不安な新生活


 生まれて初めて乗るような高級車。革張りの如何にも高そうなシートに座って流れ行く街並みを眺める。普段であればこの状況に胸を高鳴らせていただろう。しかし、まさかこんな形で経験するとは夢にも思わなかった私の心は、まるで鉛のように重かった。

 一際目立つ彼らの目的地は、例のニューヨークでの事件を痛々しく物語っていた。それについて現在改装中だと家主は言う。

 段々と大きくなるタワーに、私は出発してから何度目かの溜息を吐く。断りようがなかったとは言え、ここ最近の自分はどうも流され過ぎではないだろか。こんな事では先が思いやられる、と自己嫌悪に陥りそうになる。
 その溜息が自分の思っていたよりも大きかったのか、助手席に座っていたバナー博士が此方へちらりと視線を移したので目が合った。

 その視線に作り笑顔を返すも、彼は何も言わずにすぐに前へと視線を戻した。彼の視界から消えた私は苦笑いを零す。
 この環境の変化が、せめて気まずい彼との関係を円滑にしてくれる事を願うばかりであった。


 スタークタワーの中へと案内されると、私は更に圧倒された。これが大企業や国の施設だと言われれば納得できるのだろう。だが、これは彼個人の所有物なのである。彼の場合、ある種ここも仕事場なのかもしれないが。

「おかえりなさいませ、トニー様。バナー博士もお待ちしてました。それから、貴方はミス・ミョウジですね。はじめまして」

 突如聞こえた声の方へと身体を向ける。流石セレブだ、執事の一人くらい雇っているのか。
 しかし、声のする方に誰もいなかった。

「やあ、ジャーヴィス。少しの間世話になるよ、よろしく」

 前を歩く博士はさも当たり前かのように、その誰かに挨拶を返す。私はキョロキョロと辺りを見回す。

「えっ、誰?……ですか?」

 しかし、そこにはやはり誰ももいない。
 その様子を見ていたスタークさんが小さく笑いを堪えているのがわかった。

「紹介しよう、彼はジャーヴィス。うちのAI執事だ」

 AI、つまり人工知能ということは、この声の主は存在しないということか。彼らと出会ってから何度驚けば良いのだろう。

「よろしくお願いします、ミス・ミョウジ」
「うちの事で何か困ったことがあれば、一先ずジャーヴィスに聞いてくれ」

 ジャーヴィス、と呼ばれたAI執事の声のする方に改めて挨拶をすると、スタークさんはジャーヴィスはそこにはいないぞと私を揶揄って先へと行ってしまった。

「……流石、トニー・スターク」

 まるでSFだ、と私は思った。自分の人生とは交わることの無かった世界へと来てしまったことを痛感したのである。

「君はこの部屋を使ってくれ。それからキッチンルームやバーカウンターは好きに使ってくれて構わない」

 それから彼は私をゲストルームに案内すると、今度はバナー博士を連れて上の階へと上がっていった。
 大まかにされた説明によると、このビルは下層にロビーや来客用のラウンジ、応接室を兼ねた部屋があり、ゲストルーム、住居スペース、そして上層階は全てラボとなっているらしい。
 これだけの建物のラボだ、彼らにとっては何より素晴らしい場所なのだろう。

 改めて自分へと当てがわれた部屋を見ても、S.H.I.E.L.D.での部屋とは全く違った柔らかなベッドやゲストの為だけとは思えない立派なデスクトップパソコン等、私の環境でさえ目に見えてランクアップしていて、内心ここへ来てよかったと思ってしまう自分もいた。

 少ないながらに持ち込んだ荷物を整理し終えて一息つくと、部屋は既に薄暗くなっていた。
 私が照明をつけようとスイッチを探していると、勝手に部屋が明るくなった。

「ライトのスイッチは扉横の壁に付属しています」

 あのAI執事だ。本当に此処の事は全て分かってしまうらしい。少し怖いとも感じた。

「えっ、と。ありがとうジャーヴィスさん」
「ジャーヴィスで構いません。他に何かお困りな事はありませんか?」

 彼の問いに少し考えてから、お腹が空いてきていた事を思い出した。

「それじゃあ、ジャーヴィス。夕食ってどうしたらいいのかしら。キッチンは勝手にと言われたけど食材の問題もあるし、そもそもこのフロアのバスルームやドリンクカウンターの場所くらいしか」
「本日のディナーはトニー様がピザをご用意しているそうです」

 言い切る前に返ってきた答えに、ピザ?と思わず聞き返した。ここへホームパーティーしに来たつもりはない。
 そもそもこれからの食事は共に摂るつもりなのだろうか。スタークさんは兎も角、博士と食事をするイメージが湧かなかった。

「ええと、それじゃあ私はどうしたら?」
「トニー様がお呼びです。私が案内します」

 その言葉に、私は今度こそ自分で照明を落として部屋を後にした。

 ジャーヴィスの案内で上の階へと進むと、広々としたダイニングルームへと着いた。大きなキッチンが付いている。まるでパーティールームのようだと思ったが、執事の彼曰くパーティールームは他にもあるそうだ。
 料理の腕など人並みな私だが、その立派なキッチンには感嘆の声を漏らした。こんな広々した場所で料理出来たら楽しいだろう。ただピカピカな調理台に少し埃が被っているのを見るに、此方は殆ど使われていないと見た。

「おや、僕が連れてきたのは奥さんだったかな?」

 軽い声と共に現れたのは、ピザの箱を持ったスタークさん。博士は一緒ではないようだ。
 カウンターに箱を置くとそれを開く。チーズとトマトの良い香りがふんわりと鼻に届いた。

「家政婦の間違いでは?」

 私は食器棚の扉を開けて、スタークさんが指差した皿を数枚取り出しながら言う。

「それも悪くない。彼が変身しなければ君は暇だろう?」
「それは、」

 ここ数日考えなかったわけではない不安を言い当てられた私の言葉を遮る形で、ジャーヴィスの声が聞こえた。

「Sir、ミス・ポッツがお見えです」
「なに? ペッパーが?」

 その来訪者の名前は私にも聞き覚えがあった。彼、トニー・スタークの社長時代の秘書でスターク・インダストリーの現社長、ペッパー・ポッツだ。

「トニー? 珍しくラボから出てるのね」
「ペッパー! こっちに来るのは明後日じゃなかったか?」

 現れたのはテレビで見るより綺麗な女性。ブロンドの髪にスーツ姿が似合っていて、これが出来る女社長の姿といった感じだ。スタークさんの言葉から察するに、遠征でもしていたのだろうか。
 スタークさんが彼女に駆け寄るも、挨拶そこそこに私と彼女の目が合った。軽く会釈をして挨拶しようとするも、彼女の表情が酷く驚いた物になった。

「……信じらんない。貴方って人は、まだ女の人を連れ込んでたの?」

 大きな溜息と共に額に手を当てると、今度は彼女がスタークさんに詰め寄る。
 そういえば、二人には熱愛の報道があったのだった。確かにこの状況は、少々不味いのかもしれない。

「ちょっと待て、君は誤解してる」
「なにが誤解なの? 妹?従姉妹?それとも姪?」

 彼はそんなベタな言い訳をこれまでしてきたのだろうか。少し呆れて笑ってしまう。
 しかしながら、段々と熱くなってくる痴話喧嘩をどうにか止めなければならない。悠長に呆れている場合でもない。

「あの、違うんです! 私S.H.I.E.L.D.からの依頼でバナー博士のお供で参りました!」

 とりあえず聞いてもらわなければ、と出した声は思った以上に張り上げてしまい一瞬しんと静まった。二人の視線が此方へ向く。

「そうだ、バナーの関係者なんだ。彼を呼ぶ話はしていただろう?」
「……そのバナー博士は? ここには見当たらないけど」

 スタークさんが私に便乗してやっと話を聞いてはもらえたが、やはりまだ疑っているようだ。
 スタークさんがジャーヴィスにバナー博士を下へ連れてくるように言うと、程なくして博士も部屋へとやってきた。
 彼が私との関係を説明してくれたことで、漸く誤解を解くことができたのだった。

「ごめんなさい、私酷い早とちりを……」

 冷静さを取り戻した様子の彼女に一安心して、私と博士はそれぞれ二人を見守っていた。
 スタークさんはというと、私達がいるのも気にせず彼女の腰へと腕を回して軽く抱き寄せ慰めていた。

「いいんだ。早とちりさせるような今までの僕が悪い。それに君に相談せずに二人を泊めることを決めて悪かった」
「いいえ、事情はわかったわ」

 スタークさんの腕の中から彼女はするりと抜け出すと、私の方へと手を差し出した。

「何かあったら私にも聞いて。同性の方が話しやすいこともあるかもしれないし」
「あ、ありがとうございます。ポッツさん!」

 誤解であったとはいえ、恋人が知らぬ間に連れ込んだ女に対してなんと優しいのだろう。
 ここでの生活を不安に思っていた私は、半ば飛びつく様に彼女の手を両手で握りしめて握手をした。同性がいてくれるというのは心強い。

「なんだ、僕の時よりイイ顔をするじゃないか」

 スタークさんが私の様子を見て言うと、ポッツさんは私と顔を見合わせて笑った。

「彼女は私の方が適任みたい」
「……いいさ、僕にはバナーがいる」

 博士へと歩み寄ったスタークさんは彼の肩に腕を掛けて、拗ねたような表情を作った。

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