02
審神者の朝は早い。審神者とは神職の一種であるので身だしなみを整えることから始める。なんせ神様だらけの家に住んでいるのだ。当然と言える。
毎朝5時にセットされている目覚まし時計が鳴り響くのを止める。ここで二度寝に入る。それが分かりきっているから、その5分後には少し離れた箪笥の上のうるさい目覚まし時計がなりはじめる。それを止めに布団から立ち上がるを得ないため、ここで審神者は起床する。
本来の彼女の性格上、この後に行うのはさらなる睡眠休養だ。好き好んでそんな時間に等起きない。しかしここでまた睡眠を取ろうものなら、小姑のような狐が叩き起こしに来るため、否応なく起床しているというのが実際のところである。名をこんのすけといい、これが実に口うるさい。彼女が設定しているアラーム時刻は、こんのすけがやってくるぎりぎりの時間であることも追記しておく。
「さあ!朝でございますよ審神者さ…っ!」
はぁふ、とあくびをしたところでスパーンと漫画のように気味のいい音を立てて襖が勢いよく開いた。襖の先に、青い手拭いを首に巻いたこんのすけがいた。こんのすけがこの寝室に入室する際にひと声かけたのは丹色が審神者の職業についた最初の一週間だけであった。
審神者たる丹色に対する畏敬の念がうすいそんなこんのすけだが、この狐は襖を開けた先で絶句し、次第にわなわなと震えだした。思うことはただ一つ。へ、部屋がきったない…!
「昨日何してたんですか!なんでこんなに散らかってるんですか!!」
怒り心頭、という言葉が丹色の脳裏に過る。あくびの余韻を感じながら、丹色は身支度のために、のそのそと決して広くはない部屋を時間をかけて歩き回った。その足元に散らばるのは審神者としての事務雑務の書類や飲食した食器やお盆だ。湯のみならまだゆるそう。しかし何故皿がある。考えるまでもなく、夜食という奴だ。
「食べましたね!?夜食はいけないといったのに食べましたね!?」
のそのそ動く丹色に対し、こんのすけの動きは機敏だった。全身を使って書類を一つのところにあつめ、食器はとりあえずちゃぶ台の上に集める。タオルや着替えなどの衣服類は部屋の入り口に放り投げた。あとで回収する心算である。ついでに布団も畳んでおくことを忘れない。でなければ万年床になることが目に見えている。怒鳴るように大声を張り上げて部屋の主よりもせっせと働くこんのすけには、丹色もわずかながらに感心せざるを得ない。わずかだが。
ガラガラとあたかも部屋をひっくり返す勢いで片付けに精を出すこんのすけを一瞥し、丹色はまずは着替えようとするりと浴衣を脱いで足元におとす。丹色の歩いたところには腰ひもや浴衣、タンクトップなどが道のように落ちている。またこんのすけの回収物が増えた。ショーツ一枚の姿だが丹色はまったく気にしない。こんのすけは慣れた。しかし、そんなこんのすけにも許せないことが一つ。
「さっさと面布を付けろください!!!」
思わず丹色の後頭部に向けて頭突きを繰り出していた。
箪笥からごそごそと下着を探し出している丹色の後頭部に、ゴン!と強く頭をぶつけるこんのすけに容赦というものはない。その衝撃でガン、と額を箪笥に打ち付けた。眠気も吹っ飛ぶ激痛であった。声にならない悲鳴を上げる丹色だがこんのすけの知ったことではない。
「〜〜〜!!!!っんの!!バカ狐!!」
痛む頭と寝起きの体の動きはやはり遅い。額を押さえながら近くに置いてあった目覚まし時計に手を伸ばし、何の迷いもなくこんのすけに投げつけた。寝起きにあるまじき勢いだった。
「さあ!さっさと身に着けるのです!!!」
しかしそんな勢いの目覚まし時計を避けることなど、こんのすけにはたやすい。部屋の隅に落ちていた面布を銜えると、時計とすれ違うように突進するように飛び上がった。その勢いのまま、#2#の顔面に向かって勢いよく面布を投げつけ付けた。こんのすけが避けたベル式の目覚まし時計は、ガシャアン!と派手な音をたてて壁に当たって分裂した。全力で投げたのだから当然の結果と言える。バン!と痛々しい音が響き、さすがに丹色もしりもちをついた。わずか八畳間の審神者の寝室で行われた戦いはこんのすけの勝利に終わる。
ちなみに時刻は朝の5時10分である。
「あーーー。どこの主婦だよ。やってることただの主婦じゃん。専業主婦じゃん…」
「安心してください、あなたは主婦ではなく審神者ですから」
「聞きあきたよそれ…」
しゃがみこんだ丹色はげんなりした様子でがっくりと頭を垂れた。目の前にあるのはこんもりと積み上げられた大量の洗濯物だった。毎日の仕事の一つに、洗濯がある。丹色ひとりの洗濯物ではない。この本丸に住まう者の着替え等がここに集結している。これをひとつひとつ洗わねばならない。タオルや手ぬぐいは洗濯機に放り込むのだが、さすがに和物の衣料は手洗いだ。式神が手伝っててくれるのだが、彼らは小さい。がっつり洗ったりアイロンがけはできない。その代わりか、最も面倒な血を洗う役目を買って出てくれているのは丹色もうれしいことである。一枚の着物によりあってパタパタと血抜きをする式神たちのなんと可愛いことか。丹色にとっての癒し担当は間違いなくこの生活式神たちであった。
「…着物洗える洗濯機でも買おうかな…」
「それいいですね!!」
「お前洗濯したくないだけだろ」
新しい洗濯機に食いついたのは他でもないこんのすけだった。丹色の目付でもあるこんのすけは、やれ審神者の業務がどうだ、やれ刀剣様にこうしろ、やれ清らかさをどうたらこうたらと…。目付というより、ただの小姑である。
こんのすけもこの本丸から出ることはない。日中は何をしているのかと言えばひたすらゴロゴロするばかりだったので丹色の命によってバリバリ働かされている。本来はこんなことをする式神ではなかったはずなのだが。イラッときた丹色が手近の着物をこんのすけに投げつけた。
「ぎゃあああああ!!馬糞んんんんん!!!!」
「え?わぁ。ザマミロ」
これがただの布やらなんだったらまだよかったものの、寄りにもよって馬糞付きだったものだからこんのすけも叫ばざるを得ない。臭いし汚いし泣きそうになりながら、こんのすけはただただ震える。悪びれもせずにせせら笑う丹色の顔は面布で見えないが、どう考えても悪い顔をしているのは目に見えている。ひととおり震えたこんのすけは吹っ切れたように「フッ」と笑うと、仕返しとばかりに馬糞が体についたまま丹色に突進した。
「ちょっ!?ぶ!!」
顔面に。
さすがの丹色もまさか顔面にこんのすけがとんでくるとは思わず、思いっきり顔面で受け止めてしまったから、すっころんだ先で怒りに震えるしかなかった。
「こんのクソ狐!!油揚げにしてやろうか!!!今日は狐鍋じゃあ!!」
「やれるもんならやって見なさい阿保審神者!!万年独身女!!」
てぇやァアアアアアア!!と甲高い声を上げながら丹色の鳩尾に遠慮のかけらもない一撃を披露したこんのすけ。万が一のためと標準装備されている防衛機能を存分に振るっている。対する丹色は武器こそ持たないが強制審神者研修でそれなりの護身術は持っている。ぐっと痛みに耐えながら鳩尾に食い込んだこんのすけの頭をがっちりと掴んで洗濯物の山に向かって叩きつけた。洗濯物が派手に散らばり、式神たちが慌てて回収作業に入った。血を落とすのは二の次となった。
遠慮も手加減も一切ない仁義なき争いが、ここに開幕した。
それに慌てたのはほかでもない、式神たちだ。目の前に広がるのは口汚く相手を罵り合いながら取っ組み合うさながらキャットファイトだ。これをどうにか止めなければ洗濯が進まない。
困ってしまって、話し合うように寄り合った式神たちの中から、一体の式神がその場を離れたのを見送り、式神たちはまた洗濯の血抜きを再開した。散らばった洗濯物はあとで回収する方が効率がいいからだった。
「いちいちいちいち!息子を取られた小姑か!」
「貴女もせめてもう少し女性らしければまともな人格だったのでしょうね!あと一回りだけでも胸があれば!」
「だまらっしゃぁこんの性別不詳きつ」
丹色の怒号が途絶えた。ある一点を見つめて顔を青ざめさせた。尻尾でビンタする攻撃の準備に入っていたこんのすけも不思議に思い、振り返って丹色の視線の先に目を移す。
大量の石が飛んできていた。
その向こう側の縁側にいるたくさんの金色に光る投石兵たちに、丹色とこんのすけは察せざるを得ない。式神たちが呼んだなこれ、と。
「ぎゃあああああ!!!!」
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!これ死ぬやつ!!!」
悲鳴を上げて避けようとするにも、さすがは金玉投石兵である。追撃するように的確に飛んでくる石には、もう逃げ切れる気がしなかった。だって逃げようとした先にも飛んできている。
何とか逃げ出そうとするこんのすけの尻尾をつかみ、丹色はとりあえずと自身の頭にこんのすけを押し付けた。頭を守る盾にする心算だった。
「いやああああああ!!放してくださいましぃいい!!!」
「ばっかお前だけ逃がすかよぉおおお!!!」
ガスガス、と痛ましい音が響き渡った。時間は午前7時36分のことであった。
『私は怒っている』。そうでかでかと書かれた面布を身に着けている丹色はもくもくと洗濯物の選別を行っていた。洗濯機に突っ込むものと、手洗いのものとの選別である。タオルやふんどし、ハンカチやシャツなどはぽいぽいと洗濯物に放り込む。袴などは横にどける。ちなみにふんどしは明らかに刀剣の数と一致しない。つまりアレだ、刀剣の中にはノー…いや、自重しよう。
ところで血塗れの衣料は別途で来る上、基本的にあまり量はない。式神たちはすでに血抜きを終えて時間を持て余し、縁側でわちゃわちゃと遊び始めていた。
それをうらやまし気に見つめる丹色はぎりぎりと奥歯を噛みめていた。その横で、こんのすけがバケツの中の袴を踏み踏みして洗っている。2人の頭にはかすり傷がまま見受けられた。先の投石攻撃によるものである。
「ああ、まさか投石兵まで出してくるなんて…」
「最近式神が容赦ないと思わない…?」
「明らかに手加減はなくなっていますね…」
いつもならお前の所為だと罪を擦り付けるところなのだが、丹色とこんのすけが会話しだすとたちまち監視のように式神たちの視線が鋭くなる。ここから先、一人と一匹は何も言わずにもくもくと洗濯を済ませる他なかった。
審神者という職業について、2年目に差し掛かかろうとしていた。
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モドル