心だけが覚えてる
「さって、ここまでの復習をするから逃げずに話を聞いてよねぇ?」
「は、はぁーい…!」
目の前にいるのは所謂常駐船医と言うやつで、女性だった。この女医、風呂場でアルカをひん剥いたボスである。最初から遠慮はなかったと思ってたが、実はそれなりに遠慮はされていたらしい。気遣いというものはどんどん消えて、代わりにどんどん質問や指摘が容赦がなくなっていっている。
「余計なことは考えないでね」
「う゛」
怖い。文字にすればそうでもないが、実際のことを言うとそこにあるのはどこかぎらついた目と核心を的確についてくる容赦のない口だ。
問診と称した尋問である。多少の心得があるらしい女医がにっこりと不敵に笑いながら机にチャリンとアルカの手持ちの小銭をバラばいた。彼女の名前はカーラという。さらに言えば、呼び捨てにするよう言われている。サン付けはむずがゆいらしい。
「じゃあまずは通貨について。通貨は“フォン”。これは世界共通通貨である。オッケー?」
「うん、オッケー。地方によっては違ったりすることがあるけど」
「はいじゃあ次ー、貴女はここじゃない別の星にいた」
通貨について聞かれたのは少々意外だった。さらりと流されたのであまり気にはしなかったが、再度確認されたことが少し引っかかる。
次に聞かれたこと──住んでいた星──に関しては、確信にはかけるが、そうだったように思う。
「たぶん月か、火星か…どっちなのかはわからないけど、地球には行ったことはなかった…と思う」
「その根拠は?」
「──…」
思わず黙った。自分は地球に住んでいたか。その疑問を自分に突きつけたときに、確かな感情が沸き上がるのを感じた。それは懐かしさのような故郷を思うようなやさしいものではない。言葉には言い表しにくいし、何よりあまり口にしたくないと思う。
その沈黙をどうとったのかは知らない。サボがどうしたと言わんばかりに口を開いた。
「心当たりがあるなら言えよ。それとも、言いたくないのか?」
「……言いたくない、はダメ、ですか。記憶というより、…感情の問題で」
あまりいい顔はしていなかったのだろう。アルカの顔を見て、サボは小さく息を吐いた。
『地球』と聞くだけで、アルカの中に沸き上がるのは負の感情だ。悲しいとか憎いとか、そんな明確なものではないが、それに近いものがある。楽しい気分もそれで削がれてしまうような気になる。さらに言えば、罪悪感を感じるような、そんな気分もあることも確かだ。
「……強要はしないけども」
その言葉にほっとして礼を述べる。サボは特に反応は示していないが、アルカには先の言葉で十分だった。
それじゃあ、と仕切り直したのはやはり女医のカーラだ。
「次よ。…その指輪」
う、と反射的に呻いた。カーラに「次はその話題だから覚悟しろ」と言われた気分になったアルカは無意識に左手の指輪に右手を重ねていた。避けられないこの話題。
甲板に出る前の問診の中で最も多くのことを調べられたのがこの指輪だ。指輪、と聞いて連想するのはエンゲージリングであるとか、ペアルックであるとか、形見であるとか。深い意味であることが多い。実際、アルカはこの指輪に対してかなりの執着心があるらしく、常に身に着けていないとそわそわする。問診の時に一度外してカーラに手渡したのだが、もう不安で不安で仕方がなかった。なかなか深い意味のありそうな指輪である。
しかしカーラに曰く、「ただの婚約指輪だとかそんな甘いものじゃなさそう」とのこと。つけるところも人差し指であるし、実際アルカもつけていて何か特別な人を想うような感情は浮かび上がっていない。…忘れてるだけ、という線も捨て切れないわけじゃあないが、それにしてはこの指輪は無骨すぎた。
「ほんっとうに謎だらけ。もらったのか自分の趣味なのかもわからないもの。けれどそれはアルカにとって重要なもの。それしかわからない」
いい情報源なのに、と舌打ちでも聞こえそうな顔で言うカーラに、アルカはわずかに苦笑する。記憶がないので、カーラにその答えをあげられない。
そうしていると、突然ずいっと顔を寄せてきたカーラに、思わずのけぞって椅子から転げ落ちかけた。
「誰かの顔も浮かばないの?」
「…っぶなぁ…。誰かっていわれてもなあ…」
「はあ…もういいわ…。とりあえず、復習完了」
これだけの復習であるが、たったこれだけの情報をひっぱりだすのに1.5時間くらいはかかった。通貨に関してはすぐだったが、わたしが月か火星の住人であったことに関しては、まずわたしがなぜ『この船をどんな船と勘違いしたか』から始まった。そこからは自分が想定していた船の全容やそもそもの常識的な部分を確認させられた。そうして出てきた『宇宙船』からも、月や火星が出てくるまでやはり時間を要した。
何を知っていて、何を知らないのか。そういうことを探っていたが、なかなかに難しい。
ただ、常識はかなり違うらしい。『悪魔の実』とか常識らしいけど知らないし。ていうか聞くからに物騒な名前の実である。怖い。
「さて、喜びなさい。前半はこれでおしまいだから」
「前半……」
「当然よね」
前半。つまり前半分。つまりまだ全体の半分か。
げんなりするわたしに気付いたカーラは、呆れたような顔をしつつも、安心して、と諭すように口を開いた。
「今からは擦りこみ教育の時間だから」
「全然安心できないんだけどどうしたらいい!?」
「だーいじょうぶ大丈夫。そういうもんだと思い込めばカンタン」
言ったカーラがふふんと笑う。
近くの戸棚から一枚の大きな紙を取り出すと、おもむろに近くの机に広げて固定した。
なにこれ、とアルカが問う前にカーラが口を開いた。
「まずこれが世界地図でーす」
「は…は?」
意味が分からないとばかりに目を瞬かせたアルカに、カーラは一転悲し気な顔を作る。
「驚きでしょうけれど、宇宙に人が住んでるなんて聞いたこともないわぁ」
「え」
「というか、そんな技術がないわー。考えたこともないわー」
「え」
「というか、もしかしたらアルカって未来から来たとか?ありえなくもないけれど」
「え」
「まあでもそこは考えてもわからないわね。取り合えずあなたの持つ常識は異常だから気をつけてね?」
「え」
なんか今、この短時間にものすごいおかしなことを聞いた気がする。
「とりあえず、わたしたちが生きる世界はこれが最大ね。大半を海に占められた水の惑星」
「ん、んんん?」
「ちなみに今わたしたちがいるのはこの辺」
すっとカーラの細長い指が海のど真ん中を指さした。
なんだか太く真っ直ぐなラインの上だ。いずれにせよまず言いたいことは。
「や、あの。この地図何?」
「だから、世界地図」
「これが?」
「まだ発見されてない島とかもあるけれど、一応これが世界地図ね」
「や、え?ええええええなにこの自転止まった地球みたいな大陸」
「…そんな感想聞いたの初めてだわ」
「え、だっておかしくない?変じゃないこの大陸。ぐるっと一周してるよ?自転止まったとかじゃないとできなくない?どういう地殻変動でこうなったわけ?ていうか、このラインは何…」
「あー、あー。ちゃんと説明はするから。黙って」
まるで科学者みたいな発送ね。そう息を吐いたカーラにムッとする。失敬な。理系で何が悪い。…って、あ。
「…わたし理系だわ」
「それは察してた」
「あ、そう…」
カーラから即答が返ってきた。なんだこの妙な虚しさは。
「世間であまりそれ言っちゃだめよぉ、かわいそうなキチガイに間違われちゃうから」
「は、い?え、や、」
「一応の優しさよ。言っちゃだめよ?分かった?」
「はい…」
一応、優しさゆえの助言だという。しかし、これから始まる『擦り込み教育』のことを思うと本当に優しさはあるのかと疑いたい。実際、目がぎらぎらしてる。本当に優しいなら、その刷り込み教育とやらは明日に回してくれてもいいんだよ?
思うも、そんな願いむなしく、嬉々としたカーラ先生の常識クイズが始まるわけだが、…なんかもう、早く部屋で寝たい。