敬作の目
御機嫌やふ、おぜうさん方。本郷元帥に心酔に心酔を重ねる、忠犬野中です。
今日はまあ何と云いますか、休みなのですが、本郷元帥を並びに上層部が仕事とすると云うので、忠犬のワタクシと致しましては主人が働いて居るのに家で寝ているのは申し訳無い、如何な物かと、馳せ参じた次第です。
折角来たのですが、私を見る為り本郷元帥は「嗚呼…来たんだ…」「来ちゃったんだ…?」と一瞬曇り、然し数秒後、「御早う野中」と笑顔頂きました。
あれ…?俺、アウェイ…?
「何か御手伝いは。」
「んー。」
本郷元帥の顔は「御前が居ないからしたいんだけどな」と云って居ます。
「あー。あ、小野田…っ」
「うえ…っ」
呼ばれた小野田大臣、持って居た箱を落とし掛けたのです。
「野中、小野田の手伝いをしろ。」
「良いですよ、別に。」
「御持ちしますっ」
「良い、あっち行って。」
小野田大臣は、私が余り好きでは無い様子。まあ、納得はします。彼は長年、本郷元帥のセカンド・ライトハンドでしたので(一番の右腕は井上さん)、行き成り現れた私に役目を奪われるのは、私が彼でしたら良い気はしません。
然し、しょんぼり。そうして居ますと五十嵐大佐が暢気に口笛吹き吹き、スキップうきうきで現れたのです。
脳天気コンビ、今日はばらばらの様です。
「五十嵐大佐っ」
「うわ…っ。…何だ野中か…。じゃない、野中元帥。」
此れで私が、影で「野中の糞野郎」と云われて居るのが想像出来ます。
五十嵐大佐はちろりと私を一瞥、スキップ無くして去ろうとしました。
「あ…あの…っ」
「え?何です?忙しいんですけど。えっ?」
思わず掴んだ背中ですが、五十嵐大佐の此の「え?えっ?」と恫喝に近い口癖を聞くとしおしおと離して仕舞いました。
此れが、今の陸軍元帥の、肝です。情けない。
「何で居るんですか。えっ?」
「ええと、ですね…」
「忙しいんです、する事無いなら帰ったら如何ですか。」
今日は休みだろうが、云い残し大佐は消えました。口笛も消えました。余程私は邪魔な様です。
益々しょんぼり、五十嵐大佐の云う通り休みなのですから帰ろうか如何仕様か迷って居ると、前方から、嗚呼、仏の右腕、井上さん。
私の頭痛を一瞬で治したので、ひっそりと「薬師如来」と渾名付けました。何でも井上さん、大変な偏頭痛持ちで、江戸より続く妙薬を持ち歩いて居る、全くの薬師如来っぷりです。五十嵐さんの手荒れも治します。元帥の憤怒も一瞬、瞬くの間に鎮火さすのです。
流石です、流石仏の右腕薬師如来。
「薬師如…じゃない、井上さんっ」
井上さん、昔は大佐に迄行った、其れは素晴らしい軍人です。
元帥の統率力と彼の策略で、向かう所敵無しの存在でした。
今はのんびり、無職を謳歌して居ます。娘程離れた若い奥方と共に…。
基地に居る時は大抵元帥に呼ばれた時、なので今日、大事な仕事をして居る事を益々知るのです。
私を見付ける為り井上さんは、ぎっと巣窟の眼を向けます。
「うぜぇ奴だな、頭痛ぇんだよ、帰れ。俺に迄尻尾振ってんじゃねえよ。」
井上さんの浅草訛り、目茶苦茶怖いんです。詰まり、目茶苦茶機嫌悪いってんだ畜生べらぼうめ。
そう云えば元帥も下町育ちなのに訛りがありません。ええトコの坊ちゃんなのでしょうね。
…井上さんが、ええトコの坊ちゃんでは無いと云って居る訳ではありませんよ…?
金には不自由して居ない、生活を見れば判ります。
「あの、井上さんっ」
「何だよ、頭痛ぇ時に突っ掛かって来んなよ。」
「皆さん、今日は何をされて居るんですか?」
薬師如来の顔が土色に変化しました。
「何…?」
「御忙しいのは判ります。休日返上で。」
だからこそ、私を使えば良いのです。
私は元帥の右腕には為れない、重々承知して居ます。だったらと、雑用位は喜んで、尻尾振り振り受けます。
今日の皆さんの態度、私は痛いです。
数ヶ月一寸位ででかい面するな、と云われない様、まあ元々私はでかい面等しませんが、少しでも溶け込む様に努力はした積もりです。
「野中」で良いんです。「元帥」何て、黒い軍服を着る皆さんが、私を敬う等、そんな馬鹿な話、ありません。
「私、何かしましたか…?」
「何で?何かしたのかよ。」
「いいえ…」
「じゃあ考えるの馬鹿臭ぇだろうがよ。」
「ですが。」
「俺、忙しいんだわ。行って良い?」
「はい、済みません…」
廊下に響く靴音、一層虚しさを覚えたのです。
世界には、私一人だけしか居ない様な、そんな虚しさを、十二月の空気を溜め込む寒々しい廊下は教えるのです。
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