はじめましてをもう一度


 驚きのすぐ後には、衝撃が待っていた。じんじんと響く頭を支えながら、私は博士の言葉を聞いた。


 飲み物を取りに来たのはどれくらい前だっただろうか。誰も居ない静かな部屋に、微かな鳥のなきごえが聞こえた。少し探してみると、窓の外に一匹の鷹が止まっていた。
 久しぶりに動物を見たのが嬉しくて、暫く様子を見ていたところまでは覚えている。暖かい日差しのせいもあってか、段々と意識は遠退いて、気づけばぐっすりとその場で眠ってしまっていたのだ。

 博士は外へ用事があるのだという。目を覚ますと目の前に博士がいたのには驚いたが、私の元へやってきたのはそういう理由だからか。鈍く痛む後頭部を摩りながら、出掛ける準備をする為に自室へと向かった。

 あれだけ話すのを嫌がっていたのに、向こうからやってくる程だからきっと大事な用事なのだろう。
 急いで準備を済ませるとロビーで博士はソファーに腰掛けゆっくりと待っていた。慌ただしくやってきた私に、博士は少し罰が悪そうだった。

 二人での外出は久しぶりだ。タワーの外に出る、という意味ではハルクトレーニングの際にスタークさんも一緒に出掛けてはいるが、スタークさんの施設以外へ行くのは本当に久しぶりだ。
 タワーに来てからというもの、殆どのことはタワーにいながら事足りてしまったので、わざわざ私たち二人で出かける必要もなくなっていたのだ。

「あの、今日はどちらへ」

 博士の斜め後ろを歩きながら声をかけるも、何やら考え事をしているのか難しい顔をしていて返事はない。
 質問こそ返してくれることはあるが、そもそも会話がないのはいつものことだ。仕方なく黙って彼の背中をただ追い掛けた。

 気づけばよく見知った道に出ていた。この道を更に先に行けば自分の勤務先の動物園がある。
 朝食をよく取っていたカフェだとか、時々買いに行ったベーカリーだとかを目にすると、本来の自分の生活を思い出して余計に戻りたくなってしまう。

 しかし、彼の進む道は逸れることなく私の思い描いた道を進み、そして動物園の前までやってきてしまった。
 慌てて彼の隣に駆け寄って問いかける。

「あ、あの! 博士の用事って?」
「ここに」
「えっ……」

 博士が差すのは紛れもない、この動物園の入場門。ユニークで楽しそうなデザインとは対照的に、博士の表情は堅い。

「……君が嫌なら帰るよ」

 その意図が全くわからずに困惑する私を見て、博士も迷っているような表情をして私の答えを待っていた。
 悩んだ末に、それでも目の前までやってきて彼らに会わずに帰るのは惜しくて、私は首を縦に振った。


 動物たちの鳴き声の他に、家族連れの子供のはしゃぐ声や賑やかな人々の声が響く。楽しげな雰囲気は、これぞ動物園のあるべき姿だろう。
 そんな周囲とは対照的に、私たち二人を包む空気だけがよそよそしく重苦しい。まるでここだけ傘もないのに雨が降ってるみたいだ。
 動物の前にやってきては、二人並んで黙って彼らの動きをみる。

「そろそろ次に行こうか」

 そういって博士が見終えたら次へと順路を回り、ただひたすらに動物たちを眺めている。果たして、博士はこの状況を楽しんでいるのだろうか。
 私はというと気まずさこそあるものの、久しぶりに見る仲間たちの仕草に心を解されていた。やはりあそこで帰らずに良かった。
 次第に博士のことが気にならなくなって、だんだんと彼らの方へと意識が向いていった。

 次は私が配属されていた檻だった。近づくと一匹のレッサーパンダが此方へ向かって駆けてくる。勿論見覚えのある姿だ。

「チャック!」

 どうやら私に気づいてくれたチャックは、金網の側までやってきた。私も側へと近寄ると彼と目を合わせる。
 ぴいぴいと私を見て鳴く姿は、言葉は分からないが、私を元気付けてくれているようだった。

「会いたかったわチャック。元気にしてた?」

 触れることが出来ないのがもどかしいが、チャックがくるくると嬉しそうに回る姿に、小さく笑いが溢れる。

「チャックっていうのかい?」
「はい! この子がチャックで、あっちの子はキャムです。チャックは私が初めて保護飼育から任された子で」

 斜め後ろからチャックを覗き込みながら発せられた声に、嬉々として彼らを紹介する。奥の方の、遊具で呑気に遊んでいる友達の紹介も忘れない。
 すらすらと口から言葉が流れ出る中、斜め後ろに立つ博士を振り返ってつい口が止まる。一瞬彼のことを忘れ去っていた。

「あっ、すみません。興味ないですよね」
「いや、聞かせてくれ」

 博士は少し驚いた顔をするも、すぐに小さく笑った。その笑顔は、今まで私に向けられたどんな表情よりも優しくて暖かかった。

 そんな顔もするのか、そう思ったのと同時に彼がここへきた理由がわかったような気がした。いや、それくらいしか考えつかないはずなのだが、彼がそんなことするわけないという先入観がその考えを阻んだのだ。

「もしかして、私を連れてきてくれたんですか? みんなに会わせてくれようと?」

 私は恐る恐る尋ねた。すると決まりが悪そうに博士は目線を手元へと落として指同士を擦り合わせる。

「……スタークが、君に休みを与えるようにって。でも僕と一緒じゃないと、行きたいとこにも行けないだろう」

 ちらりと視線だけが上げられ、私のそれと絡む。その仕草が、なんだか妙に可愛らしいと思ってしまって、空気が漏れるような笑いを零す。
 私はこの人のことを何も知ろうとしていなかったんだ。きちんと彼に向き合いたい、そう思った。

「博士、動物はお嫌いですか?」

 唐突に投げた問いに一瞬だけ間を置いて、彼はすぐに首を横に振った。

「そんなことない」
「それなら、あらためて今を楽しみませんか? 案内なら任せてください」

 私は先に歩き出す。まずはこっちです、と振り返る。彼は私の提案に目を丸くするが、次第に安堵したように笑って歩き出した。

 それからはずっと気楽に園内を回った。自分の大好きな友達の紹介を楽しそうに聞いてくれた。小動物と触れ合える場所では、彼の周りになぜか集まってきて困ったように笑っていた。
 ああ、こんな表情もするのか。こんな表情が本来の彼なのか、とどんどん知らない博士を発見する。それは私の記憶の中の彼とは別人のようだった。
 今ならきっとあの賑やかな客たちと同じように、自分たちもこの場に馴染んでいることだろう。


「ナマエ!」

 次はどこへ行こうかと歩いていると、突然名前を呼ばれて振り返る。キョロキョロと辺りを見ると、そこには飼育員の女性、私の同僚だ。
 私に気づいた彼女が手を振って寄ってくるので、手を挙げる。博士も立ち止まって彼女を見る。

「君の知り合いかい?」
「ええ、ここの職員です」
「話して来なよ。僕はここで待ってるから」

 横にあったベンチへと数歩歩いて、それから彼は少し先の同僚へと手を振った。礼を告げて博士の元を離れると、彼女へと歩み寄る。

「久しぶり。みんなの様子はどう?」
「見ての通り、みんな元気にしてるわ! それよりあなたはどうなの? ……それと」

 元気で明るい彼女は駆け足のまま私にハグをすると、今度はそわそわと背後のベンチに座っている博士に視線を向ける。

「あの人は? もしかしてボーイフレンド?」

 彼女の言葉に思わず噎せるほど驚いた。それでも彼女は冗談という様子でもなく、わくわくと期待に満ちた少女のような視線を向けてくる。

「まさか! 今回の仕事の関係者の方」
「えー、なんでそんな人と動物園に?」
「えっと、いろいろあったのよ」

 彼女の疑問は最もだ。そもそも私だってさっきまでは、なぜ二人で動物園に、と不審に思ってたくらいだ。
 だが、彼女にS.H.I.E.L.D.やハルクのことを話すわけにもいないので、今の状況をうまく説明出来ない。
 彼女の中で、それをどう受け取ったのかはわからないが、不思議そうな顔は一転して笑顔になる。

「やっぱりそうなんじゃない!」
「だから違うって言ってるでしょ」

 やるわね、と愉快そうに背中を叩く彼女には私の否定の言葉はどうやら照れ隠しにでも聞こえているらしい。この手の話題が大好きな彼女にこれ以上何を言っても無理だろう。
 諦めて彼女の背中をやってきた方向へと押しやる。

「仕事中でしょ、久しぶりに会えてよかった。ほら、早く戻って」
「はーい。会えてよかった、楽しんでね!」

 彼女は博士へとお辞儀をすると楽しそうに笑って持ち場へと戻っていった。
 私たちが別れたのを見ていた博士は腰を上げる。

「お待たせしました。すみません、博士」
「いや、楽しそうな職場だ」
「ええ、それは。仲間にも恵まれていますし、特に私みたいな動物好きには天職です」

 微笑みで私を迎えた博士はそう告げる。
 少し照れくさいが、私自身この場所がお気に入りだ。褒められて悪い気はしない。
 待たせてしまった、と先に歩き出そうとするも博士は立ち止まったままだった。

「僕は、君を誤解していた」

 一度息を吐いてから、博士は私をまっすぐに見る。後悔や申し訳なさの滲むその瞳は、私の物と同じに思えた。

「それは私もです」

 彼とうまくコミュニケーションが取れなくて、それでも仕方ないと逃げていたのは私だ。博士自身のことも知ろうとしないで、彼と親しくなれたりハルクを知ろうだなんて間違っていた。

「僕のために、その、すまなかった」
「謝らないでください。結局は自分で選んだ道です。それに私だってあなたを傷付けた」

 私たちは打ち明けあった。これまでどう思っていたのかを、どうしたかったのかを。そしてこれからどうありたいかを。

「私たち、これから仲良くなれるでしょうか」
「そうだな。これまでよりは、確実に」
「それは……、比べる対象が最悪ですね」
「はは、言うな」

 それから顔を見合わせて、くすくすと笑った。きっとこれから新たな一歩を踏み出せる。そう確信していた。

 そろそろ空が赤に染まりそうな頃。動物園の閉園を知らせるアナウンスがそろそろ鳴るだろう。私たちは入ってきた時とは全く違った心持ちで、このユニークな門をくぐる。

「そうだ、今度は水族館を案内しましょうか」
「それもいいね。楽しみにしてるよ」

 彼の横に並んで歩く帰り道。これまでのそれとは比べ物にならないくらい私の足取りは軽かった。

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