桔梗館の雛人形


聞いた男は絶句した。確かに、口淫の時、邪魔だな、と思う事はある。あるが、尋常な精神の持ち主であれば思うだけである。己の私欲の為だけに女の人格を無視し歯を抜く人間が、いや、同じ人間と考えるだけで嫌悪を覚える畜生が存在する。歯を抜かれ、折檻され、凌辱された女。鬼畜の肉慾の為だけに存在した女。
へらへらと笑う事しか出来ず、其の顔を想像した男は、ふっと顔を正面に向けた。硝子窓に映る自分の顔に、男は笑った。同じ様に、何の感情も無くへらへらと笑う姿がある。
其処で男は、何だか面白くて仕様の無い物を見た気分になった。結局人間は、何処かに異常を来すと赤ん坊になってしまう事を知った。肉体に欠陥が生じれば寝た侭になり、糞尿垂れ流す。脳に欠陥が生じれば言語障害、糞尿を垂れ流すのも同じ。
では女みたく精神に欠陥を生じさせた場合は。
硝子窓に映る男みたくへらへらと笑う結果になる。
外敵から身を守る為の顔面筋肉収縮反応、其れが笑顔に見えるだけの話。自己防衛の、自然反応。
全く赤子である。
糞尿を垂れ流さない分だけ男は増しである。其れを除けば、在の女と同じである。
男は急に面白くなり、薄暗い屋敷に低い笑い声を垂れ流した。男が声を出し笑う事等、一度も見た事の無い主は恐怖を感じた。
「旦那…?」
「会わせろよ…」
「其れは、駄目よ…」
男は主を見ず、紫煙を上げた。此の侭帰る積もりで居たが、そんな面白い女が居るとなれば話は別だ。
「如何せ、精神状態が戻りゃ、売り物にするんだろうがよ。」
男の挑発的な言葉に主はぐっと感情を堪えた。
「在の子が望めばね…」
「望む女が何処に居んだよ。」
そんな女が存在するのなら、其れこそ精神疾患女だ。男は気付いて居る、此処が虚像虚言塗れの楽園である事を。本当の楽園では無い事を。けれど男は楽園と考える。自分の存在する現実を忘れさせてくれるのは、此処しか無い。だから、楽園。
「今は、駄目よ…」
「未だ異臭塗れかよ。」
「二ヶ月も前の話よ、其れは。」
「別にやりてぇ訳じゃねえよ。」
では何故。
主は考えた。
男は屹度、自分に似た物を探して居る。探し、見付けた其の時、如何するか。主にも、無意識にして居る男にも判らない。唯、唯、自分と似た人間を求めて居た。
「そう…。でも、駄目。」
「何も、其奴を見て笑おうってんじゃねえよ。唯、見てみたい。」
「違うよ。」
其処で漸く男は主に顔を向けた。
「在の子は、身体に体温を知ると、自制が利かなくなるんだ。」
自分の身体に触れた物全てを誘う。性別も関係無く、一度犬に迄其れをした事がある。其れだけの為に存在した女は、其れしか知らず、他の女達も色情狂と気味悪がり近付きもしない。
女は誘い、其れで良いかも知れないが、女の肉体はそうはいかない。外性器や肛門は使い物にならない程裂傷し、内側に至っては、何度も子供を流したのか機能が停止して居る。
異臭を撒き散らし、最早使用不可能となった女は、だから捨てられた。そして、此の館に迷い込んだ。
「在の子に、人は近付けさせない。拒絶すると、自分は要らないんだと、死に兼ねない。」
肉体も精神も限界に来て居る。だから今迄、静かに、隠す様に女を生かして居た。此の男に教えてしまった事、今更後悔し、然し何故、云ってしまったのか主にも不明だった。
「触れなきゃ、問題無いんだろう?」
「多分、判らないけれど。」
若しかすると、声に反応するかも知れない。此の二ヶ月女は、男の声と云う物を一切聞いて居ない。今迄散々聞いて来た声に、やっと抱いてくれるのかと反応した場合、此の男は如何するのか疑問に思った。
「会うだけよ。」
顔を逸らし主は云った。不適に吊り上がる男の口元等見て居なかった。
此れが女を、大きく変えた。




*prev|2/3|next#
T-ss