切り取られた風景(前)
人気が無いから一番最初、前座に似た扱いを受ける伝統音楽学科だが緊張は同じだった。講堂に其の侭外の風景を持って来た様なセットで、新しく赴任した師範の意気込みに又緊張を覚えた。
「宜しか自分等、伝統音楽こそ至高の音やと、歌謡曲に寝惚ける頭に打ち込むんやで。」
ステージ脇で三味線抱え緊張に震える隆臣は師範の言葉等頭には入らず、何度も廉太郎の肩に頭を打ち付けて居た。
性格は活発だが重度の上がり症の隆臣は指先から血の気引かし、師匠御願いします師匠怖いです助けて下さいと、写真に頼み込んで居る。侑徒が数ヶ月前、御天道様に頼み込んだ時と同じ様に無駄な行為を繰り返した。
そんな隆臣に廉太郎は呆れた息を漏らし、ステージ脇から客席を覗いた。中央席は新入生で埋まって居るが、上手と下手は一般客である。其の上手の前列に侑徒は座って居た。年配の男を左に、ステージから自分の姿を隠す様に侑徒は居た。
「美奈、美奈子。」
出番は取りだが、隆臣が出る為控え室では無くステージ裏に居た美奈子に廉太郎は慌てて寄り、友人と談笑して居る中無理矢理腕を引いた。相変わらず写真の師匠に縋り付く隆臣に美奈子は大丈夫と励まし、然し耳には入っておらず、其れが良かった。廉太郎は上手の奥を指した。
「彼奴や。」
パンフレットに目を通し、顔を寄せ合い叔父と談笑する侑徒の姿を見た美奈子は、一瞬在れが、と歯軋りしたが、良く目を凝らして見ると放出した。小さな唸りを繰り返し、額を叩き、廉太郎を見た。
「在の、美人。」
「せや、彼奴や。あんな別嬪、強烈や。」
「馬鹿か。」
廉太郎の言葉に踊らされ心配した自分が馬鹿だったと奇麗に整えた髪を揺らした。
「在の人、男だよ。」
「は…………?」
美奈子の辟易した口調に廉太郎は唖然とし、然し横に居る男とは丸で恋人同士では無いかと詰め寄った。
「在れねぇ、本当、私も最初女の人だと思ったよ。でも残念、正真正銘男です。侑徒って名前だよ。」
下らないとステージ裏に戻った美奈子に声を掛けられない程廉太郎は衝撃を受け、隆臣の浮気が全く嘘出鱈目だと知った美奈子は安堵で笑いが漏れた。腑に落ちない廉太郎は隆臣を叩き、無理矢理客席に顔を向かせると侑徒の姿を見せた。
叔父と談笑する侑徒、結局侑徒は叔父の所で世話に為る事を決め、今では医学生である。侑徒の姿を見た隆臣は一瞬にして緊張が消え、ステージ脇から侑徒を眺めた。其れは丸で女学生が物陰から好いた男を眺める様な、そんな不気味さがあった。
叔父からふっと、ステージに顔を向けた侑徒は見事な桜に口を半開き、視線を横に流した。すると、気付いたと今にも聞こえそうな程隆臣は両腕を振り、侑徒の後ろに座る客に失笑買って居た。
「阿呆や。」
侑徒の声に叔父はパンフレットから侑徒の視線先に顔を向け、言葉通り阿呆な姿晒す隆臣に、本当に友人なのか聞いた。違うと侑徒は首を振り、隆臣から顔ごと逸らした。
「又、無視された…」
「彼奴、誰や。」
「侑徒だよ、友達。」
廉太郎の豪快な笑い声は侑徒に迄聞こえ、新入生達迄もステージ脇に目を向けたので、二人は慌ててカーテンに隠れ、尚且つ師範に緊張感が無いと怒られた。緊張なら嫌と云う程あると隆臣は震える指を師範に向け、すると師範は叩き払い、緊張し過ぎやと又怒りを見せた。結局何をしても怒られるのでは無いかと講堂に鳴り響いた開始音を聞いた。ゆっくりと客席の明かりが落ち、講堂は一瞬の暗黒を隆臣に見せた。強く目を瞑り、三味線を持ち直した隆臣の手に美奈子の手が触れた。
「頑張って。」
「有難う。」
緊張で冷たく為った隆臣の頬に美奈子はキッスを一度し、唇を離した。普段なら此れで緊張が解れる筈が、侑徒が居る所為だろうか、ステージに座った隆臣は緊張で息苦しさを覚えた。淡い照明の中で見た侑徒の姿、垂れた目は伏せられ、其の音を聞いて居た。
撥を持つ手が震える、力の入らない指先で必死に弦を押さえ、普段とは全く違う弱々しい隆臣の三味線に美奈子は下唇を噛んだ。師範も其の音に呆れ果て、溜息と共に首を振った。
「鼓の音に負けてるやないの。」
隆臣自身判って居た、こんな音は自分の音では無いと。時折感じる刺す様な廉太郎の視線、其れよりも、前から感じた視線に隆臣は顔を上げた。生気の無い侑徒の目が向けられ、知った隆臣は一瞬にして身体を熱くさせた。細い指先は唇で遊び、重なる叔父の手、其れに応える様に侑徒の指は叔父の指に絡み、静かに顔を寄せると知れず唇を重ねた。
「彼、若いのに、よぅ黒紋付が似合うてはるわ。」
「音は最悪やわ…」
「せやかて侑徒、食い入る様に見てんで…?」
叔父の言葉に侑徒は眉を潜め、弱く肩を押すとステージに目を向けた。以降自分と全く視線を合わせない侑徒に叔父は息を漏らし、侑徒を見る事無く席を立った。叔父の動きを目で追った侑徒は薄く口角を上げ、薄い笑みを浮かべた侭隆臣に視線を流した。其の艶に隆臣は陶酔感を知った。足からは力が抜け、背中に虫が這い上がる感覚を覚え、見せ付けられた侑徒と叔父の倒錯的行為に、信じられないが性的興奮を覚えた。そんな事を感じて居る場合では無いのに、此の無数の観客の中で性的興奮を覚えた自分に又興奮を覚えた。こんな大衆の中で自分は一体何と云う変態であろうと、三味線の音みたく身体には快楽が走った。
「興奮して来た…」
三味線の音に隆臣の声が小さく重なり、気付いた廉太郎は視線を向けた。瞬間火の粉噴いた様に三味線の音は強く為り、隆臣の音に合わせ弱く弾いて居た廉太郎は肩に力を入れた。べやんべやんと弱々しく鳴って居た三味線が行き成りででんと強く聞こえた物だから、前列に居た新入生達は瞬きを繰り返した。牛の欠伸の方が未だ活気があると聞いて居た侑徒だが、聞こえた音に隆臣の腕を痛感した。三味線と一体化した隆臣に美奈子は安堵し、師範も漸く調子が出た、遅いが、と笑みを漏らした。
恋に狂った女の一生を曲で表し、廉太郎の琴は男の心情、一番大事な女の心情を表すのは隆臣の三味線であった。其れが弱々しいのだから師範がやきもきしたのは当然で、廉太郎、詰まり男の心情が三味線より強いと意味は無いので力を弱めて見るが、そうすると今度は主役二人が居ない状況に為る為四苦八苦して居た。狂おしい程三味線の音は鳴り響き、此の曲の最高潮、散々弄んだ男へ女は恨み言残し海へと消える、其の情景が侑徒の瞼裏には映った。雪が深々と降る其の中で氷の様な海へ、身体の熱を轟々と巻き、沈む。そして女は夜叉と成り、男を一生苦しめ結局男は其の罪悪感と夜叉に疲れ果て同じ様に海に沈むと云う、何とも後味悪い曲である。何故そんな曲を選んだのか、選曲した師範の性格を伺える。
隆臣は弾き乍ら思った。
今正に自分は、此の男と同じだと。
曲中の男には妻がおり、此れは美奈子に変換された。女は勿論、侑徒である。
然し侑徒も思って居た。
「狂おしわな…」
椅子に凭れ、目を閉じた侑徒は、女が氷の海に身投げした様に呼吸を止めた。
可愛さ余って憎さ百倍、曲中の女の心情は其れで、隆臣に対する侑徒の感情は良く似て居た。
恋人が居るにも関わらず自分を誘う隆臣、自分ははっきりと同性にしか興味が無いと伝えた。
其れの行く付く先。
夜叉に取り憑かれ生気失った男は吸い込まれる様に身投げし、高笑う夜叉の声に侑徒は目を開けた。
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