宝を失った誰かへ


「……なるほどな。あなたのような見るからに非力な人間が乗り込んできたというのに、誰も気付けなかった、と」
「…ええ、と」

 ちょっと待って。状況がわからん。さすがに焦って頭の中がパンクしそうだった。
 まず、明らかにカタギじゃない顔の刺青にビビったが、周りがあまりにも普通の顔をしているからここはスルーしておこう。今は気にしないようにしよう。…いやどう考えてもやばいし超がいくつあってもありないくらいに気になるんだけど、今はあえてのスルーだ。次行こう。
 ええと、船。ここは船の中か。それもかなりぼろそうだ。重力制御が不安定で常に僅かに揺れている。
 よし次。“乗り込んできた”。つまり私はこの人ののるこの船に勝手に乗り込んでしまったと。

 …………覚 え が な い ぞ ?

「ええーーと…。乗り込んできた…」
「ふふ!覚えはないか」
「まあ…。はい」

 嘘じゃない。でも何故だ。後ろ(さっきのシルクハット)からすんごいにらまれてる気がする。
 ──う、うそ言ってないし!!!!
 そう内心で叫ぶも、声に出して言うほどの度胸はなかったので念じるように『何もわからないんです』と脳内だけでくり返した。

「おれは“ 革命家”モンキー・D・ドラゴンだ」
「ちょ、ドラゴンさん!」

 シルクハットが慌てたように声を上げた。あまり名乗っちゃいけないのだろうか。

「君は?」
「あ、はい、私は…」

 名前を言おうと口を開いたが、なんと発音したらいいのか、わからなくなった。ド忘れしたみたいに言葉が続かない。思わずだまりこむと、後ろから声がかかった。

「おい。ドラゴンさんが名乗ったんだ。お前も名乗れよ」

 そう厳しい声がして、わかってるよ、と怒鳴りそうなのを耐えながら思考をめぐらした。
 ありえない。記憶力とかそんな問題じゃない。

 自分の名前が出てこないなんてありえない。
 そうでなくても記憶はいい方である。ますますありえない。今までの人生のなかでそんなこと…────

「────あ、れ…?」

 人生って、何を思い出せばいいのやら。とりあえず、今まで何をしていたのかを思い出そう。いままでどこにいたのか。どういう経緯でこの船に乗ったのか。
 ──…だめだ、出てこない。出てこない、思い出し方がわからない。わからない。わからない…!!!
 パニックになりかけた脳を自覚して、落ち着けるために目を閉じた。
 いや、これは仕方ないのかもしれない。もっと基本的な事を思い出そう。それなら出てくるはずだ。…住所!住処はどこか…ぐら、い…。
 おかしい!出てこない!好きな食べ物!これいこう!…パン!…パン。なんと、曖昧な。

「………す、好きな食べ物はパンです」
「名前を聞いてんだよ馬鹿か!!!」

 後ろから激しいツッコミが入った。ドラゴンさんがははは!と笑った。

「なんだ、名前が言えねえのか」
「いいいいい言えますよ!当然言えますよ!!あああ当たり前じゃないですか!待ってください、今すぐに思い出して見せます…!」

 は?と、ドラゴンさん以外の人が声を上げた。一瞬の静寂が訪れた。

「──…さ…サボさんが頭蹴ったから記憶喪失になっちゃったァーー!!」
「うわぁああああ嬢ちゃんごめんよぉおお!」
「お前ら人の所為にすんなよ!!」
「身体痛いと思ったらアンタの所為かシルクハットォ!!!ていうか記憶喪失違う!!」
「じゃあなんで名前言えねーんだよ!!」

 う゛!!とひるめば、シルクハット──サボ、と呼ばれていた──は明らかに『面倒くさい』という顔をしながら息を吐いた。

「おい」
「おいじゃなくて、私の名前は…!!…〜〜〜っ!!」

 思わず頭を抱えた。何故出てこないいいいいい。頭だけとは言わず、体も捻りにねじってみたが、少しの記憶も絞り出せはしなかった。まあ物理的に絞ったところで記憶が出てくることなどないのは当然と言えるが、そうせずにはいられなかったというのが本音だ。それを見ていたシルクハットは「もう何でもいいよ」と諦めたような声色で小さくつぶやく。

「ふ。そうだなあ、おい娘」
「(娘…)なんですか」

 娘、の呼び名に僅かないらだちを覚えるも黙っておいた。ではいくつだ、と問われても答えがわからない。果たして成人していたかどうかすらが……わからない。
 それに、目の前にいるこのドラゴンという男はおそらく、この船においてそれなりに権力を持った人だろうと推測できた。そうでなくても、それなりに年齢を重ねているだろうから、こちらのことなんて小娘で充分なんだろう。
 ドラゴンさんは楽しげに目を細めてニンマリと口角をあげた。乾いた唇の隙間から手入れされた白い歯が愉快にのぞいている。

「これからどうしたい」
「どう?…どうしたい、か…」

 思わず首を傾げたが、その真意に気付いて思わず考え込んだ。正直、問われると痛いことだ。名前すら思い出せないのだ。自分はどこに帰ればいいのか皆目見当もつかない。それは詰まる話、これから何を考えて、どう行動していくか、だ。ここは船だ。行先は決まっていて、勝手は許されないことは想像にやすい。正直、次の目的地もしくはその道中で下船できるところがあればそこで降ろしてもらうしかない。
 降ろしてもらっても、それからどうやって“家”に帰るのかもわからない。正直なところ、何を覚えていて何を忘れているのかもわからないのが現状である。名前すら忘れているところを思えば、失った情報量は膨大であるのは違いないだろう。
 せめて自分の情報に関する手がかりがあればいいのだが。
 …そういえば、とそこで思い至った。彼らからした今の自分は“侵入者”であり、間違いなく自分はいま“捕まっている”。かけられた手錠は石造りでそれもかなり堅そうである。もちろん重い。何が言いたいかというと、もしかしたら取り上げられた持ち物があるかもしれないということだ。それは間違いなく自分への手がかりである。何かを持っていたら、の話だが。

「……私の荷物ってありましたか?」
「荷物なら、さっきの倉庫に一緒に置いてる」

 答えたのは後ろに控えていたシルクハットだった。…以外にも身近に放っておかれていたらしい。ということは、たいしたものは持っていなかったということか。

「名前がわかるものはなかったの?」
「なかったな。コインが数枚とガラス板と指輪が一個だ」
「それだけ?」
「それだけだな」

 コイン、とはおそらく通貨か。ガラス板と指輪については覚えはないが、持ち物だったのなら何かしらの情報はありそうだ。あとで返すよ、といったシルクハットに、軽い会釈をしたところで、ドラゴンさんに向き直った。

「…次の目的地まで、乗せていただいてもいいですか」
「ほう?」
「もしくは、その道中に降りれるところがあればそこまででもいい」

 船からほっぽり出されでもしたら確実に死ぬ。生きて帰るには必要なことだ。じっとドラゴンさんを見つめてみれば、ドラゴンさんはにっと笑っていいだろうと一言返してきた。シルクハットもそれには反対ではないらしい。みじかく息を吐いただけだった。あからさまにほっとしてくれたのは、シルクハットの部下だかなんだか知らないが、よくかばってくれた二人だ。

「野郎ばかりだが、みな自慢の仲間だ。船内についてはサボから聞けばいい」

 つぃ、とドラゴンの視線が自分の背後に向いたのを追って、うしろをふりかえる。どこか嫌そうな顔をしたシルクハットの男が壁に背を預けて立っていた。

「……シルクハットさん…」
「お前ホント後で殴る」
「自慢のお仲間の方超怖いんですけど!」
「あんたが余計なことばっか言うからだろ!!!おれはサボだ!!」
「よろしくお願いしますサボさん」
「…!!!」

 心底イラッとしたような顔をしている様子のサボから視線をドラゴンに戻す。ドラゴンは実に楽しそうに笑っていた。目の前でお仲間が遊ばれててもこれか。懐が大きい。

「とはいえ、次の目的地まではあと5日ある。なまえがないと不便だな」
「女でもなんでもいいですよ、呼び方なんて」
「…付けるか」
「な、何ですと…」
「不満か?」
「いいえ喜んで!!!!」

 なんだか妙な畏怖を感じてしまい、思わずドラゴンの名付け親化を快諾した。もうどんとこいという気分だった。
 どんな名前でも受け止めてやらぁ…!!
 覚悟を決めると、姿勢を正してドラゴンの言葉をこわごわと待った。

「#1#」
「……。…ん?」
「君の名前だ。おれたちが今向かう島の古い言葉で『宝』を意味する。君は今から#1#だ」
「…あ、はい」

 さらりとドラゴンが呼んだ名前が自分の名前とは思わず反応が遅れた。確かに誰かを呼んだのに、その視線がまっすぐこちらに向いていたからまさかと首を傾げたら、どうやら自分の名前だったようだった。少し感じる違和感は、おそらく己の本名ではないからだろう。しかし、それもすぐになれるはずだ。
 ──しばらく私は、#1#だ。そう復唱して顔を引き締めると、改めてドラゴンに頭を下げた。

「お手伝いできることなら何でもします。よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそな」

 そう言ってわらうドラゴンの笑みはやはりどこか不敵だった。