シー・セイ・グッドモーニング

 ガタリとアルカ以外が勢いよく立ちあがった。アルカはというと、驚きすぎて声も出ない。
 アルカのすぐ横、顔のすぐ横に、大量の電子情報が可視化して次々に浮かびあがっては消えていく。演算処理と結果情報の蓄積の繰り返し──情報領域が展開されていた。

「(………なんで?)」

 思い当たるものがひとつあった。今もポケットに入れている──情報端末。いくら動かそうと刺激しても動かなかったそれが今、唐突に目覚めた。
 震える手でポケットからそれを取り出す。情報領域は明らかに、その端末から吹き上がるように可視化していた。そっと机の上に置いて、1歩さがった。

「ねぇ、アルカちゃん、これ…」
「端末が起動した…」
「えっ!?あれ起動するとこんなことになるの!?」

 ぎょっとしてコアラが情報中枢の特に光粒子がつどう部分を見た。
 やけに親近感がわく、おそらく見なれているのだろう。ふとそう思って情報中枢に手を伸ばそうとしたとき、ぶわりと情報領域が部屋いっぱいまで広がった。それから、どっと流れる英数字の数々。滝のように勢いよく流れたのは一瞬で、直ぐに情報中枢へと吸収された。アルカ以外の3人が、警戒したように姿勢を低めているのに、アルカだけはぼんやりとそれを見つめていた。

《認証キーを確認しました。生体認証を行います。マスターネームを入力してください》
「え…え?」

 不意に女性の声を模した機械音がして、アルカは戸惑った。

《生体認証を行います。マスターネームを入力してください》
「マスターネーム…?マスターネームって何?」
《生体認証を行います。マスターネームを入力してください》
「ちょっと!」

 きいても返ってこない返答に、すこし苛立った。マスターネーム。きっとアルカの本来の名を名乗らねば、きっと情報が開示されないだろうと察せられた。どうしようか悩んでいるうちに、《タイムアウトしました》と温度のない声が時間切れを告げた。
 だよね、と残念な気持ちになる。

《ユーザー自動認識。危険度2%。規定値内です。ユーザー認証開始します。マスターデータを解凍──…生体データ照合──ユーザー認証しました。不明なユーザーを3名認識しました。そのまま起動しますか?》

 コアラらのことだろう。ちらりとコアラを見れば、頷かれた。

「…はい」

 答えた瞬間、人ひとり分ほどの情報領域が構築された。情報系統が忙しなく動き回るその中心で、文字らしきものを形成していく。
 そこに浮かぶ文字に、アルカは戸惑い、息を忘れた。



──AMURAY──


 おそろしく既視感があった。
 自然とそれを迷いなく読み上げられた。記憶では、知りもしないのに。

《メインシステムが再起動しました》

 それまではシステムを読み込むだけのただの機械的な声が、それを機に一度途切れた。

《────…おはようございます》

 この声を、知っていると思った。

《また再び出会えたことを、心からうれしく思います》

 無機質なのに、どこか“色”のあるその声がとても心地よかった。家に帰ったような安心感がある。同時にひどく懐かしく、やたらと切なかった。

「…エミュレイ」

 零れるように呼んだ名前に、彼女はどこか嬉しそうな声で反応した。

《はい。私の個体識別名称はEMURAYエミュレイです》
「エミュ、レイ」

 張り詰めていた心もすべてほだされるようだった。この安心感は一体なんだろう。やたらと嬉しいとおもった。やたらと切ないとおもった。罪悪感のようなものと、心からの歓喜がアルカを支配した。
 何故かは分からない。何故か、──何故か、アルカは涙が止まらなかった。ただ、涙が出るほどうれしかったのだ。






《名前が思い出せないのですか?》

 年甲斐もなくぼろぼろと泣き始めたアルカに、エミュレイが心底困ったような声で「彼女を泣き止ませてください」と頼んだのでカーラとコアラが必死でその背中をさすった。5分とせぬうちに落ち着いたものの、その間アルカはただエミュレイ、エミュレイと目の前のコンピュータを呼ぶだけの状態だった。
 そこから、声が引きつってよく喋れないアルカのかわりに、カーラがアルカの現状をエミュレイに説明した次第であった。

「…うん…」
《それは、記憶障害によるものでしょうか?ご自身のことは何も思い出せませんか?》
「うん、だからわたしの情報を全て渡して欲しい」
《可能ですが、公開プロフィールは多くありません》

 公開プロフィールしかだめなのか?もっと情報があるだろうと思わなくもないが、ひとまず詮索は後回しにしようと思った。今引き出せる限りの情報を引き出したい。
 いつのまにか、3人はアルカの横に立ってエミュレイを興味深そうに見つめていた。

「例えば?」
《あなたはアリスタルコス大学機械工学部エンジニアリング学科の学生です。家族はありません》
「アリスタルコス!?」

 つい最近聞いた言葉だっただけに、思わず反応した。エミュレイが情報粒子を操作してどこかの都市の画像を映し出した。整備された道路に3階程度までの屋根付きの建物群。ところどころに緑があしらわれた、近代的なカントリーシティだった。初見だとは思わなかったが、やはり見覚えもない場所だった。

《はい。月面第3号都市アリスタルコス大学のオーバードクターでした》
「…所属の研究室は?」
《ロニーア・ロジャーズ名誉教授の疑似質量工学研究室。入学時論文は「疑似質量からのマイナス質量生成及び重力ポテンシャルの両立」》

 なんて???とカーラが呟いた。急に聞き慣れない単語が多く並んだからだと思う。アルカは何となくどんな研究か想像がついた。たぶん、船に関する研究である。

「おれが質問してもいい?」
《………》
「いや無視かよ!!!」
「エミュレイ、答えてあげて……」
《かしこまりました》
「この差はなんだ」
《セキュリティ上の問題です》

 たしかに、ユーザー登録もされていない人間に、機械がほいほいと情報を渡すわけがない。パスワードなどの承認キーがない限りは、例え本人でも閲覧できない情報も───…やばい、ありそう。てか、絶対にある。このレベルのAI管理のコンピュータなら絶対にある。

「コイツ1人だったの?」

 びしっとアルカを指さして聞いたサボに、そこかよ。と内心でつっこみを入れた。そういう地味に傷付くこと聞かないで欲しい。いや、情報だけども。

《戸籍上はおひとりの身の上です》
「出身は?」
《………》

 また沈黙である。やはりセキュリティ上の問題だろうか。サボが恨めしげに見てくるので、仕方なく同じ質問を問いかけたら、あっさりと返ってくるのでアルカが進めるしかなさそうである。

《火星です。北タルシス地方レーベック州エイハグラ》
「留学?」
《いえ、亡命してきた戦争孤児です》
「いつ?」
《登録はありません》
「あなたを作ったのはわたし?」
《お答えできません》

 やっぱりきた、この回答。
 認証キーなしでは見れない系だ。機械故に人間的な心理学は通用しない。答えられないからと言って、制作者がアルカの可能性が高い理由付けにはならない。

「……認証キーが必要?」
《はい。私の中のアーカイブはたとえご本人でも認証なしには開けないものがほとんどです》
「……じゃあ、わたしと親しい友人は?」
《お答えできません》
「おいおい、対人関係もかよ」

 思わずといった風にサボが呟いた。

《いいえ、この事項についてお話しできないのです。最も強いセキュリティーによって守られています》

 思わずサボと顔を見合せた。

「わたしの関係者で話せる内容の人物は?」
《そうですね、登録されているのは21名。アリア・センチネル、ブライアン・フォレス、ディエナ・ワイズロウ、イエンシャ・ネル・ハイネ、ゴレア・ウィスプ、ジャニ》
「あああもういい後でゆっくり聞く!」

 ABC順で全部言う気だったなこのAI。長くなるのは目に見えていたので思わず途中で打ち切った。

《…。そうですか》
「ところで、なんでこのタイミングで起動したの?わたし、何度も起動しようとしたけれど動かなかったよ」
《あなたは私を鍵付きで永久凍結しました。条件は2つ。@解凍コードは“ワンピース”。A登録声紋であること。声紋はあなたのものです》
「……わたしがワンピースと言わない限りはエミュレイは起動しなかった?」
《はい、そのとおりです》

 つまり、以前のわたしは“ワンピース”を知っていたということだろうか?全く未知の場所に来たと思っていた。だが、意外とそうではないのかもしれない。
 相変わらず記憶は泥沼の中から出てこない。確かに掴んだように思っても顔を出さない。形を知っているようで、思い出せない。

「エミュレイ」
《はい》
「わたしの生体認証だけでアンロックできる情報を一覧にして」
《かしこまりました》

 分からないことだらけだ。
 何故ルンルンは存在しない月面都市を知っていた?何故わたしはこのよくしらない文化での“ワンピース”を知っていた?

「それから、それら全ての閲覧権限をここにいる3名に付与して」
《かしこまりました》

 もしかすると、わたしがパスコード指定した“ワンピース”と、海賊王のワンピースは別物の可能性がある。同じように、ルンルンが言ったアリスタルもしくはアリスタルコスとアリスタルコス大学も、全く別物である可能性だってある。…本来なら、その可能性の方が高いのに…。

「(……妙に関連性を感じるのは、なんで…?)」

 ルンルンがアルカに向けて言った“プロメテウスの火”も気になる。

 ぐるぐる
 アルカの思考は渦巻くように廻る。