生死の天秤

 時間を遡る。
 アルカとサボがこれみよがしな逃走劇を繰り広げていた頃、コアラはとある狙撃手とその観測手を捕獲していた。


「ん“ー!!!ん“ーーっっっっ!!!!」

 手足を拘束され、転がされた男はもぞもぞともてあそばれる芋虫のように盛大にあばれたくっていた。

「見たことのないライフルですね…」

 うばったライフルをまじまじと見つめる兵士の1人がそうぼやく。暗い室内。カーテンを閉め切り、僅かな明かりだけがフローリングをぼんやりと照らしている。アルカを狙ったスナイパーは数人。そのうちのひと組をひっそりと捉えたコアラは倒れる男の顔面スレスレを狙って足を振り下ろした。床が抜けた。
 ぴたりと動きをやめた男に、コアラはにっこりと笑った。

「自白剤と〜、こちょこちょ地獄。どっちがいい?」
「ん“ん“ー!?」
「ちなみに過去のこちょこちょ地獄では失禁多数です」
「ん“ーーー!!!!」
「何言ってるわからないから自白剤でいっか」

 きゅぽん、と可愛らしい音を立てて瓶の蓋が開く。
 その様子を、後ろから見ていた兵士は「自白剤でよかったな」と合掌した。以前コアラに尋問された敵兵は全身を息ができないほどにくすぐり尽くされ、汗や涙、ヨダレはもちろん、下のほうもふくめて全身の穴という穴から水を出して苦しみ悶えた末に組織の拠点を白状した。
 コアラという女は可愛い顔をして容赦がない。その出自も影響してか、彼女は痛めつけての拷問だとか尋問だとかは行わないし、むしろ反対派だ。だが、だからこそ起こりうるおそろしいことだってある。たとえばこちょこちょ地獄とか。あれは地獄。絶対にこんな美女の前で漏らしたくない。

「しゃっしゃべる!おおおおお前らプロメテウスの火をどうにかしたい革命軍なんだろ!?しゃしゃしゃべるから!!!」

 瓶を口に突っ込もうとしていたコアラは、ぱちくりと目を瞬かせた。
 しばらく思案したものの、信用に足らないと思って再度瓶を口に近寄せた。

「おおおおおれの名前はオリックス・バートンで火星自由軍の二等兵ぃいいいい!!!」

 おお、と兵士は声をあげた。まさか大声で自己紹介されるとは思わなかった。

「そうなんだ。わたしはコアラ。よろしくね」
「え、それ本名?本名だよな?おれ本名だよ?」

 ことコアラはにっこりと笑って黙した。本名とも偽名ともとれる。

「殺そうとしてたよね」
「こここ殺そうとしてない!!ないないない!国益!殺したら国益損なうし!!」
「え?そうなの?」
「カリュウステ博士を殺したら軍法会議ものだ!当たり前だろ!生け捕りだ!アライブオンリー!」
「……!」

 カリュウステ。────レイセット・カリュウステ。
 それは、ルンルンが求めた論文の書き手ではなかったか。“プロメテウスの火”を作った張本人として、最も有力な名前。
 あわてたように言うその一文に込められた、とんでもない情報量に、コアラは暫し愕然として言葉を失った。

 まずは、アルカの名前。これではっきりした。


 アルカの名はレイセット・カリュウステ!


 それから、生け捕りを命じられていることから、口封じよりもアルカの知恵が求められていることは明白であった。
 コアラは閉口しそうになる口元を叱咤して再度開いた。今言葉を詰まらせるのは、よくない。

「…火星から来たんだよね?レイセットは、あなたたちの仲間じゃないの?」
「……なかま?」

 アルカの生まれは火星だったはずだ。酷い戦場になって、生き物が入ることも出来なくなったという不毛の地域。だからアルカは月という中立区にいながらも、根っからの火星派の人間。そう聞いている。
 男はほんのすこしだけ考えて、それから小さく首を振った。

「……確かに火星派の人だ。…でも、にげたから」
「逃げた?」
「…完成品のプロメテウスの火を持って逃げた。ああ、そうか。あんたらはあの事件を知りようもないよな…」

 コアラは顔をしかめた。完成品、事件。
 オリックスの言うことがすこしも理解ができなくて、改めて情報的に弱いことを悟るよりほかなかった。そして逆に、オリックスは情報的優位を自覚したことだろう。

「なあ。情報あげるからさ。ちょっとおれたちと協力しないか?」
「協力ぅ?わたしたち、プロメテウスの火を消したいんだけど?」
「それは俺の上官も同じだよ」

 意外な回答だった。

「あんたらは、あんたらの常識じゃ、火星に人は住んでいないんだろ。月にも文明はない」
「……」

 火星。
 アルカの、壊滅したという故郷。
 別に全てを疑っていた訳ではないが、認識の改竄やない記憶の植え付けは悪魔の実の能力でもできないわけではない。事実、現実世界では火星はおろか月にも人の手は届いていない。アルカやオリックスの言う文明も、文化も、まして戦争等存在しない。あれば分かる。

 コアラからすれば、ただの星の名だ。空に瞬く無数の星々のうちのひとつ。そこに文明は未だない。──はずだ。
 ならばこの男は。アルカは。船を襲った未知の技術は。…どこから来た?

 それが今、コアラらの前に姿を現しはじめている。コアラは僅かに冷や汗を流した。
 ……本当に、未来から来たのかもしれない。

「コアラさん」

 窓際にいる兵士が神妙に呼びかけた。首を傾げたコアラに、兵士は緊張したように窓の外を覗き込んでいる。外からは僅かに戦闘音がする。アルカが狙われている音だ。だんだん遠ざかっているから、きっと郊外の方へでも逃げているのだろう。

「どうかした?」
「いえ、あの。…その男の話が本当なら、変ですよ」

 どういうことかと思い、コアラも兵士の隣に並んで外を垣間見た。戦闘音だけが響いてきて、サボやアルカの姿は見えなかった。仕方なく兵士を見ると、兵士もすこし考え込む様子だった。

「アルカ、今殺されかけてましたよ」
「…んん?どういうこと?生け捕りにしろって命令だったのに?」
「追ったててたのは機械でしたが…。でもあれ、明らかに総長ごとアルカを殺してしまえって動きで…。とても生け捕り作戦には…」
「………」

 どういうことだろうかとコアラはほんの僅かに顔を曇らせ、オリックスを振り返った。

「機械?なら兵器操縦部門だ、そうなると、たぶんスレイ長官の手先だなぁ」
「…スレイ」

 『SRAY』。長官だったのか、と小さく呟いた。
 オリックスの上官は司令。ならばスレイはそのさらに上の可能性がある。

 ……上官はアルカを生け捕りにせよという。だが、その兵器操縦部門とやらはアルカを殺そうとしている。

「───なんで幹部の方針が一致しないの?」
「コアラさん?」

 オリックスにそう告げると、オリックスは面白そうにコアラを見た。
 それも、アルカことレイセット・カリュウステを生かすか殺すかで。何れにせよ、『火星自由軍』とやらは一枚岩ではないようだ。

「言うと思うか?」

 この施設の規模は?あなたの目的は?聞くのは簡単だ。だが、コアラはこの男からより多くの情報を取り出さなくてはならない。それも、嘘か本当かを見極めながら。
 情報の少ない現状は…不利である。だがこの男も何かしらの利益を革命軍から得ようとしている。信用に値する利益を。
 だから男も情報交換を持ちかけている。確実な情報を渡すから、確実な助力をしろと。

「そう思うわ。いいよ、情報交換に乗ってあげる」

 オリックスとて、何も知らされていないまま作戦に参加したわけもあるまい。

「ただ、エビデンスが取れるまでは帰れると思わないでね」

 コアラはにっこりと笑ってオリックスを見た。

「…条件しだいだ」

 やけに肝の据わったその男は、そう言ってどこかひきつったように笑った。