魂のさすらい


 クリスマスホリデーと縁のない仕事もある。
 街中の色鮮やかなイルミネーションをカフェの窓から眺めながら、千里はコーヒーカップを口に寄せた。コーヒーと一緒に注文したサンドウィッチはトーストされたパンにレタスとローストチキンが挟んであった。パンにたっぷりと塗られたハニーマスタードは悪くないと思える程度に甘さが強い。この店のオリジナルだろうか。サンドウィッチに刺さるピックにはクリスマスツリーがデザインされていた。
 店内に流れるジャズもメジャーなクリスマスソングのアレンジだ。一方で外を歩く人々は肌を露出させた常夏らしい服装である。テラス席から流れ込んでくる風もまた熱を孕んでいる。
 
 千里は今、インド洋に浮かぶ島の一つにいる。北米大陸の対蹠点はインド洋に当たるらしいから、アメリカから見ればちょうど地球の裏側にいるとも言えるだろう。そして赤道を挟んで南半球にいるため季節は夏である。国によってはサンタクロースはソリではなくサーフィンに乗るらしい。
 真夏に現れるサングラス姿のサンタクロースなど、クリスマスイコール冬のイメージが強かった千里にとって何とも言えない気分にさせる。サンタクロース過激派ではないから真夏のサンタクロースを否定するわけではないが。しかし平年並みに暖かいのではなく、暑いクリスマスは初めての経験だ。

 北ヨーロッパ担当とはいえ、スタンド使いのエージェントなど万年人手不足なのだからヘルプがはいることは多々ある。今回もそうであった。「ホリデーシーズンをインド洋のリゾートで過ごせるなんて最高じゃあない。羨ましいわ」などと、千里が決して喜ばないことを知っているくせにオペレーターはそう宣っていた。
 クリスマスは家族と静かに暮らすものだと彼女は思っている。仕事だから仕方ないとはいえ、リゾートで過ごすクリスマスとパートナーと過ごすクリスマスを天秤にかけるならば、当然後者を選び取る。
 そしてこれも任務によってはよくあることだが、外部との連絡が非常に制限されていた。当然プライベートの連絡はNGだ。唯一の外部との通信手段は任務用にと渡されたモバイルフォンとノートパソコンだけである。モバイルフォンには当然必要最低限の連絡先しか入っておらず、当然のように通信は記録される。
 一方で任務中は無制限に使えるカードを与えられているため、贅沢をしようと思えば際限なく贅沢をすることが可能だが、あいにく千里にそのような趣味はなかった。

 言ってしまえば、彼女が最後にパートナーである花京院と連絡を取ったのは一ヶ月以上前のことになる。仕事だから仕方がないと二人とも理解しているし、連絡が取れないことなど初めてではないのだから何をいまさらという話ではある。ただ、次のクリスマスホリデーは休みを取ってゆっくり二人で過ごそうと約束していたがそれを反故にした。千里が気にしていることはたったそれだけのことである。前回のクリスマスホリデーも互いの誕生日も諸々の記念日も共に過ごしていない。結婚しても結婚前とは何も変わっていない。

 人の流れをぼんやりと眺めながら千里はサンドウィッチを咀嚼する。現地の協力者との待ち合わせ時間はもうすぐだ。
 落ち合う場所はこのカフェの窓際の席だと、昨晩オペレーターからメールで指示があった。協力者の顔や特徴は聞いていない。先方から声をかけてくるらしい。
 相手が千里を見つけるために、頼むメニューはコーヒーにレタスとローストチキンのサンドウィッチ。サンドウィッチは半分食べ、クリスマスツリーのピックを刺しておくこと。このような待ち合わせの仕方は過去に何度か経験している。千里は食べかけのサンドウィッチにピックを刺した。

 それなりに混みあっている店内の喧騒と何度目か分からない店のドアが開く音を聞きながら、そろそろ待ち合わせの時間だろうかと千里が腕時計を眺めていると、ゆっくりとした固い足音が彼女の席に近付いた。協力者なら向こうから声をかけてくるため反応はしない。ジャズアレンジのクリスマスソングは次の曲に移っていた。ピアノトリオの軽快な曲だ。

「Excuse me, ma’am.」

 ゆったりとした男の声だった。明らかに千里に声をかけている。しかしその声掛けだけでは協力者だと判断することはできない。
 ナンパであれば協力者との待ち合わせに邪魔になる。そう思いながら小さく息を吐きだして、千里は男へ視線を向けた。ナンパならばこの国に来てから何度か遭遇している。

「うん、時間ぴったりだ。コーヒーにピックの刺さった食べかけのサンドウィッチ。……そのサンドウィッチ、おいしそうだね。同じものを頼もうかな」

 一ヶ月ぶりに見る男の姿を認めて千里の双眸は一瞬大きく見開かれたが、すぐに細められる。彼は断りもなく彼女の向かいの席に腰を下ろした。
 実際に任務は存在しているから、任務自体は本物だ。しかし現地の協力者というのは嘘だったらしい。彼が来ると分かっていたら声をかけられた時点でナンパではないと判断できたはずだが、想定外の登場に声で判断ができなかった。どうやらオペレータにまんまと一杯食わされたようだ。

「そのサンドウィッチだが、かなり甘いハニーマスタードが塗られているぞ」
「それはいいな。ハニーマスタードは甘めが好きなんだ」

 千里は得意ではないかもしれないけれど。そう言って花京院は食べかけのサンドウィッチに手を伸ばす。一口頬張り、好みの甘さだと笑みを浮かべた。そして店員を呼び、紅茶を注文する。ついでに頼んだレタスとベーコンとたまごのサンドウィッチは食べかけを取られた千里用だろう。
 料理が運ばれてくるまでの間、花京院は自身のノートパソコンを開いた。カタカタとしばらくキーボードを叩いたのち、画面を千里へと向ける。今回の任務関連だろうかと彼女は思ったが、ディスプレイに映し出されたそれを見てすぐに眉をひそめた。一目で今回の任務に全く関係ないと分かるホームページだった。しかも高級リゾートホテルの。今彼女がねぐらとしている安宿の何泊分がこのホテルの一泊分になるのだろうかと思うほどの。

「この国でホリデーを過ごすならここがいいと勧められたんだ。ホテル内のショッピングモールもアクテビティのオプションも充実していると言っていたから、飽きることはないらしい」

 ホテルの予約はすでに取ってあり、ホリデー後も何日か有休をもぎ取ったからゆっくりできるという。そして安宿からすでに荷物は運び出されているというから、今夜からそのリゾートホテルが千里の寝床になるようだ。

 このころにはすでに千里もパートナーの強引さに慣れきっていた。彼女の先手先手を取るのが趣味なのかと思うほど、花京院は先んじて行動しては千里を掌の上で転がそうとする。
 ぬるくなったコーヒーを飲みながら、パートナーの口上に耳を傾ける。こうなった以上、彼の思い通りに事を運ぶことになるのだといい加減学んでいた。彼のことだ、任務も一緒にこなしたほうが早く終わると言うことだろう。無駄だと分かっているから抵抗はしない。

「そうそう、任務はぼくも協力するよ。さっさと終わらせて楽しいホリデーシーズンを過ごそうじゃないか」

 どうだろうか、と花京院が様子を窺うように千里を見る。そのタイミングで彼がオーダーした紅茶とサンドウィッチが運ばれてきた。軽くトーストされているのか、香ばしい匂いがほんのりと漂う。千里はレタスとベーコンとたまごのサンドウィッチを手に取り口へ運んだ。たまごはスクランブルエッグに調理されていて、ベーコンとレタスの間に挟まっていた。カリカリに焼いたベーコンの濃厚な味が口内に広がる。ゆっくりと味わってから飲み込んだ。

「典明のプランに反対する気はないが、できるならば前もって言ってほしかった」
「どうして?」
「こうなると分かっていたなら、もっと早く終わらせていたのに」
「だからあえて言わなかったんだ。なりふり構わず終わらせたせいで大怪我を負われたらたまらない」

 なるべく怪我をしないように努力すること。任務に限らず千里が出かけるときにする約束である。
 コーヒーを飲み干して、参ったなと千里は呟いた。

「きみへのクリスマスプレゼントをまだ用意していない」

 宅配で送れると分かっていればあらかじめ購入して送るのだが、今回外部との連絡を制限されていたために、プレゼントを購入しても配達を依頼できないと千里は準備を見送っていたのだ。それがこの結果である。オペレータを始め諸々の関係者を巻き込んだであろう花京院の奸計のせいで、色々台無しである。
 花京院はサンドウィッチを飲み込んでから、くつくつと喉の奥を鳴らしながら笑った。

「ならさっさと任務を終わらせて、お互いのクリスマスプレゼントを買いに行こう」

 そう言って次のサンドウィッチに手を伸ばす。それもそうかと千里は自身のサンドウィッチの一切れを花京院の皿に載せた。彼が来る前に既にサンドウィッチを半分食べている。残る半分は花京院に取られ、新しいサンドウィッチが運ばれてきているわけだが、千里の腹はそこまで減っていない。一人前以上の量を食べるつもりのない彼女による無言の主張である。
 それを理解している花京院は何も言わずに皿に載せられたサンドウィッチを手に取った。