心の支えペッパー・ポッツ
スタークさんの元で生活するようになり、早五日が経った。
やはりあのトニースタークの所有物なだけあってラボは相当な物らしく、バナー博士はラボに篭りきりとなった。
科学者同士、話も合うのだろう。スタークさんの悪戯を笑って許せる程には信頼関係があるらしく、きっとそのお陰か、ここへ来てからの博士は随分と心穏やかなようで、予想した通り私の出る幕は全く無かった。
勿論これは良いに越したことは無いのだが、自分はこんな所で何をしているのだろうかと、不安になる回数が増えた。
そんな私の心の支えは、ミス・ポッツだった。彼女は突然やってきた見知らぬ女である私にもとても良くしてくれている。
初日の件で、私がスタークさんと疚しい事がないと理解してくれたからなのか、あの後結局ピザを取り分けてラボへと戻っていった二人のことを色々と言い合えたからなのかは分からないが、今では気軽に話せる仲となっていた。
少なくとも私にとって彼女と仲良く過ごせるというのは、ここで過ごす時間の中でかなり大きな物となっていた。
「今日もまた出て来てないの?」
「一度スタークさんが二人分の食事を取りに来ただけで。博士は一度も」
仕事を終えて帰ってきた彼女は、今日も一人キッチンへ立っていた私を見て呆れたように聞いた。
今は社長として忙しい彼女の分の食事も、私が用意する事になっている。とどのつまり、スタークさんが言ったように、私には家政婦位しかやる事もないのでやらせてもらっているのだ。本来なら後二人分テーブルに並べる予定なのだが当然席に着く筈もなく、たまにスタークさんが私が作った物をラボへ持っていく事があるくらいだ。博士がそれを口にしているのかは定かではない。
「ああもう、科学者ってみんなこうなのかしら」
これは彼女の口癖のようなもので、この数日の間で既に何度聞いたかわからない。かくいう私も、同じような事を思ったりするので笑って返す。
「一度注意しに行こうかしら。体調だって心配だし。ナマエもどう?」
確かに彼らがどうしているのかは気になっていた。ここに泊めてもらっているのに、体調不良で倒れられても気分が良いものではない。
時折ジャーヴィスに彼らの様子を尋ねる事はあるが、ペッパー曰く彼はトニー・スタークの秘密は漏らさないのだという。彼が作ったAIなのだから、彼に隠すように指示されればそうするものも頷ける。
ペッパーが先に立ち上がり、私に今一度「行きましょう」と声をかけた。しかし、私はその場を動かなかった。少し困ったような顔を、彼女に見せてしまったように思う。
「私は、バナー博士のストレスになるかもしれないから」
そう、この数日間私と博士は顔を合わせていない。きっと彼の心が穏やかなのは、好きな研究を存分にできている事と、それにより私のことを忘れられている事が要因していると思うのだ。
「そんなこと……彼とまともに話していないんでしょう? きっとあなたを知れば立場なんて」
「あなたが化け物にならないか、監視する為に傍にいます。なんて人、誰も快く思わないわ。用がないなら離れてる方が良いと思うの」
きっと彼女は私の為にそう言ってくれたのだろうけれど、自分の意見を変えるつもりはなかった。彼女も悲しそうな顔も一瞬見せるも、返す言葉は見つからなかったようだ。
せっかく彼が穏やかに生きていられるならそれで良いのだ。無理に距離を詰めようとして、またあの緑の大男を呼び起こす必要などない。
出来れば、もう二度とあんな思いはしたくはないという、私自身の恐怖心もあった。このまま時が経ち、S.H.I.E.L.D.に私が無意味であると判断してもらうのが最善だと、そう考えた。
彼女もそれを察してくれたのか、それ以上はなにも言わずにラボへと向かった。
再び一人になると小さく溜息をつく。やはり同じ屋根の下暮らす上で、私と博士の関係が決して良いとは言えないのは、私達は勿論のこと、ペッパーも心地よいものではないだろう。彼女の為にも、どうにかしたいという気持ちはあった。
「ラボの方の様子はどうですか?」
彼女が席を立ってから十数分が経った頃、私はジャーヴィスに尋ねた。
「はい。ミス・ポッツがいらしてから14分が経過、トニー様と言い争いになってから6分が経過しています」
私はつい声のする方に首を向けた。無論そこには誰もいないが、慌てて席を立つ。
場所をジャーヴィスに聞き、足早にラボを目指す。すると、やはり聞こえてくるのはペッパーの声。
「わかっていないのはあなたのほうよ!」
「ペッパー落ち着いて! 一体なにがあったんですか?」
彼女の側へ駆け寄ると、スタークさんとの間に割って入って彼に背を向けたまま問いかけた。
博士は、――傍らで此方を気にしながらも静かに作業を続けているようだった。
「僕は別に」
「別にじゃないわ。68時間なんて、もう丸三日になるのよ!」
なんでもないと言った様子のスタークさんとは対照的に、ペッパーの表情は険しかった。
「研究に没頭すれば、それくらい眠らないこともある」
スタークさんの言葉を聞いて漸く状況を理解した。それと同時に、どちらに味方するかが決定する。くるりと身体を反転させスタークさんと向き合う。彼は三日近く睡眠を摂っていないというのだ。
「身体を壊します、寝てください!」
「やっぱりペッパーに付くのか……」
「ほら、みんな心配してるじゃない」
私達二人に責められうんざりした様子でスタークさんは顔をスクリーンへと戻す。
ふと私の頭を過ぎったのは傍らにいる博士のこと。
「まさか、バナー博士も寝てないんですか?」
二人の間から抜け出して博士の方を向く。特に手を止める様子はないが、ちらりと私の顔を見た。
「いや。部屋でとまでは行かないが、僕は何度か仮眠を摂ってる」
それだけ言うと、再び視線をスクリーンへと戻した。すると今度はスタークさんが口を開く。
「そうだ、僕も仮眠は摂ってる」
「僕が眠ってから寝て、僕が目を覚ます前に起きてるならね」
しかし、それは博士の一言で彼の嘘だとすぐに私達にもわかってしまった。勢い良く博士の方へとスタークさんが首を回すも、博士は落ち着いた様子で作業の手を止めた。
「君は僕の味方じゃないのか」
「同じ科学者として気持ちはわかるよ、スターク。それでもここの所の君は少し度が過ぎてる。大して休憩も取らないじゃないか」
本当に心配した表情でスタークさんを見る。
同じ立場で理解がある者だからこそ、強く言えないし強く言わなければならないのかもしれない。スタークさんといると博士の本当の人柄を垣間見られる気がした。
「なにも研究を止めてって言ってるんじゃないの。ねえ、トニー。みんな貴方が心配なのよ」
ペッパーもまた同じで、いやそれ以上に恋人の事が心配なのだ。だから強くも言ってしまう。でも今は、少し泣きそうな表情に見えた。
「……わかった。今日はもうベッドルームへ行こう。心配かけてすまなかった」
これには流石のスタークさんも懲りたようで、大人しくジャーヴィスに「今日はここまでだ」と告げると、ペッパーを連れてラボを出て行こうとした。
しかし、何かを思い出したようにペッパーを先に行かせると私のところへ戻ってきた。彼の笑顔になんだか嫌な予感がした。
「君に少しだけ話があるんだが」
スタークさんと二人、ラボを出て少し離れると、改めて彼は話し始めた。
「君がハルクを宥めた時の映像を見た」
どうやら話とはハルクの件らしい。
そもそもあの日の出来事を映像データとして記録していた事に驚いたが、あれだけの組織だと考えれば初めから私の起用もデータ観測の一環だったのかもしれない。
そのデータを彼に渡して一体どうするつもりなのだろう。
「S.H.I.E.L.D.から送られてきたんですか?」
「いや、ハッキングした」
前言撤回だ。この様子だと、重要なデータを彼に回す事はないようだ。
悪びれた素振りもない彼に呆れて物も言えなくなる。そんな私を他所にスタークさんの瞳は輝きを増す。
「あれは実に興味深い。なぜハルクは君の言うことを聞く?」
「それは私にも……」
「そこがわかれば、バナーの問題も少しは進展しそうなんだが」
確かに私があの場を収められたのが奇跡以外に理由があるのだとすれば、それは彼にとって有益に違いない。
その為にハッキングしたのだろうか。褒められた行為ではないが、この行動もやはり彼のためなのかもしれない。
「そこでなんだが、僕の目の前でもハルクを宥めてみてほしい」
しかし、本題だとばかりに口を開いた彼の提案には反射的な速度で首を横に振る。信じられない、ハルクを故意に呼び起そうというのだ。
「何を考えてるんですか。どうしてそんな危険な真似を……貴方だってハルクを直接見たことがあるんですよね?」
「ああ、だからこそだ。それに僕もいる。僕が誰だか知らないわけじゃないだろう」
「申し訳ありませんが、お受けできません。第一、バナー博士だって嫌がる筈です」
自慢げにいうスタークさんを小さく睨みながらも、私は変わらず否定する。
バナー博士だって、ハルクに変身するようになって大変な目にあったと聞いた。それは教えられた知識から想像しただけに過ぎないが、普通の人間があんな変化を遂げるようになってしまうなんて、私だったら耐えられない。
つまり故意に彼になるなんて、嫌に決まっていると思ったのだ。
「彼の許可があればいいんだな?」
それでもスタークさんは譲らない。
「……許可なんて降りないと思いますよ」
「僕とバナーの仲を見くびるなよ?」
聞こえるように大きくため息を吐いて一言告げると、私はこれ以上話す気はないと背中を向けた。
きっと自信ありげに笑っているのだろう声には応えずに、おやすみなさいと私はその場を後にした。
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