詩と戦いと死の神

 何故だ、どうしてだ。

 その叫びに応える者はおろか、振り返る者すらいなかった。せめてもの情けと返された騎士の誇りはその刀身の大半を失い、無様にも地面に転がっていた。しかし折れていようがなかろうが騎士の誇りなど今の彼にどれほどの意味を持つのだろうか。
 ――その日、ガルハールは奴隷の身分に落とされた。

 誰も彼を救わなかった。誰もが彼を裏切った。身に覚えのない罪を糾弾され、弁明する間すら与えられずにガルハールは騎士王の前へとそのみすぼらしい姿をさらけ出す。
 両手に粗末な木製の枷をはめ、鎖に繋がれ同胞に引きずられるようにして現れたガルハールが乱暴に床に投げ出される。いつもならば綺麗に整えられているだろう髪も衣類もひどく乱れ、王の御前に出るにはあまりにもふさわしくない姿をさらす彼を目にして、かの王は憐憫の視線を向けた。背後に控えるランスロットの気配が鋭くなる。

「ガルハール卿。あなたが何を思い、何を考え叛逆を企んだかは分からない。だが、私はそれを咎めようとは思わない。あなたが無意味にそのようなことをするはずがないからだ。愚かな私を諭す気だったのだろう……しかし許すわけにはいかないのだ。叛逆を許してしまえば、この不安定な情勢を揺るがすことになりかねない。――分かってくれ」
「王よ! あなたまでもが私を疑うか! 私がいつあなたに叛逆の意思を示したというのだ! あの日、剣を捧げ、命を預け、永遠の忠誠を誓った私がいつあなたに!!」

 ここに来るまでにどれだけ訴え続けたのだろうか。喉が潰れて声がかすれ、満足に叫ぶこともできないその痛ましい姿にアルトリアは目を背ける。他の騎士達に負けず劣らずの忠誠心を示す彼が謀反を起こすなど。心当たりがまるでない。王が道を外しかければ周りに何を言われようとも誠意を持って諫言する忠臣がなぜ。

 本当は許したかった。そうして彼の本心を聞きたかった。しかし周囲はそれを許さない。彼らは罪を見逃さない。何がガルハールの心を変えたのか分からなくとも確固たる証拠を見せられてしまった以上、王も認めざるを得ない。しかも彼と同じ円卓の騎士達から見せつけられてしまったのだから疑えるはずがなかった。だからと言ってガルハールを疑うこともできなかった。

「見苦しいですよガルハール卿。それ以上はあなた自身をさらに貶めることになる」
「黙れ、ガウェイン卿! 私が何をしたというのだ! 答えろ、貴様らは何の恨みがあって私を陥れる!」

 己の背を押さえつける男にガルハールは吼える。暴れるたびに彼を拘束する鎖が耳障りな音を立て、容赦無くガウェインが彼を床へと押さえつけた。ここまでガルハールを引きずってきたときと同様にその行為には憎悪しかなかった。頭をしたたかに床へ打ち付けガルハールは呻く。
 それ以上は見ていられなかった。アルトリアはそっと唇を噛み締め、視線をガルハールからガウェインへと向けた。無理矢理に喉奥から絞り立つようにして告げる。

「……連れて行ってくれ」

 未だ喚き続けるガルハールをガウェインが玉座の間より連れ出すのを最後まで見届けることができず、騎士王はそっと目を伏せる。やはり彼が叛逆を企てるとは到底思えなかった。

 ガルハールの父はアルトリアの父であるユーサー・ペンドラゴンに仕えていたため、ガルハールが同じ道を辿ることはひどく自然なことであった。
騎士見習いとしてユーサーに仕えた過去を持ち、あの運命の日、選定の剣を引き抜いた時にアルトリアと出会い、その後「あなたが真なる王となった時、真っ先に馳せ参じましょう」と彼女の旅には加わらず忠臣となることを宣言し、己を鍛え上げることを選んだ男。
 義兄であるケイと大魔術師マーリンを除いて一番最初にアーサー王に忠誠を誓った騎士。それがガルハールであった。父親の代から数えれば付き合いも長い。

「王よ、あなたの判断に間違いはありません。あなたが自身の判断に苦しむというのならば、我々がそれを背負いましょう。彼を止められなかったことは我々の罪でもあるのですから」

 ランスロットが王を慰める。円卓の席次からガルハールの名を消すという重く辛い役目を担うのは王であり、誇り高く高潔な騎士を只人以下に落とせるのは王以外にいなかった。付き合いの長い臣下を切り捨てることは国ではなく人を愛した彼女にとって、それは身を切るよりも辛い痛みである。
 騎士王は振り返り、そばに控える忠臣を見上げた。彼はガルハールと親友だと聞いていたことを思い出したのである。キャメロットの双璧として名を馳せ、それに恥じぬよう切磋琢磨に技を磨き合う仲だと。彼の息子とガルハールの妹は婚約していたはずだ。何度か会ったことのある、兄をとても敬愛するあの儚い娘がガルハールのことを聞いてしまったら。想像できるはずがない。

「ランスロット卿。彼はあなたの親友だと聞いている」
「――ええ。あの男とは親友でした」

 ひどく凍てついた声だった。その紫眼も同様に冷え切っており、すでに消えた男の背中を見てはいなかった。

 左右を兵に固められ、ガルハールは城の裏門へと引きずり出された。己を見下ろす男に表情はなかったが、瞳の奥には憎しみの炎を燃やしている。彼に限らず円卓の騎士達は皆一様に同じ感情をガルハールに向けることだろう。現に裏門に着くまでにすれ違った円卓の騎士達は彼に対して軽蔑しきった視線を向け、侮蔑の言葉を投げつけた。戸惑いを見せるのは兵や使用人や奴隷達ばかりである。

「本来ならば処刑すべきところだが王は寛大な措置を望まれた。命まで奪わない情け深い王に感謝せよ」

 剣を折られ、鎧を剥ぎ取られ、大地に跪いた男にガウェインは告げる。そこに一切の感情はなく、同胞であったことも忘れたかのような冷酷な声を男の頭上に浴びせる。

「これより卿はただの奴隷だ。安易に死ぬことは許されず、しかし死より辛い目に遭うだろう。だがそれが卿への罰だ」

 本当ならば今すぐにでも殺したいところだが。口にせずともガウェインの纏う空気が饒舌に語る。

 強く奥歯を噛み締め、ガルハールは同胞だった男を睨み付ける。
 叛逆など、まるで身に覚えのない罪だ。企みの会合の最中を取り押さえたのだと彼らは言うが、そんなものをガルハールは行っていない。トリスタンが兵を率いて押し入ってきたのはガルハールの屋敷ではあったが、そのとき彼は自身の妹と妹の夫となる男と談笑をしていただけだった。当然そこに企みのたの字も存在していない。婚儀をいつにするか、嫁入り道具はどうしようか、そんな他愛のない会話ばかりだった。王をいつ殺すかなど口に出す以前に考えてすらいないというのに。

 同胞に恨まれる心当たりはなく、謀反を企んだ覚えもない。心の底から二心なく忠誠を誓ったあの日よりガルハールはただ一心に王に仕えてきた。しかし、なぜだ。なんなのだ、この仕打ちは!
 何もかもがでたらめだ。誤解であると声を上げる間も与えられなかった。身に覚えのない罪により処罰を受ける理不尽さ。誰もが口を揃えて大罪人だと彼を弾劾し、死よりも苦しい生を罰として与えようとしている。なぜこのような仕打ちを受けなければならないのか。

 男の双眸に黒い炎が宿る。深い色彩を持つ琥珀色の瞳に昏く濃い陰を落とす。潰れた喉から地を這うような声を絞り出し、呪詛をガウェインに吐きつけた。その視線から逃れることなく、まっすぐ睨め返したガウェインは左右に命じて彼に麻袋を被せる。視界が閉ざされるその瞬間まで沼底よりも昏い瞳が彼を睨みつけていた。