さん、餓死しますよ。」
母親からも云われ、父親は緩む顔を隠す様に、ううんと唸った。
「そうそう。時恵さんからね、カステヰラ貰ったんだよ。」
「何!?カステヰラ!?」
「あんた、好きだろう。食べたいだろう?」
時恵の手土産、父親には良かった様で、父親は驚いた顔で時恵を見た。
流石は木島、好物を良く調べ上げたなと、煙草を咥える。そうしてじっと時恵を見た。ぽけっと首を傾げる時恵に、龍太郎は視線を煙草に向け、顎を動かした。
父親がマッチ箱を取る前に時恵は取り、静かに火を点けた。時恵を見た侭ゆっくりと煙を吐き、父親は不満そうな顔で、渋々頷いた。
時恵に対して不満がある訳では無い。唯、自尊心が許さ無かった。其の自尊心を崩したのは、時恵の笑顔と、
「火を点けましたの、初めてですわ。父にもした事御座居ませんもの、ふふ。」
という言葉だった。
可愛いじゃないか、と父親は呟いた。




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