chapter1-1
ミルクと砂糖の配分ほど難しいことはないとナマエは思うのである。
砂糖を入れすぎてもミルクを入れすぎてもおいしくないコーヒーは一口めからうんざりするものだ。だからといって少なくしてみたり比率を変えてみたりしたところで彼女が好む程よく甘く程よく苦いコーヒーに近付くことができない。
そのためにナマエはいつもコーヒーはブラックと決めている。豆の種類やロースト加減によって味は変われど、基本的に苦いことには変わりない。甘すぎてげんなりすることもない。だからナマエはコーヒーを飲むときはミルクも砂糖も入れなかった。チームメイトにどれだけ馬鹿にされようが、彼女がその信条を曲げたことはない。
ナマエは運び屋チームに所属している。イタリアンマフィア・パッショーネの1チームだ。運搬専門チームは煙草の吸い殻一つから巨大なアフリカゾウだって、運べと言われれば何でも運ぶ。明らかにヤバいと思われる品物だろうが、それを運ぶのがチームの仕事だ。運べないものなど何もない。それがナマエの所属する運び屋チームであった。
ダブルやトリプルのエスプレッソを頼む奴は欲求不満であると思いながらナマエは丁寧に梱包された小さな額縁二つをバイクに載せて通い慣れた道を走る。横道一本入った先にある小綺麗なアパルタメントに行くのはこれで十回を超えていることだろう。同時に十日以上通っていることにもなる。
住人は男だ。ルームシェアをしているのか、二、三人ほど違う男を見ている。荷物も初日は小さな額縁一つだったのが日が経つにつれて次第に大きくなったり二つになったり三つになったりしていた。昨日は大きな額縁一つだったが、今日は二つだった。この間はバイクに載せることができず、リーダーの金でトラックを借りた。リーダーはクズを絵に描いたような男であるから、ちょっとばかり財布を拝借したところで罪にはならないだろう。
荷物の中身をナマエは知らない。チームのメンバーが毎日のようにどこからか運んできて、ナマエがそれを受け取り届け先に運ぶのである。配送がナマエだけなのは他のメンバーの顔が割れないよう配慮しているためであり、運ぶものは大抵組織に関するものであるから、それが任務なのだと言われずとも彼女は理解していた。
中身が盗んできた絵だろうが、人間の輪切りをはめ込んだものであろうが、詮索せずに黙って運ぶのである。ただ今回の荷物は臭くない。その一点だけがナマエの気分を降下させないでいた。なんであろうと臭いものはたまらない。
小さな額縁を抱えて昇り慣れた階段を昇り、見慣れたドアの前で押し慣れたベルを押す。「お届けものでーす」これを言うのも何度目か。ドアを半分ほど開いて顔を出した男も見慣れたものだ。組織の人間かは知らないが少なくとも堅気ではないだろう。
うんざりするような目でナマエをじろりと一瞥し、玄関に置けと指示をする。これももう何度目のやり取りか。すでに勝手を知っているナマエはドアの隙間から額縁を中へと入れる。そしてジャケットから伝票を引っ張り出して男に突き出す。
「ほんと、ここ毎日ですねぇ。こんなに絵画を集めて展覧会でも開くんですか?」
「無駄口は寿命を短くする呪文だ、シニョリーナ」
ナマエのことを本当にただの運送屋だと思っているらしい男はナマエの手から伝票を奪い取り、胸ポケットにさしているボールペンで素早くサインをしてナマエに突き返す。それを受け取り、営業スマイルを浮かべて「まいどありがとうございまーす」気の抜けた挨拶をする。男はうんざりとしたまま「……おう」呟いてドアを閉めた。
しかし明日もまた男と顔を付き合わせることになるだろうとナマエは予想している。簡単な理由だ。二度あることは三度あり、三度も続けばきりがない。額縁の正体がなにかナマエは知らないが、臭くなければそれでいい。特にさっきの男は香水の使い方がとてもうまい。陽気に鼻歌を歌いながらアパルタメントの階段を降りる。