1|異動

 これ程無責任な人事異動など、聞いたことも無い。

 レノックス大佐は目の前の資料の束をじっくりと眺めながらそう思った。軍から一歩外にでも出れば紙切れ同然なこの紙の束の差出人は、馴染みのある星条旗。アメリカ軍のカナダ基地からだ。紙の入っていた封筒を裏返せば、おそらくカナダ基地の大佐の署名。直筆。なんだこの厭味ったらしいサインの書き方は。更なる苛立ちがレノックスの身に降りかかる。
 一体この筆跡の男は何を考えているのか。今すぐにでもヘリを飛ばして真相を突き止めてやりたい。きっと自分の権力なんかを振り回る奴だ。そうに違いない。テメェのその能天気な頭に一発鉛玉入れてやろうか。
 誤って自らの沸点を超えてしまわない内に、ふぅ、とレノックスは行き場の無い溜め息を外に出した。俺が勝手に苛々してどうする。まだ何も分かっていないというのに。

 一人の兵士が立っている。見慣れた迷彩柄の軍服と軍帽だが、どうも似合わない。というより、全体のサイズが合っていないのだ。ピンと張った手から降りる袖は半分くらい隠れているし、襟もヨレヨレでちゃんと締まっていない。ズボンの幅も相当デカイのかダボついているし、しっかり縛られた靴紐も床についてしまうのではないと思ってしまうくらいとても長い。
 チラッ、とレノックスは横目で兵士を見やると、緊張で歪んだ口角がぎこちなく上がった。仮にもまだうら若き20代が、なんて笑顔なんだ。思わずこちらも苦笑いしてしまう。自宅で俺の帰りを待つ天使たちとはえらく違う。そう、天と地の差だ。
「あ、えー……カナダ基地からの異動で、こちらに来たんだな。」
「は、はい。」
 兵士は短く返事をした。
「君、カナダ基地から何か聞いてないか?」
 手紙には詳しい内情が書いてないのでね、とレノックスが兵士に尋ねた。同封されているのは異動報告書と対象の簡易な履歴資料のたった2種類のみ。普通なら連絡があってもいいのだが、全くの音信不通である。実際この手紙が俺の元へ渡った時も、何かの不手際ではないかと疑っていたくらいだ。それが間違いではなく本当の事だったなど、冗談でも笑えない。しかも異動する理由だってどの紙にも書いていない。不備にも程があるぞ。アンタ等のボスの目はザルなのか?異動ならそれ最低限の訳を礼儀が必要だろう?
 結果は残念ながら、レノックスの期待とは反して、何も聞いていないとの答えだった。
「私も急な異動通達だったもので、一体何を準備したらいいのかさっぱり分かんなくって。」

 あぁ、それは俺のセリフだよ。これを受け取ったのも昨日だったし、どうなってんだそっちの基地は。

「随分と諸事情がお有りなんだな、そちらは。こっちの都合はお構いなしって事か……あぁいや、今のは独り言だ。聞き逃してくれよな。」
「はは…すいません何か。色々聞こうとはしたんですけど、全く話してくれなくて。困っちゃいますよね。」
 落ち着きもなく左手を後ろに回して頭部を掻く。
「……… ………。」
 異動命令が下される兵士自身も知らないなど、アメリカ軍もどうかしてる。一人の兵士のみを悪戯にこんな場所に移して、後は好きにやってくれと他人に丸投げしているようなものだ。何を考えているのかさっぱり分からない。
 だが、もうここまで来たらぼやいても仕方ないのだ。この島に来てしまったからには、例え隠された事実を知らなくとも無言で帰すわけにはいかない。若くて美人なのに、前途多難な人生だなと憐れみながら、レノックスは机に肘をついて指を組んだ。
「ところで、君の名前は?」
 自分の新たなる上司になる男に、兵士は指先まで力を込めて敬礼した。

「はい!カナダ基地から配属されました、ルカ・フォーサイス一等兵です!……ッゲホ!?ゴホ!!」

 勢い余って声を張り上げた所為で、気管に唾液が引っかかった。苦しそうに咳き込む新しい同胞を前に、レノックスは二度目の溜め息を吐かざるを得なかった。



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