それはまるで、西の空に輝く一番星のようであった。夜闇に紛れて静かに姿を現し、その輝きを見つけた者の標となる。
ひとりの兵士がそれを見つけた。彼は鬼兵隊隊員だった。すると彼の顔色が変わったのだ。他人の目からでも分かるほどにはっきりと。まるで希望の体現でも見たかのように、彼の表情は精気を取り戻した。今にも腹を切ってしまいそうな顔をしていた彼は、希望の腕の中から自力で抜け出し、刀を地面に突き立て、勇ましい顔と声でまだ戦うと宣言した。
それと同じことが、高杉晋助が戦場に駆け付けたと知った多くの鬼兵隊隊員に同時に起こった。
なまえは高杉の横で刀を振るいながら、戦場の空気が変わっていくのを肌で感じていた。
高杉晋助は、戦場の絶望の中で輝く、金星のような男だった。
野営地に戻ったなまえは、高杉の活躍についてそんなふうに振り返った。彼はたったひとりの力とその余波で、奇襲をかけられて劣勢でしかなかった戦況を実際に覆してしまった。北西で起こった奇襲は、鬼兵隊の総督によってあっさり鎮火されたのだった。
不思議なものを見た。しかしあれは確かに現実で、なまえの肌はまだぴりぴりと戦場の空気を感じていた。
夜通し戦って疲れたにも関わらず、なまえは寝付くことが出来なかった。
高杉の部下によって騒ぎを知らされた救護班が慌ただしく到着するまでの間、なまえは負傷兵の手当にあたった。
「みょうじは近くで見てたんだろ、総督の活躍!」
高杉の手によって助けられた男が、なまえの手当を受けながら興奮した様子でたずねた。笑顔で頷けば、彼は鼻息を荒くして詰め寄ってくる。
「どんな感じだった?」
「いやー、あの感覚を言葉で表現するのは難しいよ」
なまえがノリよくおどけて見せると、男は「だよなだよな!」と言って小さく体をばたつかせた。なんというか、女のような男だ。
「なぁなぁ、じゃあさ、坂本さんってどんな人なんだ? いっつもでっかい声で喋ってるけどさ、正直アホなこと言ってるのしか聞いたことないぞ! つーかぶっちゃけ付き合ってんの?」
「つーかぶっちゃけ付き合ってません! 残念でしたー!」
なまえが彼の真似をすると、周囲にいて会話を聞いていた数人からわっと笑いが起こった。似ていると茶化されて、笑いのネタにされた男は若干不服な顔付きになる。後ろで聞いていた、もうひとりの男が手を上げた。
「じゃあさじゃあさ、俺、みょうじのこと狙っちゃおっかなー!? なんちゃって!」
「あっはっはっ、御冗談を〜」
「休むのは良いが、気ィ抜きすぎんなよ」
男の冗談を、辰馬の横にいて身に付いた明るさで無難に躱した。振り返ると、鬼兵隊総督が立っていて、談話していたなまえ以外の男たちが、さっと居住まいを正した。
なまえもつられるようにして彼の方へ向き直る。
「なまえ、もういいぞ。お前も休め」
高杉はさっと自分の背後に目線を送った。見ると、遅れて駆け付けた救護班と他の隊からの援軍が次々と野営地に入ってきていた。
なまえは立ち上がって怪我をした兵士たちに手を振る。そのままどこか空いているスペースを借りて休もうと歩き出すと、高杉がついてきた。
「やはり動き出したか」
「動き出した?」
「お前が前の伝達兵みたいに消えなかったのも、奇襲があったって伝達が上手くいったのも、敵が次の作戦に入ったからってことだろ」
高杉はどこか思うところがあるように、しかし淡々と述べた。確かに、なまえが何ごともなく高杉の元にたどり着けているこの状況は、辰馬から聞いた話と違う。おまけに奇襲と、そのことに関する連絡がなんの滞りもなく通ったことを考えると、敵が今までとは違う新しい動きをしていると考えるのが妥当だ。
なまえは話の続きを促すように、小さく頷いてちらりと高杉を見た。彼はまっすぐ前を向いて、表情を変えないまま続ける。
「しかも報告の割には兵の数が少なすぎる。いくらなんでも見張ってた鬼兵隊だけでどうこうなるわけがねェ」
「えっと……」
高杉の言葉に、なまえは静かに納得した。そのうえで、自分がなぜそんなことを聞かされているのかよく分からなかった。
「あとの兵は、どこへ行った?」
すっと血の気が引くのが分かった。
いくら高杉が、鬼兵隊が強いとはいえ、きちんと備えてぎりぎり勝てた先日までの戦いより圧倒的不利な状況下で、一晩で事を終結させられるはずがなかった。
思い返してみても、相手にした兵の数が少なすぎる。鬼兵隊の男の報告と話が噛み合わない。
「……分かりません」
なまえは思わず目を逸らした。高杉の視線に、なぜか責められているような感覚に陥ったからだ。しかしそれは、なぜかではなく、明確な意思を持って、なまえを射抜く。
「坂本はお前を心底信頼してるようだが、俺ァ違うぞ。悪いが俺はお前を疑ってんだ」
「私が何をしたって……」
「ここに連れて来たのだって――」
「みょうじ、ちょっと助けて――」
高杉の言葉を遮って、先まで一緒にいた男が駆け寄ってきた。彼は一緒にいる高杉の姿を認めると、そこで言葉を止めて、「総督」と小さく呟いて礼をした。それから二人の顔を見比べて、「何かありましたか」とたずねた。反応に困って何も言わないでいると、高杉が「なんでもない」と答えた。
「ちょっとみょうじに助けてほしいんだけど」
男は困ったようになまえを見た。
おそるおそる、なまえは高杉の方を向いて確認した。高杉は本当になんでもない顔で「行ってやれ」と小さく言った。
なまえは高杉の態度を不審に思いつつも、男の言葉に耳を傾けた。
「その……駆け付けた救護班の中に、坂本さんとみょうじの会話を立ち聞きしちまったって女の子がいてさ。それで……」
男は高杉の方をちらちらと見て言いづらそうにした。
「拠点の方で銀時さんが消えたって話をしちまったらしい……です」
「それってかなりまずいんじゃ……」
「それはそうなんだけど、詳しく聞こうにも泣き出しちまって話にならないんだ。俺たちが何を言っても聞かねぇし、せめて同じ女のみょうじなら……」
男はいまだに高杉を気にしつつも、自分の背後に視線をやった。見ると、小柄な女の子が怪我をした兵士に囲まれて宥められながら肩を震わせていた。尋常ではない様子なのが遠目から見ても分かる。彼女より年上であろう救護班の女が数人駆け寄っていったが、少女は聞きたくないというように首を振った。
「あの、総督も一緒に話を聞いてやってもらえませんか。たぶん、俺達が言うより効果あると思うので」
男に続いて少女に近付くと彼女はひっくひっくと肩を跳ねさせながら、一瞬だけちらりとこちらを見た。「違うの……そんなつもりじゃ……」と掠れた声を絞り出す少女は、年の頃はなまえと同じくらいだが、年のわりにどこか妖艶に見えて、なまえはどぎまぎしながら彼女の手を取った。一緒にいた高杉は明らかに泣く女の相手をするのが苦手そうな様子だった。
「大丈夫だから、落ち着いて」
そっと背中を撫でると、彼女はばっとなまえに泣き付いてくる。白夜叉失踪の影響を色濃く受けることになる前線の人間であり、彼女と同性でもあることが幸いしたのだろう。
「白夜叉様は……白夜叉様は……」
「うん、なに?」
「白夜叉様は……わたしの憧れなんです。彼がいなくなったと聞いて、わたし、不安で仕方なくて……話したらどうなるかなんて考えられなくて……」
彼女は肩で息をし、流れる涙を拭いつつも話をしてくれた。
曰く、白夜叉が失踪したという噂は瞬く間に拠点内に広まり、兵たちを混乱させた。彼のファンだった兵の数名が次の策を練っていた桂の部屋に詰め掛け、ちょっとした騒ぎになったらしい。大きな戦力が欠けてしまったことを不安がる声も多数あり、自分が話してしまったせいで大事になってしまったと思い詰めているところに奇襲の報が入って、逃げるように救護に向かったということだった。
話し終わった彼女はごめんなさいとどうしようを小さく繰り返してなまえに縋った。
「大丈夫、白夜叉さんは戻って来るから」
横目でちらりと高杉を見る。
自分が伝達した内容通りなら、彼がどうにかして白夜叉を連れ戻してくれるらしい。
「うぅ……でも……」
「向こうはヅラが勝手に収めるだろ」
高杉が彼女の言わんとすることを察して、歩み寄ってきた。
「その白夜叉とかいう野郎も俺に任せてな」
高杉はどこかぶっきらぼうではあったが、その声には優しさが感じられた。
慰められた少女はなまえに抱きつきながらすこしだけ彼の方を見た。彼女はまだ収まりきらない感情を抑え、しゃくりあげながら震えていた。
やがて涙が枯れ、泣いて少し嗄れてしまった声で少女は小さく謝罪をした。