桔梗館の雛人形


三階建ての豪邸、其れは見た目で判るが、豪邸は豪邸らしく地下室迄存在する。其の一室に女は居た。洒落た部屋で、窓が無い事を除けば普通の部屋であった。男の知る地下室は、基地の独房だけである。
「あたしよ。」
ベッドに座り、壁に向かって揺れて居た女は主の声に反応し、動きを止めると振り向いた。へらへらと笑い、覗いた口元には歯があった。聞いた話と違う事に男は主に自分の歯を無言で指した。
「嗚呼、入れ歯よ。歯が無いと咀嚼出来無いでしょう。」
男は頷き、女に対する主の心情を知った。
「やっさしいの。」
馬鹿、と厭らしく笑う男を叩き、其の時だ。男は全身に痛みを知った。主を見て居た男は一瞬何が起きたか判らず、へらへらと笑う女の顔を真上に見た。
「力、あるな。」
幾ら違う方に気を取られて居たとは云え、軍人である男を容易く床に押し倒した。情けないとは思わず、男は楽しんだ。
「女に押し倒されたのは、初めてだぜ。」
「一寸一寸、旦那っ」
主の考え通り女は声に反応し、男の身体を弄り始めた。下半身を重点的に、其の間、男は微動もせず、へらへら笑う女の顔を見て居た。
女は不思議に思った。教え込まれた其の手法で、反応を示すさない男は居なかった。なのに目の前に居る男は、鉛の様な黒目で自分を見据え、ゆっくりと瞬きを繰り返して居た。手では駄目、ならば口では如何だと女は頭を下げた。
焦ったのは主だ。引き離そうと女に伸ばした手を、男は掴んだ。
「好きにさせてやれ。」
「でもね、旦那。」
「立たなきゃ良い。」
こんな状態で立つ訳が無いと、男は少し腰を浮かせると煙草を取り出した。ゆっくりと紫煙を上げ、上体を起こすと自分の股座にある女の頭を眺めた。男の云う通り、男の其れは全く反応して居なかった。垂れた侭の其れに舌を這わせ、へらへら笑う顔に男は吐き気がした。
畜生の慰み物は、所詮畜生。其れに会いたいと思った自分も、大差無い。
男は鼻で笑い、煙草を消した。何故鼻で笑われたか判らない女は顔を上げ、欠伸迄晒す男の姿に、こんな物があるから悪いのだと、不快感を覚える歯に触れた。
「おい。」
目に似た鉛の様に重い声に女は手を止めた。
「所詮、そんな物か。歯があったら出来ねえって?笑わせんな。仏頂面で歯のある女何てごまんと居るぜ。でも俺は立つ。」
俺は畜生とやりてぇ訳じゃねえ、良い女とやりてぇんだ。
男の言葉に、今迄へらへら笑う事しかしなかった女が、無表情で男を見た。
「退けよ。俺に抱かれたきゃな、此処に居る誰よりも良い女になれ。一番の誇りを持て、鼻で笑った奴を笑い返せ。其れが出来ねえなら、一生畜生の侭で居な。」
御前には其れが似合いだろうよと、男は女から身体を離した。笑いもせず、無表情で自分を見上げる女の顔。へらへら笑い、股座に顔を埋めて居た時より余程人間らしいと男は感じた。
ふっと見た男の顔。其の顔は無表情で、女と同じであった。
「雛子。」
女を見た侭呟き、聞いた事も無い名前に主は少し首を傾げた。当然ではあるが、主の名前は此れでは無い。行き成り出て来た名前に、女は上体ごと首を傾げた。
「御前、御雛さんみてぇだから。」
「何?」
主は聞いた。
「此奴、名前無いんだろう?」
話を聞いた時で、女の名前は聞かなかった。主も一度、名前らしき物を女の口から聞いた事はあるが、実際名前を与えて居た訳では無い。“在の子”と形容し、“あんた”と呼んで居た。
男はしゃがみ、言葉通り雛人形みたく無表情で座る女に笑った。へらへらとした在の笑いでは無く、はっきりとした笑顔だった。
「名前がねえから、人形何だろう?名前がありゃ人間だ。な、雛子。」
数回女の頭を叩き、雛子?、と女は声を出した。又襲い掛かるのでは無いかと主は危惧したが、女は呆然と座り、男を見て居た。
「雛子…」
「そう、雛子。官女じゃねえぞ?ひいなだ。一番上だぞ。」
「えへへ。」
女は笑い、名前を繰り返した。其の名前が気に入ったのか、男から離れると又ベッドに座り、壁に向かって名前を繰り返した。
主は驚いたが男はもっと驚いて居た。此の女が、雛人形を知って居た事にだ。
「雛子、雛人形知ってんのか?」
「奇麗…」
「知ってた。」
主に向かって鼻で笑い、女の横に座った。
「雛子。雛子…」
「えへへ。」
「又な。」
一度抱き締め、へらへら笑う顔を見た。唯今迄は、何処に向かって笑って居るのか判らない状態で気味悪かった。きちんと男を見、へらへら笑う女に男も笑った。
「其のへらへら面、止めろよ。」
「えへへ。」
「ま、御互い様だな。」
次は地下室から出て来いよと、女の頭を撫でた。
主を手招き、部屋を出様とした男に女は云った。
「又な。」
へらへら笑い、男がした様に頭を叩いて居るのか手首を動かした。復唱させれば良いのかと主は男を見た。
「又な。」
「一人で出るのか?」
こんな薄気味悪い所、一人で登るのかと皮肉に笑って見せた。
真暗な此の場所、雛子は今此の状態だ。重い扉を開き、仄かな光を見た男は、溜息を吐いた。
在の女も、此の男も、こうして扉を開けなければならない。開けた時、其処は真の楽園。判って居るのに、へらへらと笑い、虚偽の楽園の楽さに逃げて居る。
「あら旦那、未だ居たの?」
「今帰るよ。」
「母様は?客が帰ったって云わなきゃ。」
「御疲れさん。」
仕事の終わった女に背を向け、手を振った。然し、矢張りと云うか、素直に帰してはくれ無かった。
「旦那ぁ、ふふ。」
「休めよ。」
「やぁだ、旦那は別。」
後ろから腰に手を回す女に顔を向け、キッスをした。
「良し、行くぜ。」
男は身体を反転させ、其の侭女を抱えた。浮いた足を男の腰に絡ませ、部屋に行く迄キッスを繰り返した。
楽園だ、此処は楽園だ。御前も来いよ、雛子。
そう、心の中で呟いた。




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