変化


 タワーに戻ってまず目にしたのは、気持ちの悪いくらいに落ち着きのないスタークさんの姿だった。談笑しながら彼の近くを通りかかると、不自然な咳払いと共に私たちの前へと立ち塞がった。
 特に何かを言い出すわけではないのに、視線で「なにがあったか説明しろ」と煩いほど訴えかけてくる。目は口ほどに物を言うとはこのことだ。
 後から聞いた話だが、私たちが二人で出かけた事をジャーヴィスから聞かされて以降、ずっとこの調子だったという。

 私たちはお互いに、今日の出来事を言葉のするのがなんだかすごく照れ臭いことのように思えて言い淀んでいた。
 しかし痺れを切らしたスタークさんに急かされて、ついには誤解が解けた経緯を話すことになった。
 その際、私にはなんのことだかはわからなかったが、バナー博士がスタークさんに向かって君の言う通りだったと告げると、彼は得意げに頷いていた。

「仲良くなったのは喜ばしいことだ。……それにしても」

 初めて四人揃って囲んだ夕食の後、スタークさんが蒸し返すように口を開く。
 
「君たち、仲が良くなりすぎじゃないか?」

 私たちがタワーへ戻った直後、それから帰宅するや否や駆け寄ってきたペッパーと共に、更に再度確認してきたスタークさんに、とわだかまりが解けた経緯について話してきた筈だが、スタークさんは何度だって珍しいものを見つけた顔をする。確かに今までの重苦しさが嘘のように、肩が軽くなったことは事実だが、それにしても少ししつこい。

「そんな事はないさ。寧ろ今までが悪過ぎた」

 彼の隣に座る博士も困ったように笑いながら返す。そんな対称的な彼らの様子を、キッチンで食後のコーヒーを淹れながら眺めていた。
 私も博士と同意見だ。どちらかといえば早いうちから友好的だったスタークさんの方が自然に接することが出来ているし、やはり今までとのギャップが大きいせいだろう。
 それでもスタークさんは譲らなかった。というか、少々演技じみた表情から察するに、どうやら私たちを揶揄っているだけのようだ。

「本当に行ったのは動物園だけか?」
「何言ってるんですか、もう。はい、コーヒーどうぞ」
「ああ、ありがとう」

 コーヒーを乗せたトレイを手にスタークさんの横へと立つと、白い湯気がふんわりと立つカップを一つ差し出した。それからペッパー、博士にもカップを配ると最後に自分の分を持ってペッパーの隣の椅子へ腰掛けた。

「こんなに怪しんでるの僕だけ?」

 一口コーヒーを啜った後も、スタークさんは話を切り上げない。それまで様子を伺っていたペッパーがその口を開く。慣れた様子で、まるで子供を嗜めるような雰囲気だ。

「トニー、ヤキモチ妬かないの。本当は嬉しいんでしょ」
「そりゃ嬉しいに決まってる! 漸く友人同士が仲良くなったんだ」

 オーバーリアクションで両手を広げた彼の言葉に、思わず笑みが溢れた。私の非日常が始まってから、私と博士のことを一番気にかけてくれていたのは間違いなく彼だった。

「ありがとうございます」
「ありがとう、スターク」

 心に浮かんだ感謝をそのまま言葉にすると同時に聞こえたのは同じような博士の声。示し合わせたわけではないそれに、反射的に丸くなった目を合わせると小さく笑った。
 それを見ていたスタークさんはどこか不満げに、それでいて嬉しそうにため息をつきながら前のめりだった身体を背もたれに預けた。

「まったく……僕を仲間外れにするなよ?」

 拗ねたようにそう漏らした彼が可笑しくて、今度はペッパーも含めた三人で笑い合った。
 こんなに楽しい夕食を迎えることになるなんて、誰が予想できただろう。そう思うのと同時に、如何に私たちの関係がこの共同生活に影響を与えていたかを思い知った。それから、嫌な顔せず支えてくれたスタークさんとペッパーの心の広さもだ。


 コーヒーを飲み終えるとペッパーはシャワーを浴びに部屋を後にした。スタークさんは一人、アルコールの入ったグラスを傾けている。
 私は食べ終えた食器を洗い、博士は残りの食器をキッチンへと運んでくれていた。お礼を言おうとすると、そのまま隣へやってきた博士は私の持っている食器に手を伸ばす。入れ替わるようにシンクの前を押し出され、その場に立ち尽くすも手は泡だらけだ。

「あの博士、運んでいただけただけで十分ですから」
「今までの食事のお礼だよ」
「お礼って、これくらいしかやることないだけで」
「いいから。やらせてくれないか」

 僕の気が済まない、と博士は皿を洗いだした。スタークさんに視線で助けを求めると、彼は黙って頷いた。やらせてやれということなのだろうか。
 仕方なく皿洗いをお願いすることにした。手の泡を洗い流し、彼が洗い終えた食器を隣で拭く。
 手元を見つめる博士の様子を横目で伺いながら、私は口を開く。

「またハルクに会わせてもらえませんか。 彼ともちゃんと話をしたいんです」

 博士の泡まみれの手が少し止まる。それを見た私の喉は、こくりと生唾を飲み込んだ。ほんの少しの沈黙の後、彼の横顔は呆れたように吐息を漏らした。

「……君は本当に変わってるな」

 変わっているかと聞かれたら、もしかするとそうなのかもしれない。
 でもそれは、きっと私だけじゃない。

「スタークさんと同じですね」

 私が返した言葉に博士は少し目を見開いて、それからぽつりと呟いた。私の思い上がりでなければ、表情は微笑みに変わっていた。

「変わった友人ばかりだ」

 友人。その言葉はまるで小さな光の矢のようだった。ストンと胸に突き刺さるものだから、つい呆気に取られた。そしてすぐに、そこからじんわりと暖かくなった。
 その温度のくすぐったさに、思わず緩みそうになる頬を必死に堪える。しかし、そんな時は決まってこの目敏い人に気づかれてしまう。

「にやけてるところ悪いんだが、ナマエ」

 いつの間にかシンク前のカウンターに座っていたスタークさんが私に向かって言う。指摘された気恥ずかしさから咄嗟に出た反論などは彼の耳には届いていないらしい。

「もういいんじゃないか」

 頬の火照りを感じながら、彼のその言葉が何を指し示しているのか見当もつかず首を傾げる。

「ええと、何がでしょうか」
「その他人行儀な喋り方だ。バナーとも友達になったんだろう?」

 言われて漸く合点がいった。
 確かに私がいつまでも堅苦しい喋り方をするのは、博士と不仲であったことが大きい。それでもしかし。そう言いかけたところで、今度は博士が頷いた。

「ああ、僕もそっちの方が気が楽だ」

 もう逃げ場はないぞ、としたり顔でスタークさんが私の答えを待っている。こうなってしまっては、もう私に撃ち返す弾は残されていない。

「……わかった。なんだか変な感じだけど」
「まったく、君のガードの堅さには流石の僕も手こずった」

 そんなスタークさんの軽口に笑いながら、博士から最後のお皿を受け取り水気を拭き取って棚に仕舞う。
 その一連の流れを最後まで見届けたスタークさんが首を捻った。

「ところで君たち。そこの食器洗浄機の使い方、知らないのか?」

 スタークさんが、指差した先には食器棚にぴったりと埋め込まれた黒い機械。数秒それを眺めて、その言葉の意味を理解して飛び上がる。

「ええっ、これが食洗機!?」
「まさか気づいていなかったとはな」
「す、スタイリッシュ過ぎて……」

 呆れ顔で首を振るスタークさん。だってそれはあまりにも食器棚と同化しすぎていて、私のイメージするものとはかけ離れていた。
 こんなのわかるわけない、と同意を仰ごうと博士に視線を向けると、彼も驚いたような顔でこちらを見ていた。

「……僕はてっきり、手洗いに拘りがあるのかと」

 間抜けは自分一人だという事実に項垂れる私を、二人は愉快そうに笑っていた。
 小さくため息を吐くも、こんな空気も今までではあり得なかったという事実が私の胸を更に温かくさせたのだった。


 次の日、いつもと同じような朝を迎えた。アラームを止めて身支度を整える。
 あまりにもいつも通りの朝に、昨日の出来事はまるっきり夢だったのではないか、そんな気さえしてくる。

 そんなことを考えながら朝食の支度しに向かうと、ダイニングには既にバナー博士が座っていた。コーヒーの良い香りがする。

「やあ、早いね」
「おはようございます。すみません、朝食はこれからで」

 そう言って慌てて準備に取り掛かろうとした私に、博士は首をかしげて「言葉遣いは戻したの?」と笑っていた。思わず立ち止まって博士の方を振り返る。交わった視線に少し照れ臭さを感じて、わざと逸らして笑う。

「やっぱり昨日のって夢じゃなかったんだ」
「残念ながらね」
「まさか。嬉しくて少し不安だったの。目が覚めたら、戻ってるんじゃないかって」

 情けないでしょ、と肩をすくめると博士は小さく首を振った。

「気持ちはわかる。でも僕は絶対に夢じゃないってわかった。何故だと思う?」

 うーん、と首を捻った後に、日記を付けてる?と問うもどうやら違うらしい。博士が首を横に振った。

「昨晩は久しぶりにベッドで眠ったんだ。気を張らずに、ゆっくりね」

 そう嬉しそうに言う博士は、私を責めるつもりも悪気があったわけでもないのだろう。でも、その事実が却って私の胸を締め付けた。
 それと同時に、博士がそれを私に告げることができる今を嬉しく思った。
 博士が続ける。

「お陰で今日の僕は機嫌がいい。怒るのには少し時間がかかるかもしれないけど、それでも良ければ君が望むように時間を使うよ」
「それってハルクに会わせてくれるってこと?」

 あからさまに声を張り上げる私に、博士は眉を垂らしつつ笑顔で頷いた。ちょっと困らせてしまったのかもしれない。
 でも私はどうしても、ハルクに会ってちゃんと謝りたかったのだ。博士にとってハルクになることは楽しいことでは無いだろうに、それを快諾してくれた博士に私は心から感謝した。


 早速、その日のうちに私たちはシェルターに向かった。久しぶりの三人でのドライブは、あの頃とは比べ物にならないくらい楽しいドライブとなった。

 暫くぶりに博士がハルクになる。その姿は、大きくて緊張感のあるはずのに、あの頃よりもなんだか小さく見えた。恐怖心は無い。
 彼を真っ直ぐに見つめて声をかける。

「こんにちは、ハルク」

 ハルクは私を一瞥するも、辺りをキョロキョロと見渡している。いつもなら私より先に、ハルクの能力測定の為のスタークさんとの手合わせが待っているからだろう。

「今日は何もしないよ、お話がしたいだけ。ハルクに会わせてって私がお願いしたの」

 私の言葉に一層不思議そうな顔をするハルク。視線はこちらを捉えてくれた。

「私ね、バナー博士と友達になれたの」

 自分の顔が思わず嬉しさを隠しきれていないのを感じた。でもそれを敢えて、隠さず彼にちゃんと伝えたい。

「バナーはバナー。ハルク関係ない」
「わかってる。だから私、あなたとも友達になりたいの」

 顰めっ面のハルクの眉が、ぴくりと動いたような気がした。
 私が良いように思いたいだけかもしれないが、彼も少し興味を持ってくれたのかもしれない。
 一度深く息を吐く。今ならきちんと伝えられる気がする。

「ハルクに謝らなくちゃいけないことがあるの。私、今まであなたにちゃんと向き合っていなかった。本当にごめんなさい」

 私の声が部屋に響いてから、少しの間沈黙が流れた。ハルクは私を非難するわけでもなく無視するわけでもなく、ただただ私を見つめていた。
 その後、彼は何も口にせずに代わりにその重い体を床に下ろした。
 これは続きを聞いてくれる、ということだろうか。そう解釈した私は、あの時からずっと刺さって抜けない骨の話を始めた。

「……以前私に、ずっとバナー博士でいてほしいのかって聞いたよね」

 私はあの日、伝えることが出来なかった答えを正直に口にする。

「あなたに会った初めの頃は『そうしなきゃ』って思ってた。あなたがあまりにも強過ぎるから。……勝手だよね」

 ハルクの視線が、私から外れた。その目が今までどんな人間を映してきたか、どんな私を映していたか、考えると手に力が込もった。爪が手のひらに食い込む。

「でも、今はそんなこと思ってない。私はあなたも博士も幸せになってもらいたい。だから、二人が共存できたら、って思ってる」

 綺麗事かもしれない。でもこれが、今の私の本当の気持ちだ。
 だから、と続けてから胸に詰まった重い空気を抜くように小さく息を吐いた。肩に入っていた力が、少し抜ける。

「ゆっくりでいいから、あなたのことも教えてほしい。あなたと友達になるために」

 最後の言葉は、柔らかい表情で言えただろうか。
 ハルクは一度だけフンと鼻を鳴らして、それっきり眠るように転がって主導権を博士へと受け渡した。
 縮み出した緑の巨体に駆け寄って、横たわる博士に毛布をかける。ハルクに想いは届いたかはわからない。だけど少なくとも、ハルクは話を聞いてくれた、私を拒もうとはしなかった。
 それだけで、大きな一歩になる。私はそう確信していた。

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