前代未聞の依頼内容


「すみません、聞き間違いでしょうか。今、なんと?」

 コールソンさんに連れられてやってきた部屋に居たのは、眼帯を付けた近寄りがたい雰囲気の男だった。
 見た目で判断してはいけないとはわかっているのだが、少なくともフレンドリーとは言えないその出で立ちに身体が硬くなる。

 フューリーと名乗る彼の口から、挨拶もそこそこに聞かされた言葉に耳を疑う。
 寧ろ聞き間違いであってほしい、そんな願いを込めて聞き返す。
 しかし、現実とは無情なものである。

「何度でも言おう。他でもない君に、彼のサポートをお願いしたい」

 くらりと眩暈がした。大男を初めて目の当たりにしたときよりも遥かに。もうこれっきりだと思ったあの緊張を、恐怖をまた味わえと言うのだ。

「彼ってあの、ハルクのことですよね? まさか彼は御宅のペットか何かだとでも言うんですか? 私にブリーダーになれと?」

 混乱を露わにして彼に詰め寄る。
 一体なにを考えているんだ、彼が長官だというが、やはりロクでもないと感じたのは間違いじゃなかったのだとさえ思う。

「確かに私は様々な動物に関する依頼を受けてきました。でも、あんな動物は見た事ない!」
「何か勘違いしているようだな」

 説明していなかったのか、と彼はコールソンさんに向かって言う。
 全く話が見えてこない。勘違いとはどういう事だ。

「失礼。目を覚ましてすぐに連れて来たもので」
「まあいい。ミス・ミョウジ、これを見てほしい」

 大きな画面に映し出されたのは、たった今話題に上がっているハルクの姿だった。改めて先程までこの大男と自分が対峙していたと思うと足が竦む。
 だが、彼が見せたいのはハルクの姿ではなかった。

「なに、これ……」

 苦しそうに呻くハルクが映される、自分も見た反応だ。しかし、よろめきながら地面に倒れ込んだ彼の肌が緑色で無くなる。身体が縮んでいく。変化が終わる頃に倒れていたのは、どこをどう見たって人間だった。
 自分の目を疑った、信じられない。余計に理解できなくなって、自然と頭を抱える。

「彼はブルース・バナー。物理学者だ」
「……今のは」
「先に言わせてもらうが、CG等ではない。彼がハルクだ」

 顔色一つ変えずにフューリー長官は淡々と言う。ただ、私が酷く混乱しているのは理解しているようだった。無理もない、表情に出さないように気を使う余裕もないのだ。

「改めて、君に頼みたい。彼のサポートをしてくれ」

 画面を消して私を見据える。はっきりと私が聞き逃さないように告げる。

「なぜ、私なんですか。動物でないなら尚更理解できません」
「今回の結果を受けて、君がハルクを制御できる可能性が、最も高いと判断したからだ」
「……彼が人間なら、ハルクはコントロールしてるのでは?」

 学習しない私は、どこかで答えの分かっている質問を投げかける。少しの希望に縋るように。

「それなら部外者である君にハルクを手懐けてほしい等という依頼が必要か?」

 そんな淡い期待は簡単に打ち砕かれ、「確かに」と私は力無く呟いた。

 本音を言えば断りたかった。寧ろこんな場所、さっさと逃げ出してしまいたかった。
 しかし、彼が言うように部外者に話すということは組織内では手に負えていないという事だろう。今はどうにかなっているが、彼についてもしもを考えると、本日二度目に気が遠くなっていく。
 クマやライオンが暴れてるなんて比じゃない。もしも彼の自制が効かなくなったら。もしも彼が人間に戻らなくなったら。もしも彼が本当に猛獣のようになってしまったら。

「期待添える自信はありません。……それでも宜しければ」

 頭に浮かんだのは、動物たちの生態系だった。只でさえ、人類により生きる場所が失われつつある彼らにこれ以上無い破壊が訪れるかもしれない。
 きっと疲労や混乱で、まともな判断が出来ていなかったのもあるだろう。誰かがなんとかしなくてはならないのは、目に見えていた。

「ああ、感謝する」

 そう言って差し出された手を、恐る恐る握り返した。これはもう引き返せない事を示していた。

 フューリー長官と話した部屋を後にすると、束の間の休息時間が与えられた。
 まだ混乱しているだろうとコールソンさんが気を利かせてくれたのだ。一緒に参考資料と契約書類を渡されサインしておくように言われだが、気を使ってくれたのだと今は信じよう。

 目を覚ました部屋へ戻り、ベッドに横になる。身体が沈むように重く、どっと疲れがのしかかってきた。
 これからどうなるんだろう。先の見えない不安を少しでも解消するために、渡された資料を捲る。ハルクとブルース・バナーに関する資料だ。彼がハルクになった経緯や条件なんかが軽く記されていた。

「どうだった」

 突然聞こえた声へと勢い良く顔を向ける。声の主、バートンさんは私の反応に少し驚いたような顔をした。どうやら資料に没頭して周りが見えていなかったらしい。

「その様子じゃ巻き込まれたか」
「バートンさん、知ってたんですか」
「まあ、予感に近いがな」

 彼は部屋にあった椅子に腰掛けると、資料を指差した。

「そいつにはもう会ったのか」
「いえ、まだ。どんな方ですか?」

 そういえばフューリー長官たちから、この人物について聞くのを忘れていたのを思い出す。それどころでは無かった、といえばそれまでだが予め知っておいた方が良いかもしれない。
 何気無く彼に問いかけたが、眉間にシワを寄せてうーんと唸ってしまった。

「その質問は、俺は適任じゃない」

 訳あって彼はこのバナー博士という人物に詳しく無いらしい。
 話せる奴を連れてこようかと彼は言ってくれたが、何もそこまでしてもらう必要は無い。

「頑張れよ。初任務を見届けだ誼みだ、なんかあったら話くらいは聞いてやる」

 それじゃあ、と彼は部屋を出ようと扉を開けると振り返ってこう言った。

「もう迎えが来たみたいだな」


 入れ違いでやってきたコールソンさんに連れられ、再びフューリー長官の元を訪れる。
 どうやらバナー博士を紹介してもらえるらしい。ついにご対面というわけだ。
 コールソンさんが彼を呼びにいく間に、今一度任務の確認を受けた。

 ハルクについて出来る限りのサポートをすること。万が一、ハルク化したときに備えて直ぐに駆けつけられる距離で生活すること。
 これらが私が依頼された任務だ。体良く言ってはいるが、要は彼の監視といったところだろうか。勿論気なんか乗るわけがないが、それらを全て受け入れた。

 暫くするとコールソンさんが戻ってきた。
 そうして、冴えない男がもう一人。

「やあフューリー、話って何かな? 改まって呼び出すなんて、ついに牢屋に入れる事になったとか?」

 現れたのは確かにあの衝撃的な映像で見た男だったのだが、思っていたより随分頼りないというか、野暮ったく感じた。
 彼があの大男? 本当に?
 一度信じると決めたことだったが、それが揺らいでしまう位彼とハルクにはギャップがあった。

「……そちらは?」

 私に気づいた彼が恐る恐るといった様子で尋ねた。牢屋がどうだと言っていたが、今の彼には私はどう映っているのだろう。

「彼女はナマエ・ミョウジ。動物学者だ。彼女のことで君を呼んだ」

 長官の紹介にバナー博士は眉を顰めた。どうも、と挨拶を交わすものの彼の不信感は募るばかりだ。

「動物学者? えーっと、悪いが話が見えてこない。一体何の用だい?」
「彼女に君のサポートを依頼した」
「僕のサポート?」

 困惑する彼に長官は事情を説明し始めた。
 先程ハルク化した彼を止めたのが私であることと、それから任務の内容についてだ。
 私に話した時よりも更に言葉を選んでいるように思えたが、彼の表情を見るに真意は察しているのだろう。
 それからバナー博士は長官にいくつもの質問や意義を唱えていたが、その度に言いくるめられていた。隣のコールソンさんに視線を移すと、彼もまた苦笑いをしていた。

「つまり、彼女と生活を共にすると」

 回避できないと諦めたのか、内容を端的に確認しては間違いがないとわかると、大きくため息をついた。此方もそうしたかったが、話が拗れると更に面倒なことになりそうなのでぐっと堪えた。

 話は以上だ、との長官の言葉で扉が開くと私達は部屋の外へ有無を言わさず追い出された。
 博士は此方を殆ど見ずに、キョロキョロと周りを確認していた。その様子が、少しだけハルクと被って見えた。
 私は彼に手を差し出し握手を求めた。ぎこちなくそれを返してくれる彼と、改めて挨拶を交わす。

「よろしくお願いします、バナー博士」
「あ、ああ……プライベートもあったものじゃないな」
「それは、お互いに」
「……それもそうだ」

 こうして、なんとも奇妙な私と博士の共同生活が始まった。

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