小石の波紋

「あっつぃぃぃぃ…」

 そう呟くと周囲から笑いのような、呆れたようなヤジが飛んでくる。今日だけで──否、この数十分の間に何回した会話か思出せないくらいにその言葉をつぶやいた。

「なにこれすっご…肌がびりびりするんだけど。太陽すっご」
「これできついなんて、お前夏島に行こうものなら死ぬんじゃね?」
「言えてる、春島でももうちょっと暑い。…もしかして冬島出身なのかもなぁ」
「あー、なるほど。だとしたらそうとう寒いところにいたんだなぁ」
「……はは」

 ちょっと違う。そもそも太陽光線を直に浴びてこなかったことが災いしているのだろう。記憶がなくても、いままでどんな環境にいたのかは何となくわかる。明るいところであったが、太陽光線は直接当たらなかったと思う。というか、直に浴びるのは非常に危険だったように思う。
 目を潰すほどに眩しい空。照り付ける陽の光は不思議と嫌ではないのだが、いかんせんつよい。
 額にうっすらと浮かんだ汗を拭うと目の前に盛られた洗濯物の山を見据えた。さて、仕事だ。

 この船に来てからというもの、なにもしないでは少々居心地がわるかった。何か手伝える雑用はないかと聞いてみたら、洗濯当番が大変だと言うのでそれを手伝うことにした。なるほどなかなかの重労働であった。
 大量の洗濯物を運ぶのはさすがに筋力が足りなかったので、選別とひたすら畳む作業である。しかし多い。

「いやぁーすまんなアルカちゃん」
「お気になさらず!」

 我ながら不器用だとは思うが、1枚1枚を確実に干していく。最初は不慣れだった手際も、慣れればだんだん効率もよくなってきた。

「いつもはこんな大人数で移動なんてしないんだけどなぁ」
「そうなんですか?」
「おー、もっと5人〜10人程度のチームで動く。まぁ今回はちょっとした事情でな」
「へぇー」

 こういう木造の船こそ人員が必要なのではとも思ったが、意外とそうでもないらしい。星間貨物船なんかはそれこそ3人程度の乗組員のみでの運航がほとんどだ。はるか昔は15人程度、宇宙進出のなかった時代ではその倍の人間によって運航されていた。この世界の時代としては宇宙進出以前のものと同一に思っていたが、案外技術レベルは遜色ないのかもしれない。方向性の違いはありそうだが。

「聞かないのかい?」
「事情をですか?」

 おー、と乗組員のひとがニマニマと笑う。別にこの男がアルカを悪く思っているわけではないのはわかる。ただはっきりしろと言うことだろう。無実なら無実だと大声で言え、斥候なら力の限りやれ、と。アルカは記憶はないがおそらく前者だ。

「聞いてもねぇ…。わたし部外者ですし」
「なんだよつれねーな!」
「釣れたところでどうしろと???」

 実のない疑惑を持たれるだけだ。心底ごめんである。


 ひととおりの洗濯を終えれば、次は掃除に移る。基本的には船内の、とりわけ廊下の清掃だ。まぁ室内に入って余計な資料などを見てしまうよりずっといい。また、ただの穀潰しにはなりたくないという思いもある。
 通常、記憶喪失の女等厄介以外の何物でもないだろう。それを時間限りとはいえ受け入れてくれるのは、それだけ気がいいからなのだろう。

「(あるいは、何か利用用途があるか)」

 人的資源はいつの世も高価だ。
 カーラもコアラもいい人だ。基本的に相手をしてくれる人達は気のいい人ばかりだ。半面、団体としての存在意義や次の行動は包み隠されている。現在いる場所さえ判然としない。それは彼ら「革命軍」がアルカを信用できないからということも大いにあろう。
 ──けれど

「(わたしからしても、ここの人たちを信用しきれないんだよね…)」

 お互い様といえばお互い様だ。事実、自分を厄介者として見る目がいくつもある事を知っている。近寄ってこないから、アルカも近寄らない。それだけだ。
 掃除用具を取りに物置へ向かう道すがら、食堂の前を通った。ふと目を向けた食堂内で、何名かの料理人が集まっていた。
 どうかしたのだろうか、と首を傾げていると背後に人の気配が現れた。

「退いてくれる」

 思わず肩が跳ねた。サボだ。
 サボはすぐに避けたアルカの横を通って食堂に入って会話の中に入っていく。なんだか深刻そうだと思ってアルカはなにも言わずに立ち去った。

 なんだかんで気になっていたその答えを、意外にもカーラがあっさりと持ってきた。

「濾過器?」
「そ、これが壊れたの。困ったわ〜」

 カーラがちいさく息を吐いた。どうやら、海の水を濾過する機械が壊れたらしい。困った、とカーラがいらだたしげに指で机を叩いた。

「海の水は?飲めないの?」

 周りにいっぱいあるじゃんと言えば、カーラはしばしぽかんとした。それから、合点がいったように頭をかかえた。

「そうだ、基本常識からないんだった……」

 うるさいなどうせ常識知らずのキチガイだよ!!そうか、一般常識的に海の水はどうやら飲んではいけない──飲めないものらしい。

「毒があるとか?」
「ぜーんぜん!濾過器が正常なら飲ますんだけどね…」
「え、どゆこと…」
「とにかく!海の水は濾過器なしじゃ飲めないの!絶対に!」
「そ、そうなんだ……」
「こんな時に限って技術者は新米しかいないし…」

 はぁ。とカーラがまた息を吐いた。
 なんだか大変そうだなと漠然と思ったが、それを伝えるとそれはそれで怒りを買いそうな予感がしたのでなにも言わずに手元の本に集中した。童話だが、だからこそ世界の常識が詰まっている。
 それを読んでいる途中で、ちらちらと頭の中を過ぎるものがあった。

「(濾過器…)」

 なんだろう、とても気になる。人間に必要不可欠要素である水分。周囲にある大量の水は飲めないらしい。飲水を貯水ではなく濾過器で濾過しているということは、海水を濾過して飲水にしているということだろう。
 ──あれ?つまりやばくないか?
 航海があと何日あるかは分からないが、水がなければ人は生きていけない。海水は飲めない。
 ──やばくないか?
 段々と不安になってきて、本の中身が頭に入ってこない。濾過器のどこが壊れたんだろか。濾過部が機能しなくなった?海水を汲み上げるならポンプが壊れたのだろうか?それとも供給部品が壊れた?直せる壊れ方か?直せなかったらどうなる?
 食堂では乗組員の何人かが深刻に顔を突合せていた。こんな環境で、外からの供給があるとも思えない。要は漂流状態に近い。大丈夫な気がしない。そうなれば、真っ先に口減らしに捨てられるのはまちがいなくアルカだ。それだけはなんとなくわかる。

「集中できてる?」

 もやもやとした心境のまま本を見つめていれば、その後ろからカーラがにゅっと顔を出した。びくりと肩を震わせてカーラをふり仰ぐと、アルカの顔を見た彼女はぷっと吹き出して笑いだした。

「何その怯えきった顔」

 ケラケラと笑うカーラに、「え」だか「あ」だかとままならない返事をしていれば不思議そうに顔をしかめられた。

「さっきからどうしたの」
「…いや…なんでも、ない…」
「ふぅん?」

 どこか納得していなさそうだったが、すぐにひっこんでいったカーラにほっとして児童書に視線をもどした。

「ねえ」
「ひえっ!?!?」

 またすぐに戻ってきて覗き込んできたカーラに、今度こそ悲鳴があがって手元が狂った。手に持っていたはずの本がきれいな放物線を描いて飛んでいき、花瓶に当たってガシャーンと派手な音を立てた。

「ねえちょっと大丈夫!?」

 ばーんと扉を開けて入ってきたコアラは、椅子に座ったまま硬直したアルカとそれを覗き込むカーラを見て不思議そうに首をかしげた。
 
「あ…あわ…」

 ただし、アルカだけはそれどころでなく、頭の中がパニックになっていたのだけれども。



 カーラが爆笑した。

「ええ?それで不安がってたの!?あっははは!!」
「いや割と笑い事じゃない気が…」

 コアラさんと合流して、様子がおかしいとアルカを問い詰めたふたりに、観念してぽつりぽつりと水不足への不安をこぼしてみれば、その不安を察したらしいカーラが笑い出した。その横のコアラも困ったように苦笑いする。…いや、否定してこないあたり、もしかしたら割とこの予想は合っているのかもしれない。
 結局顔を青くするアルカに、カーラは「まぁ落ち着きなさいよ」と肩をたたいた。

「そんなことするわけないわ」
「そーそー。害意はないから安心してよ」

 よしよしとなだめるように女2人がかりで頭をなでられた。年下のように扱われているようであまりいい気はしない。

「わたしたちは革命軍よ?」

 自信満々に言い切ったカーラだが、革命軍と言われても、どのような組織なのか知らないのでなんとも言えない。既存の政体へ反旗を翻すと組織という意味では、あまりいい気はしていない。それだけ、この国では圧政が敷かれているのだろうかと思えば地域差もあるようだし。もうちょっと知ろうかと思ったが、踏み込めば踏み込むほどあまりよくないことも察したので、この船ではなにも言わずに当たり障りなく過ごすことにした。
 どうせ次の島までの付き合いなのだから。