絵師と父親


人間の汚さ全てと云う様な男の濁った目。俺は其の目に、或る種同じ物を感じた。低く笑う男は、矢張り無口で、気味悪い。
「拓也は本当にサディズムだね。」
嬉しそうに笑う男。
「そう…でしょうか…」
頷く男は、自分と同じ匂いがして面白いと云う。思考が似ているらしい。
「女の…よがり狂う様が好きで溜まらない…だから俺は紙に収めるんだ…」
俺は、身体に記憶する。
「一般的に色事は、男の慾を吐いて終わりとする。けれど俺は、そんなのに興味は無いね。俺は、身体で快楽を求めない。」
ならば、一体何処で。
男の白い細い指は、頭を数回小突く。濁る目は揺れ、加虐の楽しさを俺に教える。
「久し振りに…似た人間を見た。」
俗に変態と呼ばれる男は、其れは嬉しそうに血色の悪い顔に皺を作る。其の顔に俺は悪い波動を肌に感じてならない。
「俺は…変態ですか…?」
吊り上がる口角はゆっくりと近付き、鼻で笑う息を知る。
「十八でそうなら、此れから如何なるんだよ。」
そんなの、俺が聞きたい。
尤も、男がこんな絵を描き初めたのは俺が生まれる前、未だ一桁の年の頃。大概変態だ。
濁る目に俺の顔が映り、其れ見ると自分がどんなに汚い人間か知る。俺の目にも男の姿が映っているのだろう。男は唯じっと俺の目を見ていた。
互いに、目を見ているのだが、其れは映る己の姿を見るだけで、焦点は全く合っていない。濁った世界に居る自分に、俺は途方も無い悦を感じた。
真の姿な気がした。
姉さんを抱く度俺は汚れていく。知っているのに、綺麗な姉さんの目に映る俺は余りに綺麗で、勘違いをする。
俺は、此の男の目に映り、初めて汚なさを確認した。
「拓也って…井上卿にそっくりだね…」
「え?」
男と目が合い、其の目は笑っていた。男は楽しそうな目をした侭、残酷な事を云った。
此の男にそんな世界を教えたのは他でも無い、俺の父親。俺の母親が死んだのは父親の所為。
無理も無いと、濁る目は恍惚と濡れていた。
普通の女だった母親に、父親の性癖が合う筈が無い。耐え、心労は破裂し、在る日歩いている時気を失った。そして其の侭死んだ。
「彼女が亡くなった時の井上卿…其れは見物だったよ…ふへ…」
声を出し笑った男。其の笑い方が妙に面白く、何故か俺も同じ笑い方をした。すると男は、此の笑い方も父親の癖だったと云った。
「嗚呼、如何仕様…拓也が井上卿に見えて仕方無い…」
男の左手が小刻みに揺れ、男は辛そうな顔で暫く居たが、弾けた様に木炭と紙を手にすると、濁った目を不自然に揺らし乍ら手を動かした。
「凄いよ…久し振りだよ…井上卿、貴方は矢張り素晴らしい方だ…」
俺と父親を間違えた様子の男は、狂った様に手を動かし、不気味に目を揺らしていた。気味が悪い筈なのに、男の姿はそう思えなかった。一芸術家として男は居り、十分程男は自分と、父親が居る世界に居た。
白い手に墨付いた黒さ。
男は満足気な笑みを浮かべ、紙を見た侭呟いた。
「拓也。君は勘違いしている。」
「何がですか。」
「俺の描く女…拓也は姉君だと思ってるだろう。」
ゆっくりと紙は俺を向き、其の世界に息が止まった。此れが、俗から離れた世界。
「俺が描くのは、井上卿の愛した女。間違えるのも無理は無いね。彼女達は姿形、良く似ていたから。」
男は紙を台紙から破くと俺に寄越した。手に収まる紙の世界は、俺の頭に強烈な悦を教え、息が上がった。
姉さんを抱いている時と同じ感覚を頭に知る。男は笑い、細い指は頭を小突く。
「頭で、俺達は快楽を知る。難しい事だけれど、とても幸福な事だよ。」
父親は男に其の世界を教え、男は俺に教えた。なら俺は、誰に伝える事になるのだろう。
紙を床に置き、返すとあげると云われた。母親の其の姿等、欲しくも無い。けれど頭は欲し、此れは初めて知る父親の意思だった。
細い人差し指は伸び、尺取り虫の様な動きで上を指した。
「拓也、井上卿の最期、知ってる?」
「いえ…自殺と位しか。」
男の青白い顔は天井に向き、更に其の上を見ている様だった。
「此の二階…」
男が何を云う気か判った俺は吐き気に襲われた。顔色を悪くする俺に男は濡れた目を向け、喉で不気味に笑い乍ら、無言で机の引き出しから小さな鍵を取り出した。ゆらゆらと鍵は目の前で揺れ、後ろには男の目。
掌に鍵を収めたのは、父親を知りたい訳では無い。
行かないと、いけない気がしたのだ。




*prev|1/3|next#
T-ss