Chapter8


夕方、六時にもなる前に、矢内は仕事用のバッグと、大きな買い物袋を抱えて、息を切らして帰ってきた。
玄関の開く気配に、奥から俺が
「おかえり」
と顔を出すと、矢内はその言葉に頬を朱に染めた。
「た、ただいま」
なんて、少し緊張したみたいに言う。
こんなことくらいで恥ずかしがってんなよ、昨日、自分から服脱ごうとかしてた奴が。……恥ずかしくなるだろうが、俺まで。

俺は矢内と一緒に缶詰と、ご飯と味噌汁だけの朝食を食べた後は昼も食べていなかった。正直、ここの冷蔵庫はそれですっからかんで、袋ラーメンやレトルトの類も、台所には見当たらなかった。
「何? 何か作ってくれるわけ?」
って期待混じりに訊いたら
「カ、カレーを」
と矢内。
矢内の家事性能を、ここに見た気がした。
小学生の合宿かと思ったけれど、誰が作っても何を入れても、絶対失敗しない料理だし、確かにカレーは美味い。
「それより恐山、生きてるか、その」
「生きてるよ」
「そうか」
と矢内は胸をなで下ろし、幾らか和んだ様子だった。
慌てて靴を脱いで、道をあけた俺の横をすっと通り抜け、段ボールの中を確認するや、脱力する。言葉通りへなへなと、矢内は座敷の上に座り込んだ。
「おい、」
っと心配になった俺に、矢内は首だけくるんと俺を振り返る。
「ありがとう、恐山」
にっこりと。
――微笑む顔を見ただけで今日一日、矢内がどんな思いを抱えて、過ごしていたかが分かる。
こんな小さなことに、膝から崩れるくらい感謝して。
そんなことだから、すぐ壊れんだよお前は。
俺は矢内を抱きしめたい衝動に駆られるけど、自重しておく。今それをやったら、どうも止まれそうにない。
早速、ひよこと戯れようとする矢内に、俺は後ろから言ってやった。
「矢内も遊ぶのは我慢しろ。カレー、作ってくれるんだろ?」
矢内はきょとん、としてまた俺を見る。
「も、って何だ? 恐山」
俺はカチンっと来た。
切れるほうのスイッチが入ったわけではない。
こいつ、ふわふわしているようで、人の話はちゃんと聞いているのだ。微強打みたいな感覚は、俺にもよく掴めない。
「……気にすんな、単なる言葉の文だ」
と、俺は矢内から目を逸らして答えた。



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