「二宮さん、お疲れ様です」
「二宮くん、お邪魔してます」
二宮が作戦室に入ると、オペレータールームから二人の女性が顔を出して彼を出迎えた。二宮隊オペレーターの氷見と本部エンジニアの齋藤である。
齋藤の顔を見てなぜ彼女が、と二宮は一瞬考えたが、すぐにそういえば今日は作戦室のシステム点検日だったかと思い出す。何ヶ月かに一度あるイベントである。氷見はその立ち会いのはずだ。
点検はオペレータールームをメインに作戦室のシステムを対象に行われる。基本的には不具合がないかの点検だけだが、あらかじめ要望を出しておけばそれに合わせてエンジニアが点検と共にシステムチューニングをしてくれる。その場で要望を伝えても対応し、必要となれば電球交換からしてくれるらしい。噂によると太刀川隊の作戦室のメンテナンス時は大掃除も行われているのだとか。つまるところシステム点検と銘打ちながら、それなりになんでも対応してくれるのである。
定期点検といえども作戦室に隊員以外が立ち入るということで誰かしらの立ち会いは必須であり、都合がつく限りオペレーターが立ち会うことが慣習となっていた。またオペレーターは大半が女性あるため、それを考慮してか点検に訪れるエンジニアも大体女性である。
そしてそのエンジニアはほぼ齋藤だった。ただでさえ女性のエンジニアが少ない中で彼女が選ばれるのは一番正隊員達と年が近いからだろう。と言っても二宮とは一つしか変わらないが。
いつも同じ者がメンテナンスに来るおかげか、最初は氷見も人見知りを発動していたが、いつの間にか鳴りを沈めていた。今ではよく懐いている数少ない大人である。
「氷見、他の奴らはどうした」
「犬飼先輩は個人ランク戦、鳩原先輩はスナイパー合同訓練、辻󠄀くんは齋藤さんが来ると聞いて退避中です」
「そうか」
「そういえば齋藤さんがお菓子を持ってきてくれましたよ。冷蔵庫に入っています」
「氷見さん、お話中悪いけどアップデート終わったから動作確認してもらっていいかな?」
「はーい」
処理速度がどうのこうのと話す女二人の会話を小耳に挟みながら二宮は冷蔵庫を開けた。
棚のど真ん中を占拠しているケーキ箱はは駅近くの市内では有名な洋菓子店のものだ。ドアポケットに入っている瓶のジンジャーエールは二宮の好みのメーカーである。隊員数ではなくたった二本なのは二宮隊でこれを飲むのが二宮と犬飼だけと知っているためだろう。他の作戦室を訪れる時は分からないが、齋藤が二宮隊の作戦室へメンテナンス業務に来る時は必ず手土産を持ってくる。
作戦室に栓抜きはあっただろうかと二宮は一瞬考えたが、そういえば以前齋藤が初めて瓶のジンジャーエールを持って来た時に一緒に栓抜きも買ってきていたことを思い出す。給湯ブースの引き出しを開ければすぐに見つかった。記憶の中のそれ通り、何の捻りもないありきたりなデザインでステンレス製の栓抜きだった。
慣れた手つきで二宮は瓶の蓋を開ける。プシュッと小気味好い音がし、微かに生姜の香りが漂った。わずかばかり考えてから、二宮はコップに注がず瓶のままジンジャーエールを飲むことにした。ジンジャーエールはしっかりと冷えており、強い炭酸と生姜の辛味が乾いた喉を刺激する。
最初に齋藤がこれを持ってきた時は隊員数分あったが、初めて飲んだ辻󠄀と氷見はこの刺激が苦手だと言っていた。鳩原は飲めなくはないがすごい辛さだと言っていたから得意な方ではないだろう。一方で犬飼は刺激が面白いと飲んでいた。
各々の感想を犬飼が齋藤へ伝えたらしい。次からはひどく恐縮した様子でジンジャーエールを持ってきていた。本数も五本から二本へ減っていた。しかし告げ口した張本人である犬飼はそれ以降手をつけることがなかったため、二本とも二宮が消費するようになっていた。おそらく齋藤は気付いていない。
「計測上だと正常に動いてるけど、どうかな。気になるところある?」
「いえ、大丈夫そうです。ありがとうございます」
飲みかけ瓶を片手に二宮はオペレータールームを覗き込む。氷見はデスクに向かいパソコンを操作していた。それを隣から齋藤がタブレット片手にそれを見ている。壁際には齋藤のものだろうオレンジ色のバックパックとエンジニア達の制服でもある作業着のジャケットが置いてあった。
デスクの端には彼女が持ち込んだノートパソコンが動いており、二宮にも分からない箱のような機器と繋がっていた。それを経由して青いコードと黄色いコードがデスクの下へと延びている。オペレーター用のパソコンと繋がっているのだろう。ノートパソコンの画面には何かしらの数字やグラフの線がひっきりなしに動いていた。
齋藤は氷見と会話を続けながら手元のタブレットをスクロールする。ToDoリストにチェックを入れていき、点検項目をすべてクリアしたか確認してから「よし」と小さく呟いた。
「点検もアップデートも終わったし、システムはオールグリーンで問題なし。これで今日の作業は終わりだよ。ほかに要望ある?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「いえいえ、これが私のお仕事ですから。何かあったらいつでも呼んで。――二宮くんも何かある? トリガーの点検でも、チューニングでも何でもいいよ」
不意に齋藤が振り返る。彼女につられて氷見の視線も己の隊長に向けられた。壁に寄りかかり彼女達の様子を見ていた二宮に二人分の瞳が集まり、彼は口に寄せていたジンジャーエールの瓶を下ろす。鼻腔の奥で炭酸が弾ける匂いがした。
定期点検が入るにあたって要望はあらかじめ氷見に共有していたため、改めて伝えることはない。それに二宮は齋藤本人に対して一定の信頼を置いているゆえ、不手際はないだろうと思っている。その手腕についてはボーダー内でもそれなりに評価を得ているのだからそもそも疑う必要すらないだろう。
「いえ、大丈夫です。必要な時に頼みます」
「了解です。連絡くれればいつでも見るからね。氷見さん、点検完了のサインお願いします」
以上をもって定期点検とオペレーターの要望に合わせたシステムチューニングはすべて完了。最後に氷見のサインをもらって終了だ。
齋藤がタブレットを氷見に差し出した。いつも同じやり取りであるから、彼女も慣れた手つきでタッチペンでサインをする。そして最後に齋藤が完了ボタンを押して終了である。
「定期点検にご協力いただきありがとうございました。すぐに片付けるからね」
「今日の点検作業はうちで最後って言っていましたよね。お茶入れるので休憩していきませんか?」
「いいの? じゃあお言葉に甘えようかな」
破顔した齋藤に氷見は小さく笑い、オペレータールームを出ていく。その際に二宮にお茶はいるかと尋ねるも、彼は不要だと断った。ジンジャーエールはまだ残っている。
一方齋藤はノートパソコンと繋いていたコードを抜くためだろう、デスクの下に潜り込んだ。べったりと床に座り込み、腰から上は完全に隠れてしまっている。スマートホンのライト機能を使って照らしているのか、わずかに光が漏れていた。
このような作業があるからだろうか、齋藤は他の女性スタッフ達とは違っていつも私服を使い回しているらしいラフなパンツスタイルであり、靴もヒールのないものを履いていた。
「齋藤さん、毎回手土産をありがとうございます」
「どういたしまして。中身はエクレアだからみんなで食べて」
ケーキ箱であったから生菓子だろうとは見当をつけてはいたが、エクレアだったらしい。甘いものが好きな辻󠄀が喜ぶだろうと二宮は思った。彼は異性が苦手であるが、きちんと礼を言わせるべきだろうとも考える。
犬飼や鳩原は勝手に礼を言いに行くだろうが、辻󠄀は促さないと行けないだろう。真面目であるから促せば行くだろうが。一人行かせるのは酷であるから犬飼を付き添いにつければいいと結論付ける。気にしなくていいのにと齋藤は笑うだろうが。
ぽつぽつと二宮と取り留めのない話しながら机の下から出てきた齋藤は器用にコードをまとめてタブレットとともにリュックにしまう。それから立ったままノートパソコンを操作してさっとメールチェックをすませる。一瞬嫌そうな顔をしたのはおそらくあまり好ましくないメールが来ていたのだろう。だがすぐに表情はいつものそれへと戻り、速いスピードでキーボードを叩いていた。
そう間を置かずに氷見がオペレータールームへ顔を出した。お茶が入りましたよ、と二人に告げる。ありがとうと齋藤は返事をし、打ちかけのメールをそのままにノートパソコンを閉じた。小脇に抱え、足元のバックパックとジャケットを手に取る。
二宮の脳裏にふと些細な疑問が浮かび、深く考えないまま口に出した。
「明日はどこの隊の点検ですか」
「明日は太刀川隊だけなんだけど、太刀川隊なんだよねえ……」
「大掃除ですか」
「大掃除ですね」
苦笑を漏らす齋藤を見ながら二宮はジンジャーエールを飲み干した。ジンジャーエールはわずかにぬるくなっていた。