伝説が追いかける

失踪した天海殿を探すべく走りながらも、私は天海殿についてアレコレ考えていた。考えずにはいられなかった。

大友軍が烏城に来たあの日。
あの日に見た天海殿の目が脳裏にちらつく。あの時から、私の中で彼に対する、言いようもない不安が生まれ始めた。そして、その不安がかつて一度だけ対峙した、憎んで然るべきあの死神と結びつくのは、ほぼ同時であった。
なんて失礼なのだろう、と自分でも思ったし恥もした。だが、既に不安と疑心は自身に根付いてしまったようだ。
天海殿を善良と信じて疑わなかった私であるが、ひと度その心が揺らぐと、それを止める術を持ち合わせていなかった。
その為もあって、消えた彼の捜索に意欲的に成れない自分が居たことは確かである。だが、それと同時に、寂しげだった秀秋様の様子を思うと、私が何とかしなければならない、という気持ちも湧き上がってくる。
その思いを邪魔するかのように、あの無機質で狂気的な目が私を睨むのだが、それは私の生み出した幻想だろうと誤魔化した。誤魔化さねばならないほどに、彼と死神の目は、合致していた。

そこまで考えて、咄嗟に頭を振った。考えて分からないことで頭を悩ませ、動きが鈍くなるくらいなら、考えない方がマシだ。
全くもって心配事は尽きないが、走る足を止めることは出来ない。
無理やり思考を中断させ、地を蹴る足に力を込めた。まだ安土には程遠い。今は、京の手前か中程、と言ったところか。最短距離を行くために、京と言っても此処は鬱蒼とした森の中だが。
それにしても、この森は嫌に暗い。

一度長めに目を瞑り、深く息を吸えば、頭の中が少し静かになった。
多少冷静な頭になったと心を落ち着かせた時、ふと妙な違和感を覚えた。
先程から、心なしか風が強いのだ。しかしその割には風の音がしない。体に感じる風の圧力と耳に入る風音に、妙なズレが生じている。
この感覚、知っている。

「私に、何か用ですか、……風魔殿。」

知らないふりをしても良かったが、跡を付けられていると分かると動きづらい。いまいち殺気を感じないため、暗殺目的では無い……と願いたい。私でも分かるような追跡、ということは恐らく態となのだろう。
一つ息をついて私は後ろを振り返った。

しん、と相変わらず静まりかえった暗い森。
数秒待ってみても、振り返った先からは誰も出てこない。思わずム、と顔を歪めた。
もしかして、私の勘違いだったのだろうか。確かに彼が居たような気がしたのだが、気配を読むのが下手になったか。
羽一つ舞っていない風景を見ながら気恥ずかしい思いで前を向いた。

「ひっ、……!」
「…………。」

風魔殿が居た。中々の至近距離である。
すごく、見下ろされていた。
変な声が出かけた口を咄嗟に押さえて半ば転けそうになりながら後退する。心臓が止まりそうだった。成る程、こうして寿命は縮んでいくのか。
素っ頓狂な事を考えながら、私を驚かせた無表情の張本人をじとりと睨んだ。

「わ、私に、何か用ですか、風魔殿。」
「…………。」

恥ずかしい。動揺から声が震えてしまった。いや、こんなの誰だって驚くだろう。私が特別怖がりな訳では無い。この森、薄暗くて湿っぽくて何か出そうな感じなのだ。精神が少し乱れてもおかしくない。仕方ない。
一人で言い訳を焦って並べている間も、目の前の彼は、首の一つも動かさない。昔のように、書状による伝達も無いようだ。かと言って、攻撃してくる様子もない。

怪談に出て来る幽霊のように登場した上に、そこから少しも動かない風魔殿には文句の一つも言いたいが、彼が私の言葉に対して何らかの反応を返してくれないであろう事は、容易に想像できる。無駄に話を広げて墓穴を掘るのは御免なので、ここは口には出さず、根に持つだけに留めておこう。

「…………。」

風魔殿は動かない。視界の端で木の葉が舞い落ちるのが見えた。カサリ、と僅かな音も明瞭に聞こえるくらいには、静かだ。
目の前の忍びにとっては何時もの、私にとっては重い沈黙が続いている。
昔も何も話さない人だったが、もう少しどうにかなっていた、気がする。そう言えば、何となく、ごく僅かに、雰囲気が変わっただろうか……? ーーいけない、今は風魔殿よりも天海殿だ。秀秋様よりも先に彼を見つけないといけないのに。自分のことで手一杯な私には、忍びの何たるかを教えてくれた人のことであっても必要以上に気にかける余裕はない。
それにしても、此のまま二人共黙んまりでは埒があかない。彼との意思疎通を図るには些かばかり離れている。勢い余って取りすぎた距離を、少し縮めようと足を踏み出した。
その瞬間である。

「え、うわっ……!」

突然の手裏剣攻撃。距離を縮めようとした瞬間、風魔殿は手裏剣をうってきた。それも一つではなく五つ同時に、である。
咄嗟に避けて事なきを得たが、顔の横を通り抜けていった手裏剣は、私の後ろに立っていた木に全て深々と刺さっている。もしもアレらが当たっていたら、というのを思わず想像してしまった。
己の顔から血の気が引いていくのを実感しながら風魔殿をゆっくり見遣る。
応戦すべきかと思い、刀を抜こうとして、やめた。

木々がそびえ立つこの空間において、刀で応えるのは此方が不利だ。かといって、この場での戦いに向いている苦無を構えたとしても、私に忍びの戦い方を教えた彼自身に、勝てるとは思えない。

「私をこの先には行かせない、と?」
「…………。」

重々しく尋ねると、風魔殿は背に背負っている忍刀を一本だけ抜いた。唐突な動きに一瞬、攻撃してくるかと身構えたがどうやら違うらしい。彼は何かを示すかのように、刀を真っ直ぐ向けた。
何となくだが、彼の意図が分かってきた。

「そちら行けと、そういう訳ですか。」
「……。」
「あの人の、命令ですか? だとしても、私がそれに従う義務は無い。」
「……。」
「……しかし、今この状況では従うより他に、ないのでしょうね。」

湿っぽい地面に目を落とし、彼の指さす方へ足を一歩進めた。風魔殿は私の抵抗が無いことを悟ったのか、刀を背に収めた。
それを確認した刹那、私はバッ、としゃがんで地面に手をついた。
地面は、やはり直ぐに凍った。

「すみませんが、行かせてもらいます。」

彼が刀で指した方向とは、真逆へ走った。
相手が風魔殿では、直ぐにあの氷から脱することだろう。その場しのぎの愚策だが、あの場から去るためのスキを作ることさえ出来れば、それで良い。速さならば勝る自信がある。
それでも彼が追いかけてくるのなら、少しでも早く森から抜け出し、ひらけた場所で正面から迎え撃つ。忍びの戦い方では私に勝つ見込みは無いが、刀でなら話は別だ。

案の定、追いかけてくる後ろからの気配を感じた。距離はそこそこ開いているが、彼が手裏剣か何かを絶え間無く投げてくるせいで、凄まじく恐ろしい。ーー武器を確認する余裕が無いため、彼が何を投げているのかは定かでない。
背後からの猛攻を何とか凌いでいると、ぼんやりと森の終わりが見えてきた。森独特の空気が薄まってきて、ほんの僅かに安堵の息を吐いてしまった。




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