
揺らぎの一瞬(3/3)

夜の山道に、鉄の匂いが残っていた。
湿った土。
斬り裂かれた木々。
そして、鬼の崩れた肉片。
彩艶は静かに息を吐く。
肺が熱い。
握った日輪刀から、じわりと汗が滑った。
目の前では、鬼の首が崩れて消えていく。
だが。
「……浅い」
小さく零れた声は、自分でも驚くほど冷静だった。
鬼は倒した。
任務も完了した。
それなのに胸の奥に残るのは、勝利感ではない。
違和感だった。
彩艶は戦いを思い返す。
弐ノ型――揺映。
視線を誘導し、意識を一瞬固定する。
鬼は確かに反応を遅らせていた。
だが、その“一瞬”だけでは足りない。
踏み込み、壱ノ型へ繋げる。
そこまで行って、ようやく致命傷になる。
もし繋げ損ねれば。
もし再生が間に合えば。
今みたいに、浅く終わる。
彩艶は刀を納める。
夜風が頬を撫でた。
その時だった。
「難しい顔をしているわねぇ」
柔らかな声。
振り返ると、胡蝶しのぶが立っていた。
蝶の髪飾りが、月明かりを受けて淡く揺れる。
「しのぶさん」
「任務帰りでしょう?お疲れ様」
しのぶは崩れた戦場へ目を向けた。
血痕。
斬撃跡。
無数の足運び。
ほんの数秒見ただけで、何があったか理解したように微笑む。
「弐ノ型を多く使ったのね」
彩艶は少し目を見開く。
「……分かるんですか」
「ええ。あなた、最近戦い方が変わったもの」
しのぶは穏やかだった。
だがその視線は鋭い。
誤魔化せない。
彩艶は少し迷い、やがて口を開く。
「崩せるんです」
「ええ」
「でも……届かない」
夜風が木々を揺らした。
彩艶は続ける。
「鬼は確かに迷うんです。一瞬、反応が遅れる」
「けれど、その一瞬だけじゃ足りない」
「壱ノ型へ繋げないと決定打にならないんです」
しのぶは静かに聞いていた。
否定しない。
急かさない。
ただ待つ。
彩艶は視線を落とした。
「弐ノ型だけでは、終わらせられない」
ぽつりと零れた本音。
しのぶは少しだけ目を細めた。
「あなた、“次”を探しているのね」
彩艶は答えられなかった。
だが図星だった。
壱ノ型を覚えた時。
弐ノ型へ辿り着いた時。
そのどちらとも違う。
今は、“足りない部分”だけが見えている。
しのぶは静かに歩み寄る。
「揺らすだけでは、鬼は止まらないわ」
その声は優しい。
けれど、はっきりしていた。
「なら――」
蝶が羽を広げるように、しのぶは指先を軽く動かす。
「揺らしたまま、斬ればいい」
彩艶の瞳がわずかに揺れる。
揺らしたまま。
崩した後ではなく。
崩しながら。
その言葉は、静かに胸の奥へ沈んでいった。
数日後。
彩艶は鎹鴉に呼ばれ、屋敷の前へ立っていた。
任務。
しかも柱同行。
「派手に行くぜ!!」
響いた大声に、彩艶は思わず肩を震わせる。
振り返った先。
宝石を散りばめた額当て。
筋肉質な体躯。
派手な装束。
宇髄天元が腕を組んで立っていた。
「お前が華月彩艶か」
「……はい」
「色の呼吸、だったか」
宇髄は彩艶を上から下まで眺める。
その視線は鋭い。
だが嫌な圧ではない。
値踏み。
そんな感覚に近かった。
「細ぇな」
「……よく言われます」
「だが目は悪くねぇ」
宇髄は笑う。
「地味じゃねぇのに、妙に視線を持ってくタイプだな」
彩艶は少し戸惑う。
そんな評価をされたのは初めてだった。
宇髄は踵を返す。
「行くぞ」
山道を進みながら、彩艶は宇髄の歩き方を見る。
隙がない。
いや。
正確には、隙が“読めない”。
大柄なはずなのに、重心移動が異様に滑らかだった。
やがて鬼の気配。
森の奥で、低い唸り声が響く。
宇髄は笑った。
「来るぞ」
次の瞬間。
爆ぜるような踏み込み。
轟音。
彩艶の視界が揺れた。
速い。
だがそれ以上に――
止まらない。
斬る。
流れる。
回る。
繋がる。
一撃ごとに、次の斬撃が既に始まっている。
鬼は防ごうとしていた。
だが間に合わない。
視線を向けた時には、宇髄はもう別の位置へいる。
音。
衝撃。
斬撃。
全てが流れていた。
彩艶は息を呑む。
壱ノ型は、同じ場所へ重ねる型だった。
だが宇髄は違う。
同じ場所ではない。
流れ続けながら、複数箇所へ通している。
その時。
彩艶の脳裏に、しのぶの言葉が蘇る。
――揺らしたまま、斬ればいい。
そして今、目の前には。
“止まらずに崩し続ける戦い”があった。
宇髄の刃が夜を裂く。
彩艶は目を離せなかった。
「……止まる必要が、ない……」
- 33 -
*前次#
ページ:
月下彩譚