冷静になると、随分と早い再会だった。もう関わることもないだろうと思ってからたったの数秒――いや、正確には同じ部屋で寝ていたのだから再会でもなんでもないのか。
 とにかくなまえを部屋に入れてくれたあの人は、昨晩話した男と同一人物であったらしい。そうと言われれば確かに、同じ声をしていた気がする。なまえは彼の静かな笑い声を思い出して、なんだか胸をつかれたような不思議な気分になった。
 何か特別なことを話したわけでもないが、昨日の夜のことははっきりと印象に残っていて、これでもう本当に会わないだろうと思うと少し残念な気もした。
 彼が辰馬とともに部屋を出てどこかへ行ったあと、なまえは布団を片付けて他の人たちが集まる部屋へ戻った。飲み会明けでまだ寝ている者もいれば、起きて朝稽古をしている者もいる。多くは隣にいる友との雑談に花を咲かせていた。
 先日の善戦のおかげで今は余裕があるとはいえ、いつまた敵が新手を引き連れて押し寄せてくるか分からない。むしろ今日明日にでも、幕府の軍が大挙してくると考えた方が妥当だ。
 だからこそ、戦とはかけ離れた穏やかな朝に、なまえは頬を緩めた。

「伝令?」
「そうじゃ。わしは東の兵に用があるき、前線にでちゅー高杉に、なまえから伝えてくれんか?」
 昼間に辰馬に呼び出された。みんなとは別の部屋に用意された食事を二人で取りながら、地図を広げる。
 辰馬が示した場所は拠点から北側の、ちょうど先の戦で前線が広がった場所だ。敗残の幕軍の処理と、拡大した戦線の調査を鬼兵隊の精鋭が残って行っているらしい。
「全然良いけど、私高杉さんって顔知らないよ?」
「お? そうじゃったか?」
 あはははは、と辰馬は呑気に笑った。
 それを見たなまえが「もう、しっかりしてよ」と冗談めかして言うと、「すまんすまん」と言ってまた豪快に笑う。
「けんど」
 どーしても、と一文字目を大袈裟に伸ばして、辰馬はなまえを見た。目が合うと眉を寄せて、真剣な顔付きになる。
「これはなまえに頼みたいことじゃ」
「理由を聞いてもいい?」
 辰馬は頷くと、一度ちらりと周囲を確認して、再び私を見た。
「最近、伝令を頼んだ兵がことごとく行方を眩ませるんじゃ」
「暗殺ってこと?」
 辰馬は首を横に振った。
「そりゃまだ分からんぜよ。じゃが、ひとつ言えるんは、いずれにせよわしらの中こっちに間者が混じっとるいうことじゃ」
 もともと賊軍であるなまえたちは、正式に兵を募っているわけではない。人手不足でろくな選定もできないから、間者など入り放題ではある。
「消える兵士は決まって、ある隊から別の隊へ――つまり、今みたいにわしから高杉の隊への言伝を頼んだりしたときじゃな――そういう兵が跡形もなく消える」
「跡形もなく?」
 辰馬は再び頷く。
「死体どころか、争った痕跡すら残らん。まるで自分の意思で部隊を去ったかのように、それ以来姿を見せなくなる。それまでに怪しい動きを見た人間もおらん」
 辰馬は畳に広げた地図に目を落とした。それにつられるように俯くと、使い込まれた地図に、これまで作戦を練った形跡が伺えた。
「今まではそれぞれの隊でなんとかなってきたが、戦線の拡大でそうもいかん。これからは特に、離れた仲間との連携が大事じゃき」
 守るところが増えた分、当然それに割かなければならない戦力は増える。兵は増えないから、今まで以上に連携がものを言う。各隊で物資や人員を融通する必要だってあるだろう。
「ここで、何か手を打っときたいんじゃ。それで今回は、調査も兼ねて一番信用できる人間に伝達を頼みたい。なまえ、武力も含めて、お前が適任じゃ。すまんが頼まれてくれるか?」
「分かった」
 頷くと、「流石なまえじゃ!」と辰馬は笑った。
「それと、伝達の内容なんじゃが……」
「何?」
「金時がどこかに行ってしもうてのぅ。見つけて連れ戻すように伝えて来てくれ」

 白夜叉が消えた。それってかなり不味いのではないか、というのは、頭で考えるのがあまり得意ではないなまえにもすぐに分かった。単純な戦力の話だけではない。
 常人離れした強さを誇り、にわかには信じられないような荒唐無稽な武勇伝を持つその男が、なまえのような凡庸の兵に与える影響。刀を手放しそうになったとき、まだあの人がいるからという理由で再び立ち上がることのできる人間がどれほどいるか。
 なまえは道中に不審な影が見えないかを確認しながらも、出来るだけ急いで鬼兵隊総督の元へ向かった。
 顔を知らなくても連絡を取る術ならいくつかある。そのひとつが隊服だ。鬼兵隊はなまえたち攘夷志士の中でも一風変わった服装で統一されている。その中の誰かひとりでも見付ければ、総督までたどり着くのは案外容易かった。
「高杉さんですか。辰馬……坂本さんから伝言です」
「お前は坂本の……」
 相手はどうやらなまえのことを知っていたようで、多少驚いた様子ではあったものの、なまえが伝達に来たことはすぐに受け入れられた。
 鬼兵隊総督は太い木の幹にもたれかかって涼しげに、しかし真剣に遠くを見ていた。大将らしく落ち着いた雰囲気のある男ではあったが、顔を見る限りではなまえとそう年は変わらないだろう。
「金――白夜叉さんがどこかへ消えてしまったようで、見付けて連れ帰ってほしいと」
「……」
 高杉はしばらく黙ってなまえの方を見ていたあと、頷いて「ご苦労さん」とひとこと労ってくれる。
「ここに来る途中、何もなかったのか?」
「そう……ですね。一応周囲には気を配ってましたけど」
 言われて、なまえはもう一度道中のことを思い出した。敗残兵の多そうな場所は迂回してきた。道中鬼兵隊の隊員に会って、辰馬の名前を出してここに連れてきてもらった。というか飲みの席でよく一緒にいるため、なまえは辰馬の友人として若干有名人であり、ほとんど顔パスだった。
 怪しい影はなかったし、普段と変わったことも特になかった。
「帰りも気を付けな。坂本から聞いてると思うが、ここ最近、伝令の兵が消えてる」
 なまえは頷いた。
「坂本には『分かった』と伝えとけ」
「分かりました」
 今度は高杉が頷いて、なまえは踵を返そうとする。
 その時、肩で息をする若い兵が駆けて来た。鬼兵隊の隊服だ。視界に自らの長を入れるや否や倒れ込んだ彼は、咄嗟に身構えた高杉の腕に抱えられる形になった。
「総督! ご報、告が……」
 息を詰まらせ、咳き込む。
「おい、何があった!」
「言われたとおり、北西の見張り……を……っ」
 なまえは持っていた水筒のフタを開け、高杉に手渡した。高杉の手から、名も知らぬ兵の口に水が流し込まれていく。誰かの血で、隊服がぬめぬめと嫌に光っていた。高杉が水の溢れた口元を拭ってやると、兵は薄っすらとしか開かない目を彼の方へ向けた。
「奇襲、です……兵力は……多分、先の戦よりも多い……かと」
 来てもおかしくないとは思っていたが、先日敗走していったばかりのはずがなぜ、こんなに早く前よりも大きな戦力を引き連れて現れることができよう。
 なまえは不安気に北西へ目を向けた。
「おい……なまえ、お前戦えんのか」
「は、はい。それなりには」
 戦うだけなら、と付け足した。なまえは指揮系統はからっきしだったが、個人戦なら男相手だろうと未知の天人だろうとそれなりに戦えるつもりでいた。指示を聞いて刀を振るうだけなら、辰馬と打ち合えるくらいには強い。
「……コイツは俺の部下に任せる。お前は俺について来な」
「はい」
 気を付けて帰れと言った前言を撤回して、高杉は名前に誰か連れてくるように言った。この近くにいる鬼兵隊であれば誰でも構わないというので、少し離れた位置で喫煙してさぼっていた隊員を捕まえてきて、負傷した兵と本隊への伝言を任せたあと、なまえは高杉について北西の戦場へと駆けた。
 渦中の場所へ辿りついたのは、日がもう沈みきって奇襲から数時間経った後であった。
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palladium