松永の忍び

自分の存在など取るに足らない、ちっぽけなものだと自覚している。だから、かの偉大な方からの命令ならばどんなことであろうと光栄なとこであり、辛いはずがないのだ、と武器を持つその時に暗示の如く呟く。これは、自分にとっての儀式であり、呪いであり、祈りであった。

自分の主は今、奥州の竜にご執心のようだ。実際にこの目で見たことはないが、独眼竜は大胆不敵で人を惹きつける男と聞く。彼の方は、暗闇の中を好むようでいて、その実、鮮烈な光に惹かれやすい。
この時期の奥州は、痛いほど寒い。そう思うのは、この寒さに慣れない旅人ばかりなのか城下街の商人達は溌剌とし、活気がある。独眼竜は、戦時の勢いだけでなく政も伊達ではないようだ。と考えていた矢先、目の前に品のない笑い方の男がやって来た。
「よう、姉ちゃん。あんた旅のもんだろぅ、いい茶屋教えてやろうかぃ。」
こういった輩は何処にでもいるものだ。
「いえ、これから友人に会う約束があるのです。」
ご親切にどうもと言って一歩下がったのだが少し遅かったようで、諦めの悪い男は自分の腕を掴んできた。お辞め下さい、離して下さい、と言いながら、さてどうしたものかと思案する。下手に上手い事、この男から逃れれば目立ってしまうかもしれない。

だいたい、私は戦忍びであって、こういった偵察は不得手なのだ。人から話術やら何やらで情報を得るなど、全うな忍びがする事で間違っても自分のような紛い物がする事じゃないではないか、それを分かっていて久秀様も自分などに命令するのだから云々、などとグダグダ愚痴を垂れる。無論心の中でだが。

頭の中で色々と考えているうちにも、ぐいぐいと引っ張られ、人気の無いところに着いた。おや、これは好都合だぞ、と思い男の手を払おうと人差し指をぴくりと動かした、その時、「おい、」と。やたらにドスの効いた声が響いた。


ALICE+