切り取られた風景(後)
茹卵に目鼻、隆臣の比喩が此れなら、侑徒は豆腐に目鼻だった。其れも絹濾し。同じつるりとした肌であるが、全く似て居ないのである。隆臣の肌に手を合わせると“ぺったり”、掌に馴染む。侑徒の肌は“しっとり”と、肌が相手の手に合う。茹卵の一等品等聞いた事無いが、豆腐の一等品は存在する。少しの加減で崩れるので無いか恐る恐る箸を近付ける、然し崩れない。ひょいと持ち上げられたり出来る。安物の豆腐ではこうは行かない。口に入れると大豆の甘さが鼻奥に広がり、まったりとした舌触り。大豆の甘さがはっきりと判る。
侑徒は全く此れであった。
茹卵は如何遣っても卵、変わらぬ卵の味しかしない。大豆みたく変化見せぇ、と思った所で味に変化は無い。幾ら一等卵であっても、黄身に喉渇くのは変わらない。白身の舌触りも変わらない。全く変化を見せない隆臣に似て居る。
そんな事を、豆腐のそぼろ餡掛けを食べた廉太郎は思った。ねっとりとした餡は掬うと豆腐から引く。生臭い(出汁が魚なのでそう思う)少しの塩気、単独だと豪く粘着質だが、唾液と合わさった口内ではさらりとして居た。
芥子酢味噌では刺激が強過ぎる。
“豆腐の餡掛け”、此れ程侑徒を形容出来る食品は無い。どんな人、と聞かれれば素直に「豆腐の餡掛けみたいな奴」と廉太郎は人に伝えるであろう。
美奈子に云うと渋い顔をされた。“豆腐の餡掛け”よりは“河豚みたい”と。
「何で?」
「河豚って高級でしょ?皆有り難るけど、食べたら実際何て事は無い。実物はそう大した事無いのに言葉が勝手に大きく為ってる。」
美奈子の指摘は中々である。実際侑徒に中味は無い。“橘先生の息子”“京帝医大生”、此れしか無く、侑徒に何か特別な物がある訳では無い。過大な噂に躍らされ、実際見れば何と云う事無い全く詰まらない“生き物”。味は無ければ、毒があると云うでは無いか。
双方を取って“河豚の餡掛け”にし様、等詰まらない結論に至った。
隆臣が其れに納得を見せた。
「判る判る、河豚の餡掛け。」
隆臣が比喩したのは“湯葉”だった。
「薄っぺらいって事?」
「本人は薄っぺらいよ。」
けれど、幾重にも重なればしっかりとする。
「湯葉の、餡掛け?在れ美味しい。」
「豆腐でええやん、せやたら。」
「やっぱり河豚だよ。」
三人はすっかり、侑徒に興味示して居た。あすこ迄自分を持たない人間が珍しくて仕様が無い。何を聞いても「へぇ」「はぁ」「判らへん」としか答えない。然も其の「へぇ」は、小作人や商売人が「へっ」と短く景気良く此方の気迄しゃんと為る様な活気良い物では無く、云い終わるのに二秒程要する欠伸の様な代物。聞いて於き乍ら「嗚呼もう良いや」と思って仕舞う。
侑徒の口から出る「へぇ」は魅力が詰まって居た。桜の花弁が落ちる時、在れは屹度「へぇへぇ…」と落ちて居る。はんなりとした動作だが、裏を返せば唯々とろいのである。
「ほんなら出よか。」
時計を見た廉太郎は昼休みが終わりに為る事を二人に知らせた。
「へぇ。」
「はぁ。」
二人はのっそり、侑徒の“はんなり動作”(三人でこう呼ぶ事にした)で椅子から立った。侑徒がすれば、頭を擡げた花が太陽に向くみたく自然な魅力ある動作だったが、美奈子と隆臣がすれば、老人が「嗚呼どっこらしょ」「嗚呼しんど」と立ち上がって居るとしか見えない。
頭は鳥の巣な派手女、血色の良い三味線担いだ男、薄気味悪い眼鏡を掛けた男、そんな集団が白昼のっそのっそと道を歩き、本人達ははんなり動作をして居る積もりだが、異常な光景である。後方からの擦れ違い様、三人を視界に入れた子供が「うわぁ、嫌ぁなもん」と云って踵を返した位。
「何が違うんだろう…」
隆臣は唸った。
「廉太郎が不気味だからじゃない?」
美奈子は云う。
「ちょい待ちな。何で俺やの。」
扇子開き、廉太郎は熱さを凌いだ。
隆臣はじっと廉太郎を見、胡散臭い、そう云った。
「詐欺師みたいな顔してる。」
「はあ?何処がや。美男や。」
「其の目に眼鏡って、詐欺師っぽいよ。」
「目ぇ悪いんやぁ、しゃぁないやろ。」
「其の長い髪も変だよね、侑徒より長いもん。」
「大体思うけど、何なの?其の髪型。平安時代の貴族みたい。」
廉太郎の髪型は矢鱈と長い。前髪はきっかり真ん中から左右に流れ、結ぶなら結ぶで高い位置で結べば良い物、下の方で結んで居る為、前から見たらふんわりと背中で広がって居る。何でも、高い位置で結べば引っ張られる為頭痛がし、然し結ばなければ下を向いた時垂れる為琴を弾く時邪魔に為る。そうして考えた結果、下の方で結ぶと云う格好悪い髪型に為った。美奈子は常々、此の髪型程“ダサい”物は無いと感じて居る。邪魔であるなら切れば良いのに、廉太郎も鬱陶しい男で、其れは嫌と云う。
因みに、侑徒が付けた廉太郎の渾名は“麿”である。
今日は何時もの黒ゴムと違い、赤いリボン何ぞで結んで居る。一層“ダサい”。
「あ、せや。」
「何?」
ふと足を止め、廉太郎は数歩下がった。
「御免、俺、約束あったわ。」
「何?デート?サボるんだ。せーんせにゆってやろー。」
「いーけないだー、いけないんだ。」
廉太郎に此れと云った女の噂が無い事知る二人は存分にからかい、然し。
「そ、デート。ほんなら。」
扇子くるりと帯に差し、背中を見せた。
「は…?」
隆臣は背中を掴み、美奈子は前に立ち塞がり、廉太郎を阻止した。
「おい麿眼鏡、持てなさ過ぎて等々妄想か?」
胸倉掴む美奈子に「チンピラや」と冷めた目を向け、暢気に時計を見た。
廉太郎に恋人等面白く無い二人は、何が何でもデートに行かせ様とはせず、行くのであれば妨害して遣ると脅迫した。
「眼鏡割るぞ。」
「美奈、過激。はんなり行こや。」
「無理、行かせない。」
「ちょぉほんま離してな。遅れるわ。」
「恋人出来たなら云えば良いじゃん、水臭い。」
「そうそう、久し振りに春が来たんだから、友人として祝福するよ。」
何時出来たかは知らないが、何も云って呉れない事に寂しさを二人は感じて居た。見せろとは云わない、名前も云いたい時で良い、でも全くの知らせ無しは寂しい物がある。
廉太郎は薄く笑い、目を伏せた侭美奈子の手を解いた。
「恋人とか、そんなんちゃうから。」
「友達?」
「友達、まあ友達やな。寝たけど。恋人や無いな。」
廉太郎自ら自分の手を解いて呉れて良かったと思った。隆臣の所為でか、そう云う関係を汚く感じて仕舞う美奈子は睨み付ける様に廉太郎を見て仕舞った。そんな視線に廉太郎は数回頷く。
「せやからよぅ云わなんだ。美奈、嫌いやし。やぁなもん、一々聞かすんわ、こっちもやぁやわな。軽蔑してもええよ、俺も汚い事してるて判てるわ。」
「だったら、何で?」
「河豚やから、かな。」
「は?」
「ほんま遅れるし、ほんならな。」
ちらりと隆臣を見、廉太郎は足を進めた。毛先が揺れる度揺れるリボン、隆臣は其れを何処かで見た記憶があった。
在れは何処でだったか―――。
――包装紙、青いんだ?だったらリボンは赤にし様かな。黄色が良いかな…。でも赤の方が…
数日前、チョコレートを買った時店員とそんな会話をした記憶がある。レジの向こうで揺れる赤いリボン、包装する店員の頭の前にはピンクや緑、黄、水色の巻き状のリボンが並ぶ。
そうだ、思い出した―――。
侑徒との会話。
――青に赤ぃのて、目ぇ痛いなぁ。
――金色の包装紙なら茶色にしたけど。
――嗚呼、ゴディバ?
――俺に望まないでね?
――買えるんか?自分。
――一番安い奴なら良いよ…?
――そんなん食べた気ぃせぇへんやんか。薄い四角い奴四枚やで。
薄い唇に付く濃厚なチョコレート、其のチョコレートは赤い何かが入って居た。
「ゴディバちゃうけど、旨かったで…?」
廉太郎の口の動きに、隆臣ははっとした。
「廉太郎…?」
其のリボン、一体何処から持って来たんだ。
手を伸ばし、するりと今直ぐ返して欲しかった。
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