北風と太陽


此の娼婦は、他の娼館の娼婦の様に男に頭を下げて迎え入れたりはしない。此の娼婦が其の様な接客態度を売りにして居るのか、唯此の男に対してだけなのかは確かめ様は無い。髪を梳いて居た娼婦、女は鏡に映った男を見ると嬉しそうに目を開き、櫛を置いた。今日は着物か、とドアーに凭れ、男は云う。嫌?、と聞く女に男は、いや、と答え、近付く女を鉛の様な目で見続けた。ふっくらとした、見るからに柔らかそうな手が男の痩ける頬に触れ、其の肉厚な男の唇に触れた。ざらりとした髭の感触が好きな女は薄く笑い、唇を重ねた。唇が離れる音が薄暗い部屋に小さく一度響き、其れが合図の様に男は女を壁に押さえ付けた。女がした様なキッスでは無く、荒く、貪る様な男のキッスに女は唾液を垂らし、ほんのり開いた口から舌先を出した。背の低い女は腰を強く引かれ爪先立ち、退け反った顔に垂れる男の髪に息を吐いた。余程欲があるのか、男の其の手は荒く痛い程だった。
「ベッド…」
「良い。」
何時もはベッドで酒を飲み、ゆるゆると会話を楽しむのだが、今日の男は其れを楽しむ余裕は無い様子である。額同士を付け合わせ、垂れる髪に隠れた互いの顔は違う空間に居る様で、女は曲がった膝を其の侭床に付けた。余裕が無いのは此処もだと女は男を見上げ、布越しに其れを触った。
「止めろ…」
「如何して…好きでしょう…此れ。」
腰のベルトに伸びる女の手を優しく掴み、立たせると今度は男がしゃがんだ。
「俺が一回しか出ないの、知ってるだろう…?」
裾を割り、現れた膝に唇を付けた侭男は云う。骨張った冷たい指が外股を撫で上げ、反対の内股には舌が這う。秘部に寄る冷たい男の空気に女の息は上がり、焦れったく股にキッスをする男の頭を見ていた。今か今かと短い息を繰り返し、ふと合った男の目に女は目を瞑った。外股を撫でていた手が何時の間にか秘部に触れ、じっとりと熱い其処に感じた冷たい指先に小さな悲鳴を漏らした。
「顔が来ると思ったか?」
意地悪く笑う男に女は頷き、素直だな、と突起に指を滑らせた。腰に快楽が走り、背筋を痺れさす。
「もっと、強く…」
撫でられるのも良いのだが、摘んで欲しい。熱い突起を冷たい指で挟まれる快楽を女は知っている。今は柔らかい快楽より、強く強烈な快楽が欲しかった。
「強く、ねえ。」
秘部ぎりぎりに吐かれる男の息。こう、と低い声がくぐもった。指で強く挟んで出た突起を、指より柔らかい舌先が掠めた。舌と指を動かされ、強烈な快楽に女は思わず男の頭を叩いてしまった。泣きそうな顔で頭を叩く女。少しずつ身体が下がり、男は御返しに足を叩いた。
「力入れとけよ。」
舌を出した侭云う舌足らずの声と微かな振動。
娼婦が、一定の客を待つのはおかしな話だが、現に女は男を待っていた。待って待って待ち詫びて、来たと思った時は他の娼婦を相手にした。口惜しく、其の年下の娼婦に嫌がらせをしたりもした。自慢の髪を裁ち鋏で切ってやった。男に買って貰ったと云うワンピースも灰にしてやった。其れを男に知られ、全く相手にされ無くなった。恋患いと嫉妬で狂いそうになると思った矢先、男の熱に絆された。
男が発した微かな振動は女の身体に伝わり、高く漏れた声に男は顔を離した。支えの無くなった女は足から力を抜かし、男にしがみ付いた。熱くなり過ぎた女の体温に男は知れず嫌悪を示す。思い出したく無い記憶が熱に呼ばれる。其れを又消す様に女を持ち上げるとベッドに投げ捨てた。伸し掛かる様に女に寄り、ゆっくりと服を解いて行った。
「早ぇよ。」
「だって。」
「だって、何よ。」
解いた腰紐で顔を擽られ、女は身を捩って言葉を濁した。
「俺、女の服脱がすの好きだわ。」
何時もの様にゆるゆると会話を始めた男に、女は何処かしら安堵を知り、薄く笑った。男の話す速度と同じ様な速度で、ゆるゆると女の身体から快楽が抜けて行く。其れを女は感じ、又嬉しく、長襦袢姿になった女はベッドから降りた。
「御酒は?旦那。」
何時もと同じ体勢でベッドに寝転ぶ男の姿が、確かにあるだけで女は嬉しかった。男は適当に相槌を打ち、矢張り同じ様に煙草を咥えた。天井に煙を登らせ乍ら男は聞いた。
「御前、何かあったか?」
「何が?」
遠回しに、年下の娼婦に対する嫌がらせの理由を聞いたが女には伝わらず、だったら其れでも良いかと男も思った。
「何も無ぇんなら、其れに越した事は無ぇ………煩ぇな。」
「え?」
酒を注いで居ただけで、特別話していた訳では無い女は困惑した。来た時と云い、八つ当たりをしに来たのだろうかと女は不安を覚えた。
客が娼婦に八つ当たりをするのは日常茶飯事で、此の男も、其の蔑視する対象に過ぎ無いのかと、コップを持つ手は震えていたが顔は笑った。
差し出したグラスを受け取ろうと男は糸の様に細い指を出したが、片方の手で耳を塞ぎ顔を顰めた。
「如何したの。」
「何か、がさがさするんだよな。」
「耳?」
「そ。」
一応男はグラスを受け取り、有難うと云ったが耳の方が気になっている様子だった。顰め面で頻りに耳を掻いる。
「其れ、詰まってたのが剥がれたんじゃないの。凄い音しなかった?」
女の言葉に男は嗚呼成程と云う様な顔をし、静かに酒を飲んだ。唇に付いた酒を舐め取り、満足な顔をする。最高級の酒に、其れに似合うグラス。他の客なら判らない様な味の変化でも、超えた男の舌上では直ぐに知られてしまう。
最高に良い女に最高に良い酒があれば大金出すぜ。
其れを男が云った為、此処に居る娼婦達より高い酒が棚には並ぶ。尤も此処で、“最高に良い女”の味も“最高に良い酒”の味も舌の上で知れる客は、此の男だけなのだが。他の娼館が如何なっているかは知らないが、大金を落として下さる方の要望なら安いと考えているのは何処の娼館も同じに思う。娼館って何処も同じ酒しか無いんだな、と男が云った為だ。
「耳掻きあるか。」
そう男が聞いたので、女は化粧台の小物が入る小さな引き出しから竹で出来た耳掻きを取り出した。鈴が付いた其れはチリンチリンとなり、其の音に情を感じた。私が見てあげる、と女は耳掻きを振り、男の寝るベッドに座った。
「自分で出来るから。」
「恋人っぽい事、しても良いでしょ。ね、御願い。」
男より年が上の女は妙な甘さを声に蓄え、男は渋々頷き女の太股に頭を乗せた。普段髪で隠されている耳に女は口元を歪め、そっと触れた。擽ったさで男は逃げるが、逃げれば強く引っ張られる為きつく唇を締め堪えた。鈴の音が響く度男の身体はびくびくと跳ね、又何とも愛らしかった。一層男の身体が跳ねた時、嫌だ大きい、と女は出た垢に笑い、塵紙に包んだ。もう無い、と女が云うと男は漸く肩の力を抜き、深く息を吐いた。
立場が逆になった様で、面白い。
有難う、と云おうとした男の耳に女の息が奥深く入り込んだ。不意を突かれた男は悲鳴の様な高い声を漏らした。
「旦那…」
「も…止めろ…」
サディスティックと呼ばれる男の、何時もとは真逆の反応に女は面白さを覚え、身体を固定すると耳朶を甘噛んだ。又小さく悲鳴が漏れ聞こえ、息の変わりに舌を入れ込んだ。
「うわ…っ」
身を捩り、逃げたいが、女から与えられる快感に力が抜けた。
「旦那…旦那…」
好きよ、と云う言葉は聞かなかった事にした。女の声と息、舌が耳を遊び、其の言葉を握り潰す様にシーツを強く握り締めた。
「は…っ」
「旦那…旦那…可愛い…」
足を崩した女は其の侭男の後ろに張り付き、男の物を布の上から攻めた。元から固さを持った其れは一層固くなり、又大きさを増した。真白いシーツに漆黒の髪を乱し、青年の面影を残す顔を歪ませた。厚い唇が半開き、其処から漏れる熱っぽさ。男の身体を纏う軍服が、不自然に浮いた。
今迄、何度身体を重ねたか。初めて見る男の一面に、女は如何仕様も無い愛おしさを感じた。
職業は軍人、年齢は二十三歳。其れしか、知らない。
名前も知らない、客と娼婦の関係。




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