強がりの煙草

父にも弟にもいい顔はされないものの。喫煙を始めたのはいつのことだっただろう。
多分、成人してすぐ、友人の影響だった気がするけど、まぁそんなことはどうでもいいか。
空気に溶けていく白を眺めながら、今日の晩御飯はどうしようかなあなんて考えた。
場所はバイトしている塾の喫煙コーナー。昨今、喫煙者の肩身が狭いのはいつだって同じで非常階段の下、申し訳程度に置かれた灰皿とベンチに腰掛けて一服していた。

「なぁ」

声をかけられてあれ、生徒さんがよくここを知っていたなぁ、と思う。なにしろすごくわかりづらい奥の方に隠されているもので。

バイトを始めたのは4月の頭。もう一ヶ月が経とうとしていた。教員免許所持ということで担当は中学三年生だ。希望したわけではないが奇しくも弟と同じ学年の男の子を5人ほど担当していた。個別指導をウリとしているこの塾、評判はいいものの講師側の責任が重大だよなぁと思う。保護者さんとのトラブルも聞かないわけじゃないし。怖いなぁ。

じゃなかった、生徒さん。

「はい、ちょっとまってね。職員室で聞くよ」
「…わかった」

クリーム色の髪の彼、爆豪勝己くんは週に一度現れる私が担当する生徒の一人だ。ぶっちゃけ地頭がいいんだろう、一度理解してしまえば早いタイプの男の子。彼も4月からここに入ったらしく同じだねというと鼻で笑われた。

先ほど、つい30分前まで指導時間だったのだけれど、何かあったんだろうか。

職員室とはいったものの喫煙ブースからほど近い廊下で私を待っていた彼はつい、と私にプリントを差し出す。それは先ほど彼に出したはずの宿題のプリントで、全問記入済みだ。

「終わったんで提出して帰る」
「え、全部?…だね、うん、わかりました。次までに採点しておきます。じゃあ宿題なしになるんだけどいいかな」
「別にいい。」

それだけ言って玄関に向かって歩きだした彼は、ふと足を止めてこちらを振り返り、

「…煙草クセェ。」

と一言残していった。…消臭剤、ふったんだけどなぁ。



「...それじゃあ、今日はここまでにしようか。質問はありますか?」
「ねェ」
「よし、じゃあ来週はテキスト見ながらワーク解いてきてください」

週に一度の授業時間を終える。爆豪くんは理解するのが早いから、時間の効率も考えて宿題の量もそこそこ出しているのだけれどちゃんと解いてきてくれて助かる。しかしながらまぁ、ちょっと出しすぎてるかな、という感覚がないわけでもない。

「宿題無理そうだったら量減らすから言ってね」
「こんくらい余裕だわ」
「そう?効率考えて出してるけど負担が大きすぎたら止めてね」
「ハッ、舐めんな」

なんというかいつでも強気である。余談だが少し前に敵に襲われたらしく、そのときのことでヒーローの方から勧誘も受けていたらしい。そんな彼はうちの弟と同じく雄英志望だ、どうでもいいけど新人の私に任せる?この塾大丈夫?

「そう...大丈夫ならいいけれど。あ、そうだ。」

ころん、と私がポケットから出したのはハッカ味の飴だった。口寂しい時用である。

「あ?」
「お疲れ様、甘くないけど飴あげる。眠たい時にでも食べて」
「ポケットから飴とか、大阪のババアかよ」
「君は本当に口が悪いね...入試って面接ないの?大丈夫なの?」
「筆記と実技だけだわ」
「じゃあ大丈夫だね」

私がそう言うと、ちょっと目を丸くした爆豪くんの顔がまっすぐこちらを見てくる。あ、瞳が赤い。光に弱かったりするのかしら、照明のこと聞いてみた方がいいのかな。

「...アンタ、たちわりぃな」
「へ?」
「なぁ。タバコってそんな、うまいもんか?」
「...そんなこと、ないよ?」

そう返すと、はぁ?と目をつり上げる爆豪くん。ただただ怖い。

「知ってるやつに吸ってんのがいる。やめろっつっても聞かねぇ。」
「...未成年の喫煙はおすすめしないなぁ」

ちらり、とこちらを見たけれど、私が特に慌てないのを見て目をそらした。どこかに言うと思ったんだろうか。自分も喫煙者だし、ううん。私はそんなに、正しくない。

「じゃあなんでだ?わけわかんねぇ。うまいもんでもなく、リスクもわかってんだろが」
「うーん...その子たちがなんで吸うかはわからないよ。憧れとか、年頃とかいろいろあると思うし。リスクもね、うん、実感が湧いてないのかも」
「...アンタは」
「ん?」
「アンタはなんで吸ってんだ」

そう言われて、ちょっと思考が停止した。なんで吸ってる、って。
もうとっくにニコチン中毒だから、とか。友達に勧められて始めて、とか。いろいろあったけれど、口から零れたのは全然違う言葉だった。

「...私、煙になりたかったの」

ぽかん、と爆豪くんがこちらを見る。は、と我に返って、あはは、と笑った。誤魔化した。

「えっと、ごめん気にしないで。もう吸ってそこそこなってて、ニコチン中毒だから。だからやめらんないんだよ」
「...そーかよ。」

何かを確認するように私を覗きこんでいた爆豪くんはふい、と顔をそらすと、「帰る。」と一言置いて去っていった。

「ニコチンパッチでも貼っとけよ」

言外にやめろと言われた。うーん、どうかなぁ。



煙に、なりたかったの。

氷結という個性が嫌いだった。冷たいから。あの海を思い出す。個性を使っていれば、だんだんと体が冷えて動かなくなっていった。あのときみたいに。

煙は、火のあるところに立って、それから消えていくでしょう。

だから私は、煙になりたかったの。