「やっぱり、姉さんだった。クオレマ・コルマストイスタ。……とても、とても懐かしい名前だ」
その名を味わうように舌の上で転がしてジョンガリ・Aはうっそりと恍惚な笑みを浮かべた。
およそ二十年ぶりの再会である。当時の面影はあれど互いに成長し、ほとんど初対面といってもあながち間違いではない。だがそこに本来あるだろう家族の情は一切なく、穏やかとは言い難い空気が面会室に漂う。
面会室の安物の椅子に足を組んで座る千里がテーブルを挟んで向かいに腰を下ろした男を見据える。そこに感情はなく、ただただ冷たい鈍色の鉄があるだけだ。
ジョンガリ・Aも同様にその濁った双眸で圧倒的な威圧感を放つ女を見つめ続ける。害意を隠す気がまったくないらしく、ねっとりとした視線を千里に向ける。片や恋でもしているのかと見間違うほどに熱く、片や吹雪に閉ざされた真冬の夜の闇のように冷たい。看守が注意事項を説明する間も決して互いの視線が外れることはなかった。
看守が話し終えても男と女は口を開く気配を見せず、話をするならさっとしろと看守がわざとらしく咳払いをした。それを黙殺し、千里は目の前の男のみを注視する。
沈黙は時間にしておよそ一分にも満たなかっただろう。会話の始まりはジョンガリ・Aからであった。
「視力がほとんどなくても俺にはわかる。姉さんのその目、今も昔もまったく変わっちゃいない。おれの大好きな目だ」
濁った瞳が千里を捕らえ、ぐにゃりと口元が歪んだ。姉の迷いなき瞳と愚かなほど真っ直ぐな姿はあの頃と寸分変わっていない。できることならば今すぐ駆け寄って抱きしめたいほどに酷く魅力的で、勝手ができないのがもどかしい。手を伸ばせば届くほどの近い距離にいる。
自分たちは同類なのだと言わんばかりのその笑みを前にして千里は視線をそらすことも表情を変えることもなく、それどころかプラネットスマッシャーズを発現させてテーブルの上に置く。スタンド使いにしか見えないサイレンサー付きのそれは、不審な動きをすれば監獄の中だろうと看守の目の前であろうとすぐさま殺すという意思表示だ。
「腹の探り合いをする気はない――目的はなんだ」
「目的はなんだ、だって? はは、姉さんならもう分かっているはずだ」
千里は腕を組み、ジョンガリ・Aから視線を外さないまま右手を軽く上げる。それが誰かに対するの合図なのだとジョンガリ・Aはすぐに気がついた。千里を視界から決して外さないようにしながらなにか変化が起こるのかと周囲の気配を注意深く探るも特段変わったところは見つからない。
しかし必ず変化は起こっているはずだ。看守は買収しているから千里と通じているとは考えづらい。当然第三者のスタンドはいないし、窓のない部屋であるから部屋のすぐ外に誰かがいるということもないだろう。ならばとジョンガリ・Aは天井の隅に目を向けた。室内の様子を見ることができるとしたらあれしかない。監視カメラ越しに合図を出したと考えていいだろう。
しかし変化を起こしたのは第三者ではなく千里であった。軽く上げた右手で素早くテーブルに置いたプラネットスマッシャーズを掴み取り、躊躇いなく看守に向かって発砲した。ほんの一瞬の出来事である。サイレンサー付きの銃口から気の抜けた音とともに針状のそれが看守の首に突き刺さる。
鋭く走った小さな痛みに看守は顔を顰めて頸部を撫でるもそこには何も残っていない。だがあまり時間を置かずして彼はぐったりと四肢を椅子に投げ出した。即効性のある麻酔弾である。その代わり持続時間は短い。
看守が動かないことを目視で確認した千里は銃を再度テーブルに置いた。そして再び腕を組みジョンガリ・Aに視線を戻す。髪の下に隠れる左耳に収められたイヤホンから「ハッキング完了。監視カメラの異常に気付かれるまで短く見積もって五分はいけるだろう」花京院の声が千里の鼓膜を震わせた。看守に打ち込んだ麻酔の効果も約五分である。ここまでは予定通りだ。
計算されつくしたその鮮やかな一連の動作にジョンガリ・Aは笑みをさらに深くした。それがどれだけリスキーな行動か理解しているはずだろうに彼女には恐怖も不安も躊躇もなかった。彼女の中に失敗の二文字など最初から存在していなかったようだ。もしかしたら最初からリスクなど考慮していなかったのかもしれない。
ジョンガリ・Aとの対峙が大目的である以上、看守程度の妨害は恐るるに足らずというわけである。この様子ならおそらく監視カメラもハッキングして何事もない室内の光景を看守室のモニターに映し出していることだろう。先ほどの合図がそれを指示していたと推測できる。そしてそれを看守に勘付かれない間、つまり短時間でけりをつけようという魂胆であると、ジョンガリ・Aはそこまで考える。
つまりここには事実上ジョンガリ・Aと千里のみがいて、邪魔をするものはどこにもいない。看守は眠っているし、他の看守はこのような事態になっているなどつゆとも知らずのんきに見回りをしていることだろう。千里の仲間がこの様子を見ていたとしてもどうせ監視カメラ越しなのだから手出しできるはずがない。いるのはたった二人。血を分けた姉と弟だけである。
それはとても素晴らしいことだと彼は称賛と言わんばかりに軽く手を叩く。
「さすが姉さんだ。DIO様はやっぱり間違っていなかった」
「死んだ男をまだ崇拝するか――やはり危険だ。今度こそおまえを殺す」
「おれをここで殺す? この州立グリーン ・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の中で? それで無事に逃げられると?」
「別に面会後に死んでもらっても構わない」
「はは、遅効性の毒でも撃ち込む気なんだろう。確かにそれも悪くはないプランだ」
だがね。ジョンガリ・Aは続ける。今までに感じたことのない高揚感に身を包み、ひどく心地の良い雰囲気に酔いそうになりながら、また敬愛する姉の敵意に愛おしさを感じながら恍惚と言葉を紡ぐ。
「確かにおれのスタンドは単体だけじゃあ何の役にも立たない。だからといって丸腰で姉さんと会うほど馬鹿じゃあない」
丸腰であり不利な状況にいるにもかかわらず余裕の表情を崩さないジョンガリ・Aの動きをつぶさに追いかけていた千里はその一瞬を見逃さなかった。白濁し薄い青色を残すのみの瞳が千里からそれた、時間にしてわずか一秒あるかないか程度のその瞬間、男の視線は確かに千里の後ろに向けられた。そして視界の左端ぎりぎりに映った何か。義眼であったからこそ補えたその範囲に見えたものに対して彼女の中の本能が警鐘を鳴らす。
頭部を狙われていると察した時には千里はパイプ椅子ごと後ろに倒れた。同時にプラネット・スマッシャーズを発現させて標的へ向ける。敵襲かとイヤホン越しに花京院が叫ぶ。
それは人間ではなかった。人を象った人ならざるもの――それがスタンド像だと気付いた時にはすでに引き金を引いていた。
弾丸が命中したか確認する余裕はない。背中を床に叩きつける前に千里は義腕一本で体を支えて倒立し、敵スタンドの体を通り抜けながら両足を下ろして距離を取った。より威力の高いハンドガンに切り替え、敵にそれを向けながら、視界の端で監視カメラの位置を確認する。
刑務所のある島に渡された橋の手前に停められたワゴンの中で、花京院がモニター越しに面会室の様子を見ているはずだ。再度千里が合図を送れば監視カメラは正常な映像を映すようになる手筈になっている。しかし逆に言えば千里から花京院に連絡を取る術は監視カメラ越し以外にないため、音声での状況の説明は不可能だ。
今すぐ合図を送るべきかと千里は逡巡する。合図を送ればこの異常事態が看守室のモニターに映り、異変に気付いてすぐに看守が来るはずだ。カメラ越しでは花京院には敵スタンドが見えていないことを考えるとそれが最善である。密室で敵二人に囲まれた、この窮地を脱するために合図を送るべきではあるが、まだ早いと千里は判断を下す。
ジョンガリ・A以外の敵がわざわざスタンドを見せたのだから、その能力かスタンド使いの正体をできれば掴みたい。花京院の目に千里とジョンガリ・Aの二人しか見えていない以上、千里が正確な情報をなるべく多く持ち帰らねばならない。
ぬるりとスタンド像が振り返った。見たことのないスタンドが千里を頭からつま先までねっとりと眺める。
「ソノ女ガ、母胎ナノダナ?」
「ああそうだ。餌となった他の女どもとは違う。DIO様に認められた、神に認められた唯一のひとだ……だってそうだろう? DIO様はいつだって姉さんを気にかけていた。DIO様が再びこの世に生まれてくるために、これ以上ふさわしい女が他にいるものか! 姉さんこそが生神女なのだ!」
恍惚を隠すことなく叫ぶジョンガリ・Aとスタンド像を睨みつけながら、千里はじりじりと移動し慎重に敵から距離を取る。密室の中であるためにそこまで離れることはできないが、壁を背にして背後を取られないようにして一人と一体の頭部にそれぞれ狙いをつけた。銃を持たない丸腰のジョンガリ・Aはただの元軍人である。それより未だ能力のわからない敵スタンドの方を警戒すべきだと彼女は判断した。
「何を企んでいる」
一人と一体を睨みつけ、千里は口を開く。ジョンガリ・Aの口から放たれる単語の端々からいい予感はまったくしなかった。そもそもDIOの名前が出てくる時点で千里にとって非常に不愉快な話である。そして自身がDIOに認められたのだと声高に何度も言われて穏やかでいられるはずがない。そこに母胎だの生神女だの穏やかでない単語が聞こえてくれば、予想は悪い方へと傾いていく。スタンド能力という意味のわからないものがある以上、ありえないことはありえない。それが千里の持論である。
「おれたちの目的はたった二つ」
命を握られているにもかかわらず、余裕の態度を崩さずにジョンガリ・Aは右手の人差し指をゆっくりと立てた。
「一つ、空条承太郎を殺すこと」
二つ。親指が立てられる。
「DIO様の復活。おれたちにはそれを可能にする手段がある」
にんまりとジョンガリ・Aが唇を歪めた。スタンド像がずるりと千里に詰め寄った。千里の耳元で花京院が何事かを言っている。敵の腕が千里に伸びる。ジョンガリ・Aの姿がスタンドの陰に隠れる。千里の指先が動いた。