僧侶の不在

忍びというものは、間違いなく従者ではあるのだろうが家臣とは一線を画す存在なのだろうか。それとも家臣同様に主に側近くで付き従ってもよい存在なのだろうか。わたしは前者だと思っていた。

安土城、魔王織田信長の居城。
久秀様は魔王の茶会の席に招かれたらしい。その道中の護衛という名目で私も付いて行くことになった。しかし、あの久秀様に護衛など必要無いと思う。多分実際はあの方の暇潰し相手として連れていかれるのだ。

魔王の住まう土地など、本当は近づくのも嫌だ。供として連れて行くなら、最近拾われたばかりの私などよりも譜代の家臣衆の誰かに任せれば良いのに。信じ難いことだが、久秀様は家臣の方々に崇拝されているのだから。

そんな文句を主に言えるはずもなく、唯ひたすらに周囲を適度に警戒しながら歩く。しかしながら、久秀様に自分から絡みに来るような愚か者など居るのだろうか。
馬に乗る久秀様を見上げると目が合った。僅かに肩が跳ねたが、気づかれただろうか。
この人の何でも見透かすような眼差しが私に向いていると思うと、私は途端に息がし難くなってしまうのだ。

「小百合、もう安土の城も目前だが、どうかね?」
「は、どう、とは?」
「かつての主の仇、憎くはないか?」
「……。」

城主様の仇、か。
正確には、城主様の仇は魔王では無く、その部下なのだが。織田の死神の名を私は知っている。いや、だが魔王が城主様を、私のあの暖かい場所を壊したのは事実だ。
考えたことが無いではないが、しかしそれでも、なるべく考えないようにしていたのに。
私は久秀様をずっと図りかねている。自分の思考は悟らせない癖に、人の気持ちはいとも簡単に弄ぶ。
久秀様に語りかけられるたびに、私の心は疑心に満ちていく。

「今の、私の主は、貴方です。それなのに敵討ちを志すのは、不敬に当たるかと。」
「ふ、そうかね。……いや残念だ。君が望むのならば、謀反の一つも惜しまなかったのだが。」
「……お戯れを。」

苦し紛れにそう答えると、久秀様は静かに笑った。馬の上から見下ろされているのも相まって、嘲られているように聞こえた。いつもそうだ、誰に対してか分からない後ろめたさが私の後ろをついて回る。
誰に対しての不敬なのかは、考えるまでもないのだから。
久秀様は僅かに私に向いていた顔を前に戻した。会話はこれで打ち止めらしい。

「!」

鋭い殺気と共に何者かが木の陰から飛び出して来た。得物は大鎌、狙う先は久秀様の首。咄嗟に前に躍り出て、刀で受け止める。
この男、細い割に力が強い。いや、持ち手の長い鎌の強みか。
だが何だ、この者の異様な気配は。互いの得物越しに目が合った。愉快げに歪む男の瞳には、おぞましい程の殺意に満ちていた。額に汗が滲む。
嫌な目をする男だ。
後ろで、久秀様が動く気配を感じた。

氷で作った変わり身を置き、瞬時に久秀様の背後まで後退する。じり、と僅かな熱気が私の頬を撫でる。
火薬の痕が、獣の爪の様に這って行く。
その先には既に氷塊を砕いた男がいる。
赤黒い爪が、男に届く。
砕けた氷がぱらぱらと落ちる隙間から、少しばかり見開かれた男の目が見えた。

爆撃をもろに食らった男の体は派手に吹っ飛び、目に見える傷を負っていた。
しかし、それでも男は笑っている。剣呑な光をその目に宿して。
ゆらり、と起きあがる様が、私には幽鬼やその類のモノに見えてならなかった。

「ク、ククク……。公の大切な御客人だからと、折角迎えに来たのに、あんまりではありませんか。」
「迎え? 貴様っ……、襲ってきて何を言うか!」
「いえ、お連れして差し上げようとしたまでですよ。私より先に、公に刃を向けたその男を、黄泉の国へ、ね。」
「……っ!」

ぞくりとした。久秀様に感じる空恐ろしさとはまた異なる、もっと複雑な、狂気。
立ち上がった男に、刀を構え直した。
しかし、彼に向ける剣を久秀様がその手で遮った。

「下がりたまえ、小百合。彼をそう気にする事は無い。」
「……、あの男は、何者なのですか?」
「なに、ほんの些細な妬心を抱く只の人だよ、」

明智光秀の名を持つ、ね。
そう言って久秀様は一つ指を鳴らした。


***


「……さん!小百合さん!」
「……はっ、何でしょうか。秀秋様。」
「何でしょうか、じゃないよう。呼び掛けてもなかなか返事してくれなかったのにー。」

ずっと呼び掛けられていたのか、全く気付かなかった。どうも私は一度思索に耽ると、それに集中し過ぎてしまうところがある。

「申し訳ありません、秀秋様。……えっと、天海殿のことでしたか?」
「うん……、やっぱり居なかったよ。天海様って前から何処かへ行っちゃう事あったけどさ、こんなに居ない事初めてだよね……。」
「……そうですね。」

天海殿は、この烏城から姿を消した。
しかし、その事自体はそう珍しくは無い。
僧としての役目があるのか、何なのか、理由は知らないが以前から城を離れる事は、ままあった。
では何故秀秋様が気を揉んでおられるのか。それは天海殿が帰ってこない事に、他ならない。いつもは、私達が彼の不在に気付いた頃に、何ともなかったように、いつの間にか戻ってきて居たのだ。

「小百合殿! いやぁ、探しましたぞ。……あ、金吾様も居られたか。」
「……、どうしましたか? 家老殿。」

焦った様子でやって来たのは、秀秋様に長く仕えている家老殿だった。
彼は、小早川家への忠誠は確かなものなのだが、しかし、秀秋様に対し些かばかり態度が雑である。とは言え、ここの家臣衆はそんなお人ばかりである為か、秀秋様もさして気にしていない。その事は、まだまだ新参者である私が口出しできるところでは無い。

「ええ、ね。城外にて兵が、こんな物を見付けてきまして。」

家老殿は私たちに黒い面を差し出した。

「これは……。」
「天海様の、お面?」
「やはりそうでしたか。何でも、拾ってきた兵が言うには、この面、関所の手前近くに落ちていたらしく。」

ならば、天海殿は小早川領から出て行った可能性の方が高いな。
家老殿の言う関所、そこに置かれるは小早川の兵に相違ない。天海殿はよく秀秋様に代わって兵たちに指示を出していた。彼を知らぬ兵は、少ないだろう。にも関わらず、天海殿を見たという報告はない。

「態々、お教えいただき有難う御座います。」
「いやいや、なんの。天海様の事が気がかりなのは某とて同じこと。」
「、はい。……あるいは、気分屋な所があった彼の事です。ふらりと戻って来るやも、」
「あぁぁーーー! 」

私の言葉を秀秋様の大声が遮った。
先ほどから、天海殿の面を見て何か考えていた様子であったが、何を思いつかれたのか。

「僕、天海様が何で戻って来ないのか分かったよ!」
「ま、真ですか! 金吾様!」
「うん、天海様はアレを一人占めする気なんだ……!」
「秀秋様、アレ……とは?」

秀秋様は自信満々に言った。

「お面を外さないと食べれない大きなアレ! そう、馬米牛を! 」
「馬米牛……?」
「こうしちゃいられない、ぼくも食べに行くよおー!!」

活気に満ちた表情でどこかへ行こうと、走りだした秀秋様を、彼の背負う鍋を掴んで止めた。前につんのめった秀秋様は、不満顔で振り返った。

「ちょっとお待ちを、秀秋様。天海殿がどこに居るのか、検討でも?」
「うぅ、そうだったぁ……。あ! でも当てならあるよ、毛利様被害者の会の副会長が人探し得意なんだ!」
「それって確か山中鹿之介殿、でしたか。」
「お願いだから行かせてよ小百合さんっ、急がないと全部食べられちゃうよぉ。」

僧でもあり少食だった彼が、がつがつと食に挑む姿を私には想像できない。しかし、食欲に目が眩んでいる秀秋様には、その様子が頭に浮かんでいるようだ。
食に関しては、まったくもって頑固になる秀秋様だ。もう私が何を言っても、猪のごとく突っ走るだろう。
こうなっては仕方ない、と秀秋様を止めていた手を離した。
秀秋様はドタドタと、兜の一本角を揺らしながら駆けていく。

「金吾様を行かせてしまって、よろしいのか?」
「私には、ああなった秀秋様をお止めすることは出来ません。……ああそうだ。家老殿、申し訳ありませんが、小隊でも構わないので兵達を集めてくれませんか。行先は知人のもととは言え、秀秋様を一人にしては置けません。」
「は、それは構わぬが、小百合殿は行かないので?」

いつも秀秋様の側に仕えている私が、今回は共に行かない事を家老殿が不思議に思うのも無理はないだろう。

「ええ。私も、天海殿を探しに城を出ます。」
「ふむ、いやしかし、それならば尚の事金吾様について行けば……。」
「いえ、単騎で動いたほうがやり易いので。……家老殿、重ね重ね苦労をかけますが、城の守りを頼みます。」
「……ううむ。小百合殿の事だ、何か考えがあるのでしょうな。分かり申した、安心して行かれよ。」

碌な説明をしていない私を責める事も無く、家老殿は頷いてくれた。私は再度、彼に頭を下げ礼を言い、烏城を離れた。

目指すは安土城。
そこに面を外した天海殿が居ない事を信じて、走る。

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