緑色した大男
立ち込めた砂煙が晴れていくと、嫌でも自分の置かれた立場を見せつけられた。
壊された建物の残骸、潰れた車、銃を構える強そうな人たちと、それから緑色の大男。
これから自分がこの大男と対峙しなければならないという現実に眩暈を感じながら、ヘリコプターからその景色を眺めていた。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。事の発端は数時間ほど遡る。いつも通り勤務先である動物園の事務所で仕事をこなしていた時の出来事だった。
「猛獣を一匹、宥めてもらいたい」
突如私の元を現れた男はこう言った。穏やかそうな顔をして、穏やかでない雰囲気を纏った彼はコールソンと名乗った。
自分の仕事柄、今までも急な依頼を受けることは確かにあった。例えば悪さを働く迷惑な猿の捕獲だとか、動物園から逃げ出したシマウマの捜索だとか、動物に関することならなんでもだ。
それは私が人より少し動物に詳しい動物好きだからで、正直な話、私で無くとも遂行できただろう依頼は沢山あるのだが、その度に名前だけが一人歩きして終いには「どんな動物と心を通わせられる動物学者」などと大層な噂まで広まってしまった。
だから、今回もその類だろうと高を括って依頼を受けてしまった。雰囲気からすると、肉食動物でも逃げ出したのか、と。
彼が名前と共に名乗った組織について、言及しなかった自分をこんなに恨む結果になるとは、その時は微塵も思わなかった。
それは猛獣なんて可愛いものじゃなかった。
そもそもこの生き物に見覚えがあった。なにも私だけじゃない。数ヶ月前にニューヨークを救ったとニュースを賑わせた謎のヒーロー達。その映像の中にいた緑色の大男だ。
それがどうだろう。彼を囲む状況を見ると、とても理性のあるヒーローには見えてこない。
理解が追いつかない私がコールソンさんへと視線を向けると、彼は一言「彼がその猛獣だ」とだけ言った。
ヘリコプターが地面を掴むと、その大男の前へと一人降ろされた。同じ高さに立ってみると、空から見ていた時の何十倍も異様だった。
それでも、ここまで来てやらない訳にはいかない。何故なら失敗は即ち死を意味するだろう。私には全力を尽くす他は無かった。
今にも崩れ落ちそうになる膝に力を入れて、大きな彼を見据えた。暴れてはいないが、周りの兵士たちを睨み付けていた。
「彼らに銃を降ろさせて、距離を取ってください。……ゆっくり、静かにお願いします」
渡された無線を使い、小声でコールソンさんへと指示を送る。兵士たちは不審そうに、けれどもゆっくりと武器を降ろし後退していく。
その様子に大男はきょろきょろと彼らを見渡して、そして大きく吠えた。
空気がびりびりと震える、腰が抜けそうだ。全身が心臓になったのかと錯覚するほどの鼓動を少しでも抑えようと一度深呼吸していると、漸く彼の瞳は私を捉えたようだった。
ピリピリとした緊張感が生まれる。
先に動いたのは彼だ。唸るような声、それは威嚇や警戒を示すものと同じだろうか。非力な私など簡単に捻り潰せるだろうに、何故だか私には怯えているように映った。
「大丈夫よ、ハルク。私は貴方を攻撃しない」
静かに、なるべく落ち着いた声色で教わった彼の名を呼ぶ。ゆっくり、ゆっくりと近づき両手を上げ、掌を見せて敵意は無いと示した。
なるべく小さく、刺激しないように細心の注意を払う。
「安心して。もう大丈夫だから」
半ば自分に言い聞かせるように繰り返す。
その間、彼は私を注視したまま動かなかった。距離を詰めて、一か八か瞼を閉じた。
暗闇での時間は更に長く感じた。酷く静かで自分の心臓の音が一際煩い。ただ近くに感じる彼の呼吸が、まだすぐそこにいるという事を伝えていた。
実際には数十秒だったのかもしれないその暗闇を終わらせたのは、何かが掌にそっと触れた感覚だった。恐る恐る瞼を開けると、大きな瞳と目が合う。
その瞬間、彼は指先で触れていた私の左腕を掴み上へと引っ張った。爪先が届くか届かないかの距離に吊るされ、肩がギリギリと痛む。
それでも、精一杯の笑みを浮かべた。
きっと人間が怖いだけだ。自分が到着した時のように、いつも銃を向けられてきたのだろう。
「だい、じょうぶよ……敵じゃない」
すると、ハルクは苦しそうに顔を歪めると手を離し、呻きながらその場から離れていった。
地面へと落とされた私の元へ、コールソンさんが駆け寄ってきた。労わるように私に触れる、どうやら肩は外れていないみたいだ。
「ありがとう、無事成功だ。君の手当ての為に一度本部へ案内しよう」
――成功。
その言葉を耳にすると、まるで張り詰めていた糸が切れたかのように私は意識を失った。
目を覚ますと、見知らぬ部屋のベッドの上だった。身体を起こそうとすると左肩に響くような痛みを感じ、ベッドへと再び身体を落とした。
「気がついたか」
声がして初めて入り口の側に人がいることに気づいた。視線を向けると知らない男が一人。
彼は無線で誰かと連絡を取っている。その中でコールソンさんの名前が出ていたので、きっと先程の依頼の関係者なのだろう。
「貴方は?」
「バートンだ。アンタの仕事ぶり見てたぞ、大したもんだな」
「あの場に居たんですか」
「アンタにもしものことがあった場合にな」
そう言って、彼は弓を構えるフリをしてニヒルに笑った。なるほど、彼も周りにいた兵士たちと同じような役目のようだ。
程なくして連絡を受けたコールソンさんが部屋へとやってきた。
「やあ、ミス・ミョウジ。気分はどうだ?」
「平気です。……あの、あの後私は」
「酷く安心したんだろう、ここへ来るまでぐっすり眠っていたよ。君が眠っている間で悪いが、医者を呼んで肩を診てもらった」
シャツを引っ張り肩を見ると、包帯が巻かれていた。念のために幹部の周りを圧迫しているらしいが、少々大袈裟な気もする。軽い捻挫で済んだので、冷やしていれば腫れも治ると医者の言葉をコールソンさんが代弁する。それから彼が持ってきてくれた氷嚢を肩へと当てた。
一通り話し終えると、コールソンさんは私に向かって頭を下げた。
「無理を頼んですまなかった。その結果、君にケガをさせてしまった」
慌てて彼に頭を上げさせる。
まさかこんな風に謝罪されるとは思わなかった。というのも、急に現れてあんな依頼を押し付けるなんて、ロクな組織じゃないだろうと勝手に思っていたのだ。
もしかすると、本当に緊急事態だったのかもしれない。藁にもすがる思いだったのなら、一度くらい。そう思うと、怒りは湧いてこなかった。幸いケガと言っても軽いもので済んだ。
「このくらいのケガでしたら、動物たち相手でも負うことはありますし。なにより無事にあの場を納められてよかったです」
それよりも、目を覚ましてからずっと気になっていたのは、あの大男のことだった。
苦しそうに去っていったが、あの後どうなった。そもそも、S.H.I.E.L.D.は彼をどうするつもりなのだろう。
「ところで、あの……ハルクは?」
コールソンさんは私が歩けるかを確認する。歩行に問題はないと縦に首を振る。
「ついてきてもらえるか? そのことで長官から話がある」
踵を返して部屋を後にするその背中を追いかける。すれ違いざまにバートンさんが、何か呟いたような気がして、私は一抹の不安を覚えた。
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