「やあ、久しぶり」
相変わらずの無愛想な顔を前にして、花京院はゆるりと笑みを浮かべた。
あの短くて濃厚な旅以来だ。空港で別れたあの日を境に一切連絡を取っていなかったのだから、実に十数年ぶりの再会である。
降機客の間をすり抜けて到着出口に姿を現した千里の大人びた顔が特別な表情を作ることもなく、久々に会ったというのに花京院に対して一瞥するのみである。
国際線を使っていたはずなのに荷物もハンドバッグと小さなキャリーケースのみと非常に少なく、なんとも彼女らしい。しばらくアメリカに滞在するにしてはあまりにも身軽すぎると花京院は内心苦笑した。花京院が出迎えることはあらかじめ聞いているはずだから、彼がいることに不信感を抱いてはいないはずだ。
千里はあまり変わっていなかった。さすがにティーンの女の子だった顔つきも精悍な、凛とした大人の輪郭へと変わっていたがグレーの瞳は相変わらずなにを考えているのかわからない。ダークブラウンの髪の毛は当時より少し暗く、長くなっただろうか。しかし無造作な髪型が狼の毛並みを彷彿とさせる。
無駄な脂肪や筋肉がついていないバランスのとれた体躯も、引き締まった長い四肢もそれまでの職業の賜物だろう。だがモデルと言うにはまた違う。やはり軍人のそれだと花京院は思った。鋭さは以前よりも増しているが器用に隠してしまっているように思えて仕方がない。
「聞いているかもしれないが、研修中はぼくがきみの担当となるから、まあ……またしばらくよろしく頼むよ」
花京院は千里にSPW財団の職員証を見せて今度は苦笑を浮かべてみせる。
そんな彼に対し千里はわずかに目を伏せた。だがすぐにいつものあの瞳を花京院に向ける。相変わらず茫洋とした眼差しだ。何を考えているのか、やはり読み取れない。それでもわずかな表情筋の動きや、雰囲気でなんとなく感情が読み取れるような気がした。花京院の気のせいかもしれないが。
彼らも大人になった。未成年であったのもすでに過去のことである。
花京院は日本の大学を卒業したのち、SPW財団日本支部に職員として就職した。配属先が超常現象研究部門ではなく、医学関連の部門である。
大学で学んだ専攻を生かすにはそこが適していたこともあったが、あの旅で腹部に負った怪我により激しい運動は制限されていたため世界中を飛び回ることが叶わず、デスクワークによるサポート役を選んだのが一番の理由だろう。
年に数度の学会や会議等でアメリカのダラス本部に行くことがあるため、気付けば異国の地での生活にも慣れきってしまっていた。今回のアメリカへの出張は千里の研修に立ち会うためである。
一方、千里がそれまでどこでなにをして生活していたか、花京院は書類の上のみでしか知らない。人事から渡されたプロフィールによれば、彼女は国に戻ったのち大学は士官学校に進学、卒業後は陸軍に入隊したのち特殊な部隊に異動したようだった。勤勉で真面目な彼女らしく、在学中も軍務に服す間も好成績を修めていたらしい。
経歴書の一枚に記された成績一覧は見事なものであったと花京院は記憶している。特に狙撃に関しては突出しているようだった。戦場での公式記録もやはり遜色なく、平穏から遠く離れた場所で生きていたのだと窺える。
だが経歴書を渡されて花京院が少しだけがっかりしたのは秘密である。名字も年齢も国籍もなにも知らなかった千里自身のことは、できることならば彼女の口から直接聞きたかったと思っていたからだ。
夜空にはあの日を思い出させるような月が浮かんでいる。助手席に千里を乗せ、花京院はアクセルを踏んだ。
明日付けで千里は組織の一員となる。
「とりあえず今日はホテルまで送ろう。明日から忙しくなるけれど、しばらくは基礎的な座学や訓練ばかりだから千里からすれば大したことないかもしれないけれど」
話しながら花京院は視界の端に映る千里の様子を窺う。ゆったりとシートに体を預けるも窓の外に流れる夜景に目もくれず、まっすぐ正面だけを見てるために話を聞いているのかはわからなかった。
だが花京院が覚えている千里と言えば基本的に我関せずを貫くため、あまり違和感はない。記憶通りの姿である。それがとても懐かしい。
しかしそれはあくまで互いに学生だった頃の話だ。彼女とて大人になったのだから当時より多少は軟化しているのではないか。実は期待しているなど当然口には出さない。それに顔にも出さない程度には花京院も成長した。だが期待してしまう程度には彼も千里を意識している。
なぜ千里が陸軍を辞めてSPW財団に入る気になったか、花京院は知らない。DIOと交戦した一行の一人として以前より財団がスカウトをかけていたことは聞き知っていたが、それ以上のことを花京院は知らなかった。財団と政府が取引をしただとか、国家間でなにかしら約束が取り交わされただとかまことしやかに囁かれたが、たった一人のスタンド使いを得るためにそこまで大げさなことなど、と周囲は言う。真相は当然誰もしれない。
吸血鬼とのあの凄惨な戦いののち、軍人として一人戦いの中に身を置き続けることを選んだ彼女の中でどのような心の変化があったのか、きっと語られることはないだろう。いつだって千里はなにも言わない。言うことの無意味さを彼女はよく理解している。
花京院としては千里が財団に加わることについて半分賛成し、半分反対であった。かつての旅の仲間、しかも憧れた人とともに働けることが嫌であるはずがない。それは非常に喜ばしいことである。
千里の研修担当になったのも偶然ではない。上司を通して本部の人事から打診があり、花京院は了承した。知り合いが担当の方がリラックスできるだろうという人事の判断である。
「きみの新しい家は明日案内しよう。でも研修が終わればすぐに現場に行ってもらうことになるから、あまり使うことはないかもしれないが……」
ハンドルを握る手に無意識に力がこもってしまったのも、言い淀んでしまったのも無理はない。花京院は千里のこれからをすべて知っている。それが彼女が財団に加わることに対して反対している一番の理由であった。
一通りの研修を終えた千里はコードネームが与えられ、正式に財団のエージェントとなる。花京院と違う部署、超常現象研究部門の所属である。エージェントとしての階級はA級、対スタンド使い専門という意味だ。
だがその先、独り立ちした千里に与えられる指令については花京院は全面的に反対している。なぜなら彼女の仕事は社会や戦場に紛れ込む有害なスタンド使いの捕縛、または殺害。その職務的にはスパイや機関員と言った方が近いかもしれないが、それでも殺人は避けて通れない道である。
スタンド使いはある意味人間兵器だ。それが戦争で利用されれば戦局は大きく変化する。また人を殺したいがためだけに戦争に参加するスタンド使いもいる。狂信者だっている。財団が彼らを平和を脅かす者達と判断すれば千里がそれを捕らえ、場合によっては殺害する。
千里の役割は彼女のかつての職業から決められた。逆に言えば戦場を熟知しているスタンド使いが必要だったからこそ、千里に白羽の矢が立ったのである。スタンド使いの相手はスタンド使いにしか務まらない。まさにスタンド使い殺しのスタンド使い。世界の裏側で世界の平和のための汚れ役を請け負うのが彼女の役割だ。
当然花京院は反対した。そのようなことに友人を巻き込みたいと思うはずがなかった。承太郎にも相談したし、ジョセフやアヴドゥル、ポルナレフまで巻き込んで財団の考えを撤回させようとしたが、それも徒労に終わった。
財団の人選に間違いはない。戦闘経験が豊富で判断力に優れた千里がその役割を担うに不足はない。彼女と似た職務を負うスタンド使いは他に何人かいたが、そもそも数の少ないスタンド使いの中でスパイ映画の主人公よろしくスパイの真似事ができるものなど数えるほどしかおらず、つまり常に人手不足なのである。
「きみが悩む必要はない」
おそらく花京院の苦悩が雰囲気で伝わってしまったのだろう。酷く静かなアルトボイスはあの頃よりさらに落ち着きを払っていた。
花京院は思わず横目で助手席を見る。その横顔は相変わらず正面ばかりを見ていた。白い肌に陰を落とす長い睫毛は瞬き以外でそよりとも動かない。その口ぶりからしてなにも知らぬままアメリカの地を踏んだわけではないと花京院は悟った。
「職務については交渉に来た男が言っていた。そもそも綺麗事だけなら現役軍人をスカウトする必要はないだろう」
平和維持活動や特殊作戦等々で千里は何度も戦場に出ている。ゆえに与えられる任務について聞いたところで驚くこともなかった。
敵が一般人からスタンド使いに変わるだけのことだ。スタンド使いとの戦い方ならすでに知っている。殺し合いなど慣れたものだ。息の根を止める方法など何通でも思いつける。
そしてそれを運転席にいる花京院がどう思っているかまで、彼女にはわかっていた。
「――どうして」
顔色一つ変えない千里に対して、問いかけずにはいられない。はるか昔に咎められたことを思い出しながらも、花京院は質問せずにはいられなかった。
どうしていつも茨の道ばかりを選ぶのか。どうして平穏な道を選ばないのか。心をすり減らし、精神を摩耗させてまで一体なに目指しているのか。
なぜ人々は彼女をそちらの世界へ引き込もうとするのか。
「それを理解していて、どうして財団に入る気になったんだ?」
「きみは昔から質問ばかりだ」
呆れられた、とわかった。昔よりも読み取りやすくなった感情はそれでも些細なものだが、確かに彼女は呆れている。
前方に赤信号を認めて花京院はブレーキを踏んだ。改めてその横顔を窺うも、灰色の隻眼は相も変わらず前だけを見つめている。長い睫毛が一度だけ瞬いた。
「気にしなくていい。人殺しなら慣れている」
ひどく静かな声だった。そこに含まれているものが諦念だと想像してしまったのは、花京院の思い込みだろうか。
十数年振りに再会した女性は花京院の記憶の中に残る少女の面影を残しつつ、一人の大人として成長していた。あのころよりも言葉数は増えたとはいえ、その過程でどれほどの地獄を見てきたかは千里の口から語られない以上、花京院は書類上の文字面でしか想像できない。
たった一言に含まれた、あまりにも多すぎる意味を前にして花京院は思わず視線をそらしてしまった。信号はまだ赤のままである。
「……すまなかった」
「それを言うのはわたしの方だ。君の怪我についてまだ謝っていない」
千里の視線が正面から逸れて花京院の腹部に向けられる。皮膚の上に残る銃創、内臓の損傷。今でも古傷が引きつり痛むことがある。それは吸血鬼の本能に侵された千里につけられたものだ。
千里とてなにも罪悪感を抱かずここに来たわけではない。軍にあの旅で殺してしまった人々に対する贖罪の気持ちがあるわけではないが、それでも自身が傷付けた相手を前にして過去のことだからと水に流せるほど無神経でもなかった。
まさか千里から謝罪されると思っていなかった花京院は無理矢理に息を飲み込んで動揺しかけた己をなだめすかし、気にしていないという体を装う。成長したのは彼も同じだ。女性の前で見栄を張りたくなるときだってある。
「きみに比べてぼくの怪我は大したことないさ。それに研究職もなかなか悪くないしね」
一見するとわからないが、千里の右腕の義肢と左目の義眼も花京院の傷とは違うとはいえ、やはりあの夜に失ったものだ。しかし不便をしている様子はない。
信号が青に変わり、花京院はアクセルを踏み込む。国際免許を取得してから随分と経った今、異国の地での運転も慣れたものだ。
そこにあの旅での運転経験は含まれない。今思えば無免許運転に密入出国に数えられないほどの罪を犯している。今思えば口には出せないが懐かしい思い出だ。
沈黙が訪れる。そもそも千里はそれほど喋るような性格ではないために、花京院が話さなければ自然と車内は静かになる。千里の双眸は前を行く車に向けられたままだ。花京院も時折助手席の様子を伺いながらも運転を続ける。
事故でもあったのか、いつもよりやや渋滞している。遠くでクラクションの鳴る音が聞こえた。まだしばらくこの静寂な雰囲気に付き合う必要があるだろう。
それが特に嫌と言うわけではない。むしろ花京院にとってこの沈黙が心地よかった。まるであのころに戻ったかのような錯覚を彼に与える。きっとそれは安心感なのだろう。まったく変わっていない千里への安堵か、当時憧れていた人が隣にいることへの喜びか、そこまでは花京院にもわからない。
結局その後、どちらも口を開くことなくホテルに到着した。また明日迎えに来ると告げる花京院に対し千里はただ一言「ああ」と返したのみだったが、それでも花京院にとってはそれだけで十分であった。