切り取られた風景(中)
ステンドグラスの光を屈折させる鉢を眺めて居た。こつんと爪で叩くとぼぅんと面白い音がし、然し侑徒に顔を近付ける金魚は警戒心で、びゅん、鉢を一周する。
こつん、ぼぅん、びゅん。
こつん、ぼぅん、びゅん…。
こつん、ぼぅん、びゅん………。
最初は面白かったのだが、途中から飽きて来た。侑徒を窺う金魚は、父親を見る自分に見えた。挙動不審に目を上げ、一寸でも侑徒が動くと全ての動きを止めた。息さえも止めた。
其れでも遣って来るのなら「嗚呼、隆臣が渡しただけの奴やな」と思うのだが、生憎侑徒に似て居る。村田はんの所で買った餌を遣ると、金魚はゆっくり浮上し、一度口に入れると出す。何度も繰り返し、そう遣って食べると村田はんが教えて呉れた。面倒臭いやっちゃな、と思うが村田はんが云うには、金魚は自分達見たく歯茎に歯がある訳では無く、喉の所にあるから何度も出し入れしなければ為らない、らしい。金魚も中々難儀な人生である、と侑徒は思った。
「俺やったら御前何か、つるーんやで。」
笑って侑徒は云った。相変わらず金魚は口から泡を出す。もっと他に芸は無いのか、然し見て居て飽きない。見れば見る程隆臣に似て居た。
隆臣が魚顔と云って居る訳では無い。茹卵に目鼻、白くは無いがつるんとした瑞々しい肌に黒い目が点々、其の間からすらりと上向く鼻筋が聳え、普段はそう主張しない口元は開けば顔一杯に広がる。
背中の何と奇麗な事だったか。
産毛をうっすら生やし、筋肉浮かし、腰はきつく絞まって居た。手足に至っては女子の様に滑らかで、産毛より少し濃い体毛が流れて居た。
と云うのも、隆臣は何方かと云うと色黒で、体毛が余り目立たないだけで、侑徒みたく全くの女子体質、な訳では無い。
体毛を主張さすのは廉太郎や叔父である。彼等は隆臣に比べたら色白く、体毛がはっきり見て判る。叔父の膨ら脛を見た時、侑徒は驚いた。男の身体を自分以外知らない侑徒は(父親は常にスラックスを履き、寝る時はパジャマであるので、足等見ない)、叔父が見せた膨ら脛に密集する黒々光る体毛に肝を潰した。表なら未だしも、裏に迄密集して居るのだ。
高校時代一度、クラスメイトが「脛毛が生えた」と裾捲り、見せて居た。其れでも侑徒は驚いた位なのだ。するとクラスメイトは事もあろうか、其の脛の毛を掌でぐるぐると捏ね始め、出来た塊に「蟻」と笑った。其のクラスメイトの友人達は「阿呆ちゃうか」と笑い転げ、本人は「生えたら絶対しよ思てたん」と腕にも同じ物を作った。そして、「阿呆ちゃうかー」と今度は失笑買って居た。
叔父では其の蟻を、身体の至る所で作れた。胸元にも毛は生え、少し肉の乗る腹部に生える毛に至っては陰毛と繋がる。背中には何故か無かった。
自分が全くの無毛だからだろうか、黒々とした体毛を見せる男は魅力的に映った。濃い体毛に男の主張たる物感じ、セクシャリズムと云うかダンディズムと云うか、女子が嫌がる要因だが侑徒の興奮を呼ぶには充分だった。
其の点、隆臣は、叔父とも廉太郎とも違って居た。膨ら脛に毛が無い、と云うと「普通は無いんじゃ無いかな」と返す始末。
体毛に魅力感じる侑徒だが、隆臣だけは別だった。此のつるんとした肌も背中も肢体も、又違う魅力があった。汗ばんだ首筋からする甘酸っぱい其の体臭も好きだった。
叔父は、体臭無い人だったと記憶するが年を重ねる事に加齢臭が来た。でも、此れも嫌いでは無かった。中年には中年の魅力がある。
昔は細かったが、段々と脂肪を乗せ、程良く肉が付いて居る。横腹は摘める程だ。顎にも薄く肉を乗せ、首を引っ込めると顎が消える。其れが面白かった。年相応に顔にも手にも皺があり、歴史があり、隆臣には無い安心感があった。
其れが又、やっぱ叔父さんがええなぁ、と思わせた。
悪いが隆臣のつるんとした薄い手や瑞々しい顔に安心感は持て無かった。
廉太郎は、中間に位置する男だった。叔父程安心感は無く、隆臣程不安感も無い、本当に、無難な存在。可も無く不可も無く、在れば便利な、そう、水草みたいな。
そんな感じである。
金魚は寝て仕舞ったのか、水草の後ろでじっとして居る。
――俺と付き合わへん?
廉太郎が何故自分にそう云ったのか侑徒は考えた。
――何で?
――暇やから?
暇があるから男と付き合う廉太郎の神経を疑う。
――俺、女と違うしな。
――知っとるわ。此れで女です云われたら引くわ。
――何で引くんや。
――頭良過ぎやもん。
才女と付き合った男、其れは悲惨と云う。ブスでも美女でも、頭は少し垂らない方が男には都合が良い。美奈子みたく完全なすっからかんでは一寸問題。
廉太郎は此れで何度も失敗して居る。
一番最初に付き合った女は、まあ見事な阿呆で、廉太郎が何を云っても笑って居るだけ。「御前阿呆やろ」「あはは、せやな、阿呆や」、会話に為らない。だからと次は自分の意思をしっかり持つ頭の良い女を選んだが、此方は此方で廉太郎の神経を苛立せた。「黙って俺のゆう事聞いとけや」「そんなん古いわ、頭化石か」、此れである。可愛げも糞も無い。
馬鹿な女も頭良い女も、結局云う事は聞かない。隆臣みたく女の云う事に「はいはい」と従う“新人類”に為れば楽なのだろうが、廉太郎は困った事に古風な男である。女に従い生きなければ為らないのなら、潔く自決する。
馬鹿な女は其れと無く男の心地好いツボを刺激するが、所詮其れだけ。会話が成立しない。頭良い女はツボも何も知らない。痛い所はナイフで刺激して呉れるが。
其の点侑徒は、男であるから男の心地好いツボは全て把握して居る。こうすれば男はくらりと来る、嗚呼すればぞくりとする、全て知って居るのだ。
見た目が女みたいなのも、又良かった。
――男、好きなん…?
――いや?全然。
――頭おかしん、自分…
――人生長いんやぁ、女だけの人生ってんも、詰まらんのと違う?
――知らへんよ…
――十年二十年、酒の席でや。俺、男とも付き合うた事あるわぁ、ゆうてみな。受けるで。
――こっちの気も知らんと、ゆうなぁ、自分…
――ゆうてもな?男色が蔑視され始めたのて、明治からやで?其の前見てみぃな。坊主は稚児抱えて、将軍は小姓抱えて、遡るは戦国時代やで。歴史あるんや。
――へぇ。
此れだ、此れなのだ。廉太郎が求めて居たのは此れである。馬鹿な女では「あはは」、頭良い女では「時代が違う」、其の点侑徒は「へぇ」と感心して居る。
薄い唇が「へぇ」、奇麗な顔を小首傾げさし云う。全く何とツボを得て居るか。
――せやからな、暇潰し。隆臣の次でええよ。俺も見てな?
――暇、出来たらな。
――ええなぁ。ほんま、ええなぁ。
廉太郎は繰り返し、小さな爪にキッスをした。其の後は、廉太郎の体臭や体毛が判る様な事をした。
廉太郎の家は、下が魚屋で上が自宅だった。未だ捌いて居ないガッチョウ(鯒)と間八を廉太郎は箱から勝手に持ち出し、其のガッチョウの姿に侑徒は喉から潰れた声を出した。
――なぁあっ
――気っ持悪いやろ。
――嫌ぁ、嫌ぁ…っ
――此れがなぁもう、ほんま旨いんやて。
ガッチョウの姿に気持悪いと繰り返す侑徒だったが、廉太郎が捌き始めた時、食い入る様に見始めた。煙草咥えて居た廉太郎は呆れ、「解剖してんとちゃうで」と床に灰を落とした。
廉太郎が捌いて居る間、暇な侑徒は店先に並ぶ魚を見て居た。
来た時から、廉太郎の父親は侑徒の見た目に気を取られて居た。一見女に見えるが袴を履き、髪は矢鱈長い。等々男に走ったか、しゃーない女に相手にされなんだ、声を張った。
廉太郎が云う様にガッチョウは美味しかった。こりこりとしっかりとした歯応えで、白身魚が好きな侑徒には堪らない物であった。間八も良く脂が乗り、熱い茶に合った。然し侑徒は、専らガッチョウを口に運び、云う事が良い。酒飲みたい、である。イケる口とは思わなかった廉太郎は驚きで箸を止め、時間を見ると夕方、冷蔵庫からキンキンに冷えた日本酒を出した。
――別嬪はんなんになぁ…、親父趣味やしなぁ…
――白身魚食べたら飲みたなんねや。
コップを口に運ぶ姿も女だった。小さいが、コップを空にしガッチョウ食べた侑徒ははたと手を止めた。
――電話、貸して貰える?
――ええよ、階段んとこ。
――おおきに。
叔母に夕方を要らない旨を伝え、戻って来ると又酒、ガッチョウ、繰り返した。
美奈子が侑徒に付けた渾名は“能面坊ちゃん”で、廉太郎はならば“別嬪飲ん兵衛”でどないや、余りの飲みっぷりに煙草を吸う事しか出来無かった。侑徒に食べさす為に捌いたので不満は無いが、見事である。三人分はあったであろう刺身を、酒三合で平らげたのだ。
――廉太郎様々やなぁ。
――嬉しなぁ。
満腹か酒か、侑徒の目は閉じられて居た。
がくんと、身体が落ちた。ノートの上に広がるステンドグラスの色に侑徒は仰け反り、首を鳴らした。金魚は水草に身を隠し寝て居た。
最近暑く為って来たからと、枕が変わって居た。指先を刺激する藺草のざらりとした質感、廉太郎の足を撫でて居る気分に為った。
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