切り取られた風景(中)
「御機嫌よう。」
目の前に現れた美奈子に侑徒は固まった。満面の笑顔で、其れは眩しい物だった。横には、逃げ様とする隆臣、美奈子に腕を掴まれて居る。
「今日は、ええと。」
「美奈子だよ。」
「そうです、美奈子はん。」
美奈子はん、侑徒の薄い唇から出た言葉に、美奈子は「良いなあ良いなあ」と心を和ませた。廉太郎は、美奈、或いは、美奈子、と決して“美奈子はん”等とは呼ばない。初めて“美奈子はん”と呼ばれた美奈子は、隆臣を突き飛ばし、二人切りで会話を楽しみたいと思った。
然しそう行かないのが世である。餡蜜食べたいと隆臣に集られ喫茶店に来た、後から廉太郎も来る。二人切りで会話等、夢の又夢である。
座って良い?と聞かれたので、侑徒は薄く笑った。気不味そうな隆臣を一瞥し、目の前に美奈子の派手顔を見た。
見れば見る程美奈子は派手である。ヘアダイした大きく盛り上げた頭にカチューシャを付け、漆黒の睫毛揺らし、尻迄見えるんじゃ無いかと思う程丈の短いAラインワンピースを着て居る。オレンジの原色で、大きく白い花がプリントされて居る。美奈子が揺れる度覗く耳には飴玉程の青いイヤリング、靴は白だった。
侑徒は云った。
「英吉利のモデルはんに、そんな人居てたなぁ。」
「あ、判る?モデルじゃないよ、女優さん。大好き何だあ、あたし。」
「天と地の差。痴がましいよ。コハク・ヴォイド可哀相。」
「せやせや、其の人。」
美奈子は本当に好きなのか、手帳を広げ、切り抜いた雑誌を見せた。
「本当に奇麗だよねえ。」
「だからさ。」
「隆臣、餡蜜は自分で出しな。」
「はい、御免為さい。幾らでも目指して下さい。」
餡蜜と緑茶、美奈子のショートケーキと珈琲を注文して居た隆臣は注文の口を止め、深々と美奈子に頭を下げた。
「判れば良いぞ。」
満足した美奈子は手帳を閉じ、白い鞄に直した。侑徒はそんな二人に笑い乍ら、ノートに走る手は止めなかった。二人は無言で侑徒を見、矢張り邪魔なのでは無いか、席を外すべきでは無いのか考えた。
「侑徒。」
「何やぁ。」
「俺達、邪魔?」
鉛筆を止めれば未だ可愛げはあるのだが侑徒は其の侭「何で?」と聞いた。
「御勉強、中だから…」
美奈子は恐縮した。勉強して居る人間等、年度末位しか見ない。
「勉強…?いやしてませんよ。」
教科書広げ鉛筆走らすのは勉強では無いのか、二人はそう思うのだが、侑徒にとって此れは勉強の内に入らない。要点を纏めて居るに過ぎず、侑徒が云う“勉強”の姿を見れば、餡蜜一つに頭下げる隆臣も女優に心酔する美奈子も白目向き卒倒する。此れが六年間首席で、京帝大に行く男の日常である。
「此の神経何処に繋がってん…」
教科書に向かい神経だ何だと口動かす侑徒に、二人は固まった。御前の神経が如何かしてるんじゃ無いのか、注文した品が出て来る迄何れ程苦痛だったか、二人の注文品が来ると漸く教科書とノートを直した。
ショートケーキと餡蜜を二人は同時に食べ、同時に顔を緩ませた。侑徒は其れを、珈琲の湯気越しに眺めた。美奈子の派手さには中々慣れず、隆臣は疲れないのかと思う。愛して居ればこそなのか、単に耐久が出来たのか、此の答えは廉太郎が教えて呉れた。
喫茶店に入って来た廉太郎を「おーい、こっちこっちぃ」と美奈子は片腕上げ教えた。其れを見た廉太郎は普段通りに、美奈子の派手さに驚く事無く、席に来た。
「何処に座ったら宜しおすのん?うちぃ。」
袂を持ち、両手揺らし廉太郎は聞いた。
「気持悪…」
何処の芸者だ御前は、と美奈子はショートケーキを一口、隆臣は餡蜜を食べた。
何処に座れと聞かれても、廉太郎が座れる席は侑徒の隣しか無い。隆臣は立つと其処に廉太郎を、侑徒の横に隆臣は座った。
座る為り廉太郎は衿を抜き、暑いなあ、とコーラを頼んだ。帯に挿して居た扇子を開き、胸元に風を送る。そして、鳥の巣頭と罵る美奈子の頭に風を送った。
「崩れるじゃんっ」
「元から汚いしな。」
「一時間掛かるのよ?此の頭っ」
「うっわ、無駄ぁ…」
云って廉太郎は手を早めた。恨みがましく美奈子の後ろ髪は靡き、耳の前に垂れる髪は顔に掛かる。廉太郎からの虐めを無言で受け立ち、無心を極めたのか、其の顔は清々しい程無表情であった。
「ちったぁ、反応しな。鳥の巣。」
「動じないもぉんっ」
「廉太郎、サドだから。」
「動じたら負けだもぉん。」
美奈子の反応が面白く無いのか廉太郎は扇子を閉じた。くるりと手首回すと顎に付け、侑徒をじっと見た。
「侑徒はん。」
「はい。」
「良し、俺の記憶力は良い。」
「御会いした事、ありましたっけ。」
「いんやあ?俺が勝手に二回程見ただけぇ。」
美奈子に“隆臣の浮気相手”と云ったのは廉太郎である。厭らしい笑みを口元に見せた廉太郎に隆臣は渇いた口を緑茶で潤した。
「侑徒、ほら、琴の人。」
「嗚呼。」
思い出した侑徒は開花する様に顔を綻ばせ、目を細めた。
「黒紋付、よぅ似合ぉてはりましたよぉ。」
「ほんまぁ?おおきになぁ。」
「叔父と見に行ったんですけどね、叔父が、在の琴の坊主、若いのに黒がよぅ似合う、ゆうてました。」
隆臣に向けられた言葉であるが、廉太郎に云った事にした。本当は覚えて等居ない。琴が誰であるか、音も大して覚えて居ない。廉太郎は其れを悟ったのか、無言で笑うだけで、口元を隠した。
口を出したのは隆臣である。
「え、叔父さんそんな事云ったの?」
「ゆうたよ。」
「俺は?俺だって黒紋付だったよ?」
侑徒は無言で珈琲を飲み、首を傾げた。美奈子は笑い出し、能面坊ちゃん面白い、とテーブルを叩いた。見た目も派手であれば、遣る事も派手である。廉太郎も鼻で笑い、格が違う、とコーラを飲んだ。
「格?格って何だよっ」
「心意気ぃ?洋服着てはる其方さんとは違うんやぁ?消防車、買うたぁ?」
「煩いっ、未だ買って無いよっ」
「一寸やだ隆臣、本当に在れ買う気?」
「買うよ、絶対買うよ。」
「美奈に買うて貰うのぉ?」
「違うよっ」
「あーやだやだ、下品。大阪とか兵庫なら似合うだろうけど、京都じゃ似合わないよ。」
「抑買って、何処行くねん。消防車に舞妓乗せるんか?だっさ。」
「東京を走るんだよっ、鳥の巣乗せてねっ」
がしゃんと、会話を止めたのは侑徒が置いたカップの音だった。
何を思って居たのか、隆臣はずっと京都に居ると思って居た。美奈子と結婚するのは判って居た筈、大学が終われば東京に戻るのは判って居た筈、なのに何故こんなにも動揺するのか、侑徒は不思議で堪らなかった。
「あ、御免為さい…」
少し飛んだ滴を紙ナプキンで拭き、動揺を見て取られ無い様にした。続けて、と侑徒は云うが、こんな言い争い、誰かに止めて欲しかった為、三人は其々飲んだ。
ショートケーキの銀紙を畳んだ美奈子は一言、学校は何処?、と聞いた。待ってましたと云わんばかりに隆臣は肩揺らし、ふっふっふ、と眼鏡も掛けて居ないのに上げる仕種をした。
侑徒の大学先を聞いただけであり隆臣に聞いた訳では無い。何故御前がそんな顔するんだと、二人は呆れた。
「平伏せよ、愚民がっ」
「煩いんやて、消防車。」
「其れで?侑徒は大学何処?」
美奈子は目の前に座って居る為、隆臣無視し、身を乗り出し聞いた。
侑徒は云いたく無かった。本来なら胸を張って「帝國大です」と云えるのに、云えなく為った辛さ。京帝大、だから何だ、帝國大で無ければ価値は無い。
侑徒の学歴は、無価値な物に為って居た。
「聞いて驚け馬鹿野郎が。」
「だから、隆臣煩い。」
「京都帝國“医大”だあっ」
煙草を咥えて居た廉太郎は噎せ返り、美奈子は珈琲を口から垂れ流した。
「京帝、医大…?」
「いやはや…此れは…」
「凄いだろう、凄いだろうぅ。偏差値三十無い俺等とは次元が違うんだぞぉ。」
「隆臣、止めて…、誇れるもんちゃうし…」
「誇りなよっ、侑徒。其処は自慢して良いよっ。あたしが其れなら自慢して回るよ。」
小さな侑徒の手を美奈子は握り締め、消防車買う様なこんな馬鹿とは即刻縁を切った程が貴方の為、と迄続けた。
「大事な脳味噌、腐っちゃうよ?消防車がうー、うー。」
「良いんです…、もう腐ってますから…」
帝國医大に落ちた阿呆ですから、と萎縮した。
「出ました、帝國医大。凄い凄い。俺、其の問題集見た時、ぞっとした。」
京帝大、なら未だ凄さは判るのだが、帝國大と為ると、嫌味っ垂らしい。がり勉にがり勉を重ね、神経質な顔晒し、赤門を潜る。声を掛ければ「何だね君。気安く話掛けないで呉れ給へ」等と、曇り一つ無い眼鏡を上げ、此方が掴んだ所を手で払いそうなイメージである。髪型は七三で、きっちり締めたシャツにママちゃまが選んだセーターを着て居るに違いない。そして消防車に乗って居るのだ。
いや、待て。消防車は慶應学生のイメージがある。消防車に乗って女の子を帰りに引っ掛ける。
帝國大のがり勉野郎ははて、一体何に乗るのか。
電車が御似合いだ。
都電に揺られ、赤門潜ってろ馬鹿。童貞集団、こら、馬鹿野郎。
隆臣の帝國大学生のイメージはこんな所である。実際は違うのかも知れないが、そんな事隆臣の知った事では無い。隆臣の師匠の旦那がこうなのだから。
「侑徒、受験の前に隆臣に会っちゃったの?」
眉落とし、不安そうな顔で美奈子は侑徒を見上げる。何でも隆臣、受験生の間では“スケーター”と呼ばれる程、会った受験生を次々と第一志望校から滑らせるのだ。此れが又良く滑るのである。隆臣の従兄弟が其れで「隆臣兄ちゃんに会った」「絶対無理」とノイローゼに為った。結果はまあ、伏せて於こう。向かいの受験生も「頼むから隆臣さん、家から出ないで下さい」と念願書をポストに入れた程だ。
美奈子が知るだけでも隆臣の疫に掛かった受験生は十三人、中々の好記録である。
聞いた侑徒は見る見る内に顔が般若面と為り、隆臣を睨み付けた。
「やっぱり…御前の所為や無いか…」
「美奈子、云っちゃ駄目。其れに関して侑徒、ヴィーナスだから。」
「ちゃうしな、ナーヴァスや。アフロディテにも見えるけどな。」
「あたしに会えば良かったのに…」
美奈子は逆の女である。
今更如何仕様も無いが、此れだけは云って於きたい。
「俺の人生…返せや…」
早く東京に帰って、消防車をうーうー。走らせて於け。
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