元松永の忍び

目の前にはぐつぐつと煮え滾る鍋、そして、にこにこ笑顔でそれを見つめる少年。
この汚れのない笑顔を浮かべる少年こそが、今は無き我が故郷の小国を含めた備前の国長、烏城の城主小早川秀秋、その人であるなんて。驚きより戸惑いが勝る。
いくら織田軍を押し退けこの地を征略した豊臣と縁ある者とはいえ、まだ子供ではないか。とても城主を務めているようには見えない。

「ねえ小百合さん、食べないの? 鍋ってとっても美味しいんだよお。」
「あ、はは。ええ。いただきます。」

何故このような奇異な事態になっているのか、答えは簡単。
この方の前に私が降ってきた。らしい。
目の前に降ってきた意識不明、身元不明の人に心底驚いたが、放っておく、ということはできなかったこのお優しい方は、私を自身の城に連れてきた。そして、目覚めた私にはとりあえず鍋、ということで目の前に鍋を出されている次第。以上。

「…! この鍋、今まで食べてきた鍋の中で一番美味しい……。」
「えへへ〜そう褒められると照れるなぁ。」
「なんと、貴方がお作りに……?」
「うん、そうだよぉ。」

僕は日の本一の鍋武将目指してるんだあ。小早川殿は照れ臭そうにして鍋の具材をまぐまぐと食べる。日の本一の、武将…だと?
出された鍋を完食し、茶を一服する。

全く、自分が恥ずかしい。小早川殿はこんなにも立派なお方だったというのに。
子供だからと舐めていた。いや、それ以前に不満を感じていたのだ、命を助けていただいたというのに。
小早川殿が治める領土に、私の故郷が含まれている。確かに織田の者に治められるよりは断然ましというものだが、こんな子供が城主様のお国を、と思うと複雑な気持ちになったのだ。しかし。
城主様にも引けをとらぬ優しさ、高みを目指すその姿勢。
この小早川秀秋殿は、城主の身でありながら見ず知らずの私を助けただけでなく、手ずから料理まで振舞って下さった。それだけでなく、日の本一の武将を目指しているなんて。鍋の武将と言っていたが、謙遜だろう。
まだ若いというのに、なんて立派な。

私の故郷、城主様の国、そしてこの方。
決めた。

「決めました、小早川殿、いや、秀秋様。」
「んん? 何を?」
「貴方にお仕えしたい。私を此処に置いてくれませんか。」
「え、」

えええええ、と烏城にその城主の叫び声が響き渡った。

そういうことになった。




目の前にそびえる城を見上げる。此処に来るのは随分と久しぶりだ。ここの寒さは変わらない。秀秋様の鍋が恋しくなるな、と思う私はあの頃と変わった、いや、戻ったと言うべきか。

「しかし、何と言って尋ねれば良いのか…。」

まさか、お久しぶりです野菜を貰いに来ました、とは言えまい。

帝、足利が起こしたこの乱世。
秀秋様は相変わらず鍋武将をしている。仕え始めた頃は、本当に鍋に力を注いでいるとは思わず困惑したが、今では秀秋様はそれでいいのだと、思い始めてもいる。頼りになるのかと言われれば答えに窮するが、優しいお人だ。何より、自分らしく生きている様を見るのは良い。
それに、最近新たに秀秋様を支えてくれる方が増えたのだ。天海という立派な僧侶様だ。彼が居てくれれば烏城を離れても安心できるというもの。
そこで漸く、予てより秀秋様が切望していた美食家の間では伝説らしいあの人の野菜を頂きに使者として来たのだ。これがなかなかに難題だ。胸の高鳴りを感じるのだ。無論、悪い意味の。
城の門の前にて、一呼吸。

「片倉小十郎殿はいらっしゃるか、」

私、小早川秀秋が家臣、小百合と申す。


ALICE+