審神者と現状クラッシャー

白い髪はまさしく絹のようだと思う。一糸乱れぬ清流のようなその髪はちょうど胸の下あたりまで伸びている。簡素な白い狩衣を見にまとったその審神者の顔は見たことがない。真っ白な薄い布で顔を覆い、口元しか見えないからだった。顕現当初の鶴丸国永は、同じ白い者同士で仲良くできそうだと思っていたのだが、それは最初の一日だけだった。

「君は主に会いたいと思うことはないのか?」

どうやら禁句だったらしい。それまで機嫌よく夕餉の仕込みをしていた歌仙兼定はぴたりとその動きを停止させた。わずかにはくりと動かした口元からは言葉は出ない。わずかに息をついて、歌仙はわずかに体をずらして体ごと鶴丸国永に向き合った。

「どうしてそんなことを思う?」

その表情はただただ不思議がっているようだった。否、不審がっているのか。鶴丸国永がそのようなことを気にする理由がわからない。そうありありと顔に現れていた。

「特に他意はないぞ?ただ、彼女とは顕現されたとき以外話をしていない。他の刀剣たちの様子から察するに、皆会うことはほとんどない様子だ。俺なら迷わず会いに行くのに。しかも君、初期刀なんだって?」

これは短刀たちから聞いたことだ。主について知りたいなら、歌仙が初期刀だよ、と。しかし歌仙当人は苦笑して首を横に振るだけだった。

「主との時間は、他と大して変わらないさ」
「…ああ、最初はすぐにお仲間を鍛刀するんだっけか?」
「違う」

わずかに低くなった声に、鶴丸は疑問に思いながら首を傾げた。
審神者はその任についたその日から本丸の強化に努めるという。さて、鶴丸は鍛刀されたばかりなのであまり本丸運営のことは知らないが、だれでも読めるその書架には審神者が何たる者かまで書かれた書がある。それに書かれているのは、基本的な審神者の能力やその使い方、注意事項まで乗っている。中々に分厚い書で、終わりには自分のような刀剣男士の情報等も乗っていた。読まれた形跡はあったが、主に審神者の職業についてが書かれたあたりだけで、自分たち刀剣男士についての記述欄は実にきれいな状態だった。何度も読み返されたらしいそれ以外のよれた項目には些か面白くないものがあったが。主はとことん自分たちに興味がないらしい。
何故初期刀すらが近寄らないのか。…むしろ近寄れないのか?思わず身を乗り出した鶴丸に、歌仙は不快を露わに眉間にしわを寄せた。

「じゃあ、どう大して変わらないんだ?」
「君のその好奇心はいったいなんなんだ…」
「一応主に直接会いに行ってないあたりを褒めていただきたいものだがな」
「…君は…」

頭が痛いのか、歌仙がこめかみに手を当てた。

「どうした?大丈夫か?」

いいや、と歌仙が首を横に振る。ひとつため息を吐いて、ややあってから口を開いた。

「…君はまだ来たばかりだから、ちゃんと言ってなかったんだけど…」

そこで歌仙の言葉は途切れた。──途切れざるを得なかった。

「うわぁああああん!!鯰尾兄さんのばかぁあああ!!」
「なっ…あっ…は、入ってくるな五虎退…!」

サッと顔を青くした歌仙に、鶴丸は不思議がる。一体なんだ、と歌仙の視線の先──自分の背後を振り返る。そこでは泣きそうな顔をした五虎退が厨房へ駈け込んで来るところだった。いや、泣いている。目に溢れんばかりの涙をため、ひきつった声でかせん、と小さな悲鳴のような声で駆け寄ってくる。おそらく向かう先は歌仙のもとだろう。その視線は迷うことなく歌仙だけを見つめ、頼りなげに手を伸ばしている。そのうしろに、鯰尾が見えたとき、ぐっと鶴丸の襟足付近に掴まれた感覚が走る。

「へ?」
「ふざけるなよ粟田口め…!」
「す、すみませんんん…!」
「ぬおぅ!?」

歌仙と五虎退の話す声がしたがそれに構っていられる暇はなかった。ぐるりと自分の肉体が宙で回っているのがわかった。まだ肉体を手にしてから日は浅く、出陣してもいまだ足を引っ張ることがある。一週間も出陣しっぱなしだったのでかなりこの肉体にも慣れたが、それでも未だ、ふとした時に後れを取る。今がまさにその状況に近しい。ぶん、と耳元でなる空気の振動音と、目まぐるしく回る景色に、自分は歌仙に投げられたのだと気づくには難しくなかった。しかし体はどうしようもなく受け身をとる準備で精一杯で、何故自分が投げられたのかがわからない。
とりあえず受け身を、と思っている矢先に、目の前が黒に埋め尽くされた。同時に、衝撃。おかしい、地面はまだだと思ったのだが。

「が!!!」
「ぐえ!!!」

誰かの苦し気な声が鶴丸の悲鳴に重なった。どざあ、という三文字だけでは形容しがたい、なかなか派手な音が響き渡った。同時にガラン、と何かが落ちたような音もしたことを追記しておく。
未だ衝撃の余韻が残る体でぎこちなく顔を上げてみれば、自分の下には鯰尾藤四郎があいたた、とうめき声を上げていた。どうやら自分は鯰尾に向かって投げられたらしかった。こりゃあ驚いた。何にって鶴丸を鯰尾に投げた歌仙にだ。というか、だ。

「く、くっさ!!なんだこれは臭いぞ!?」
「うう、ひどいな…」

とりあえず臭いの元凶らしき鯰尾から距離を取ろうと慌てて両手に力を入れて身体を持ち上げたのだが、自分の内番服にべっとりとついたうん…ば、馬糞…!!何故馬糞がついている!?
自慢の白い内番服に強烈な存在感を放っている馬糞に言葉を失う鶴丸に、「悪いな」という冷たい声が降りかかった。見上げれば、遡行軍でも前にしたような冷たい目をした歌仙が鶴丸らを見下ろしていた。その袴をぎゅっと握りしめた泣きかけの五虎退は申し訳なさそうに歌仙の後ろから顔をのぞかせている。

「台所には入らないでくれよ。そしてさっさとそれを片付けるんだ」

ぴしゃりと閉められた台所の入り口はまさしく来るものを拒む空気感があった。さっきのあの目と言い、入ろうものなら手打ちにされた37人目になるのは想像に易かった。

「あーあ。逃げられちゃった」
「…っっ!!」

辺りに漂う悪臭をものとせずケロリとそう言った鯰尾に、鶴丸は愕然とする。立ち上がった鯰尾の腹上からぼたぼたと馬糞が落ちてきている。座り込んだまま鯰尾を見上げる鶴丸に気付いたのか、鯰尾はあ、と声を上げる。

「大丈夫ですかー?」
「…大丈夫に、見えるか…?」
「大丈夫そうですね。じゃ、あとはお願いします」
「はっ!?」

怒りだか悔しさだかにさいなまれ、震える鶴丸にも鯰尾は軽かった。いつもと変わらぬ明るい声色でシュタっと手を振ると、後を託して近くに転がっていたバケツを拾ってそのまま走り去った。おい。……おい。

「あれ?鶴ま…くさ!!なにこれ」
「俺じゃない!原因はもっとほかにある!!」

偶然通りがかったらしい大和守安定が鼻を押さえて一歩ならず三歩ほど後退った。空いている手は臭いが来ないようにかパタパタと扇いでいる。

「あー、鯰尾か。ま、頑張ってよ。燭台切が来たら厄介だよー」
「ちょま、待って!!」

一応可哀相と思ったのか、あまり安心できない助言だけして大和守は足早にその場を去った。鶴丸の制止の声など全く届いていなかった。むしろ彼に聞く気がなかったと見える。
誰も助けてくれない。ふるふると打ち震える鶴丸に声をかけた者はこの後、片付けが終わるまで終ぞなかった。


ひどい目にあった、と鶴丸は替えの衣装に着替えて息をつく。片付けを終え、軽く水浴びをして着替えた頃には日がかなり傾いていた。そろそろ夕餉の時間なのか、台所の近くに行けばいいにおいが漂ってくる。先刻のこともあるので、台所に近寄ろうとは思わなかったが。

「はあ、やけに疲れた…」

言って鶴丸はちらりと手元の袋に視線を寄越す。
問題は、この馬糞まみれの内番衣装だった。どこでどう洗うか。正直、洗濯などしたことがない。そうでなくても、もうこの内番服には触りたくないというのが本音なのだが。
なら洗濯物はどうしているのかと言えば、風呂場に洗濯物を置く台があるのでそこにいつも放置する。翌朝にはなくなっていて、夕方にはきれいに折りたたまれた衣装が式神によって各部屋に運ばれてくる。
いっそ袋で密閉して風呂場に、とも思ったが、どのように洗われているかがわからない以上、下手にそんなことをすればまた歌仙に冷たい目を向けられかねない。…そしてそんな目を向けてくるのは歌仙だけじゃないことも、想像に易い。
どうしたものか、と息を吐き出せば、ちょうど鍛刀部屋から出てくる式神を見つけた。その身長は1尺もない小さな式神だが、洗濯や掃除を手伝ってくれている…らしい。その現場は見たことがないが。審神者が作っている式神らしく、その霊力が感じられる。近寄ればまるであの審神者が近くにいるような気もするので、妙に安心する。…ほぼ知らない相手だというのに安心するのもおかしな話だが、顕現させられた刀剣とはそんなものらしい。
ここはひとつ、この手伝い式神に頼んでみるのも手かもしれない。思って鶴丸は早速その式神のもとへ軽い足取りで駆け寄った。

「そこの!そこの式神ちょっと待て!」

ぱたり、と駆け足だった式神は少し遅れて自分のことと気付いたらしくきょろきょろとしてから、やっと鶴丸の存在をその目に認めた。自分か?とでも問うように自分を人差し指で指している。

「そう、君だ君だ」
「?」

何の用でしょう。こてりと首を傾げた式神は声こそ発しないが、その態度から言いたいことは面白いくらいに伝わってくる。式神のもとまで駆け寄った鶴丸はしゃがみこんで式神に顔を近づけた。

「服が汚れてしまってな、悪いがすぐに洗濯してもらいたいのだが、どこでどう洗えばいいのやら」

なるほど、と式神が大きくうなずいた。そして、小さな両手を鶴丸に差し出した。つまり洗濯物を寄越せといっているのか。鶴丸はわずかに顔をひきつらせた。

「いや…持てるのか?」

いや、でも、そういえばどうやってか乾いた洗濯物を各部屋まで持ってきていたな、と思い直す。実際式神も持てると言わんばかりに首を縦に振っている。

「じゃあ、頼むよ」

任せろ!そんな声が聞こえてきそうな表情で、衣装の入った袋を受け取った式神は器用に両手を掲げて持ち運びだした。スタタタと軽い足取りで走り出した式神をひっそりと追いかけたのは、ただの好奇心だった。どこでどう洗濯しているのか、どいうか洗濯物はどこに運び込まれているのか。知っていて損はないはずだ。
式神は鍛刀部屋から庭を突っ切って橋を渡る。橋を渡りきると、そこで急に方向転換した。その方向を確認して、さすがの鶴丸も焦った。

「(どう考えても主の住居だぞそっち!!)」

主。つまり先週鶴丸国永を鍛刀した審神者の住居がそこにある。この本丸の主は基本的にその住居に籠っていて、鍛刀や刀装を作るために台所に近いその小屋に来るくらいだ。その姿を見ることは滅多にない。白い服と髪が目印らしいので、しばしば短刀たちに間違えられる。確かに自分も、好んで白い。
話はそれたが、審神者のもとへ向かおうとしている様子のあの式神はなんとしても止めねばならない。でないとまずい。刀解の二文字が脳裏に過り、鶴丸は持てるすべての力で追おうとした。しかし予想に反して式神は審神者の住居を通り過ぎた。正確にはその横を通り過ぎたのであって、中には入っていくことはなかった。そのことにほっとしつつもここからさらに追うべきか。鶴丸国永は主たる審神者の住居の前で腕を組んで考え込むことと相成った。何故迷うのか。

「(なんか、下手に審神者に近寄ったら物凄く怒られる気がするんだよなあ)」

歌仙兼定に。

 
モドル
手を