北風と太陽


何時に無く、寒い日だった。朝から重たい雲が空に居座り、案の定、積もりはしなかったが雪が降った。其れは、普段寒暖を感じない男にも、寒い、と感じさせる日だった。男の目の様に真黒な、周りが見えない闇の中で判る白さ。月の明かりも無い中で知る明るさ。
男の煙草である。
吐く息も白く、紫煙に溶け、火の明るさを一層明るくさせた。唇に触れる自分の指が珍しく冷たく思え、相当な気温の低さを知る。しかし男には、寒いな、と漠然と頭に浮かぶだけで、果たして本当に寒いのかも判ら無かった。
其の寒さを知ったのは、娼館の“母様”の声でだった。
“母様”と云うのは、娼館の女主で、娼婦達が“母様”と呼ぶので、男もそう捉えている。其の“母様”の名前は覚えていないが、一方で“母様”と呼んだ記憶も無い。母様は“女”で、男は“旦那”なのだ。
母様の手は火鉢の様で、男は知れず手を離した。
元は金持ちの屋敷だったのであろう此の娼館は、やたら中が広く部屋数が多い。如何やって手に入れたのか男が聞くと、母様は決まって肩を上げて笑うだけだった。
母様は何も、此の屋敷を買った訳では無い。元から自分の物だったに過ぎないが、其れを男に云っても仕様が無いので、笑うだけに終わる。
其の娼館の中で、一番広い部屋に居る女が、男の相手と決まっている。沢山稼いでいる女が一番良い部屋にいるのは、何処の娼館でも同じ事だ。しかし此の女は、稼いでいる割には大して客を取っていない。数で考えたら、一番小さな北部屋にいる女の方が多い。北部屋の女の八分目の一の客数で、何故女が一番とされているか。
男から渡された札の数に、母様は歪んだ顔で笑った。




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